電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年8月

何か間違っているのではないかと思う写真家を題材に二つの権力が同時に崩壊した敗戦を語る

送信日時 :2001年 8月 14日 火曜日 11:03 AM

件名 :[pmn 15893] 何か間違っているのではないかと思う写真家

 明日は敗戦記念日です。『日本経済新聞』(2001.8.12.)「私の貯金箱」欄で、加納典明という名の写真家の談話記事を読み、またもや、私が敗戦を知った時のことを想い出しました。「終戦」と表現するのが体制の大勢ですが、私は、それに耐性を維持し続け、常に逆らい、「敗戦」と言い続け、この日を巡る映像の裏をも疑い続けています。

 加納さんは「来年は60歳」と語っており、敗戦の時には2歳ぐらいでしょう。「26歳の時、ニューヨークで撮った写真が世間に認められて、あっという間に有名になった。でも人生はこんなもの、なんて思ったことはない。いつも何か間違っているのではないかと思い続けているし、今の位置に安住する気はない」そうです。

 上記の欄は、いかにも経済紙の日経らしいMoney & Life 4頁日曜特集の息抜き囲みで、毎回、特色のある著名人の談話を載せています。加納さんは未知の方でもあり、「おれ」なんて言うので、最初は、あの「わし」と言う下手糞漫画家並みの傲慢な人かなと思って読み進むと、上記の部分で、おやっ、となりました。

 私は敗戦の時には8歳、国民学校3年生、それまで毎日、登校の際には上級生の引率で、北支那派遣軍の歌などの軍歌を意味も知らずにがなって、北京の町中を兵隊と同じ格好で脚絆まで巻いて二列縦隊で行進していました。朝礼では必ず、教頭の号令に従い、一斉に東(江戸城跡の方向)に向きを変えて最敬礼していました。太陽が上がる方向ですから、「日出る国の天子」様のいるところと理解していました。当然、その後に追々知った大日本帝国の権力の醜さには呆れ返りました。

 もう一つ、敗戦の直後、亡兄が私に囁きました。「お父さんは日本は絶対に戦争に勝つと言っていた」。亡父は穏やかで無口な技術者でしたが、やはり、当時の典型的な封建親父でした。しかし、世渡り下手のわが家系の典型でもありますから、別に醜いとは思いません。

 つまり、評価の違いこそあれ、あの頃、8歳の私の中で、それまでの二つの絶対的な権力の権威が同時に崩壊したのです。その後、アメリカ民主主義もソ連の社会主義も嘘ばかり、日本の革新勢力も似たようなものと判明しました。多くの仲間(と思って付き合った連中)にも裏切られました。ス園簿まさかと思うような微少な組織でも、組織権力闘争の伏流が露呈し、崩壊し、ぎりぎりのところでこそ問われる人間こと、裸の猿の自己中心の正体を見続けてきました。

 これだけ騙され続けても、まだ何かを信じたいと思うとすれば、それは大馬鹿者でしょう。油断大敵です。ものごとは表面だけ見ていると間違います。常に疑いを持ち、しかし、生きていることを自覚してしまった以上、諦めることもできず、ただただ淡々と歩むのみ、明日、敗戦の記念日、また歩きながら考え続けるしかないでしょう。


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