電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年5月

NHK総合の歴史ものは「俗悪番組」か否か論争に国家独占の体制の一部と看做すべしと指摘

送信日時 : 2001年 5月 5日 土曜日 12:21 PM

件名 :[pmn 14688] Re: NHK史観

From: Nakahara Noriaki
Reply-To: pmn@jca.apc.org
Date: Fri, 04 May 2001 12:34:26 +0900
To: pmn@jca.apc.org
Subject: [pmn 14674] RE: NHK史観

中原@萩です。
岩川さん、ご無沙汰しております。
「NHK総合の歴史ものは、俗悪番組」とコメントがありますが、非難、批判より、現実は、各自真実を求めてどんな行動をつくっていくのかが、問われている時代だと考えます。

 放送問題ともなれば、茶瓶(口先が尖っているので、介入の意味の戯れ言葉)せざるを得ません。

 NHKに止まらずどころか、新聞や総合雑誌も、実は、国家独占の体制の一部と看做すべきで、民放労連では一時、民放の規定として大会議案書にも記されました。

 しかし、「報道機関」で働いているという幻想的な感覚を抱き続けたい現場の働き手、特に、国会記者倶楽部とかで「大物」政治屋と接触して、いっぱし国士気取りの議論をする体質になじんだ報道部員などには、このような規定は、なかなか受けません。そういう位置で仕事をしている人々は、すでに強い幻想に捕われているのです。

 このような「中立幻想」が最も強く働くのが、NHKです。戦前とは違って、手が込んできました。時折は、いかにも政府批判、独占資本批判、アメリカ批判を、「している」かのように見えるところが、最大の味噌です。たとえば、湾岸戦争でも、終わってから、かなり経ってからですが、アメリカですでに放送された「イラク兵の乱暴な振る舞いを告発した難民少女はクゥエート大使の娘だった」なんていう検証番組を流して、「中立幻想」を維持します。

 ですから、ETVは良いとか、良い番組もあるとか、部分だけに捕われた議論は、気を付けた方が良いでしょう。私は、丁度20年前、1981年に出した『NHK腐蝕研究』の中で、エンツェンスベルガーの『意識産業』や、何冊かのいわゆる国家論を引き合いに出しながら、いわゆる欧米型の「民主主義国家」の怪しさと、大手メディアの怪しさとを、裏表の関係で論じてみました。

 ところが、最近の書店の棚に溢れる関係書は、ほとんど体制内の教科書並みで、こういう一番肝心の問題点に触れようとしません。これも簡単に言うと、私の命名の「バス停大学」がメディア論の課目を用意し、急増する受講者の需要に間に合わすために「有名」メディアの報道関係者を「リクルート」し、結果として、官庁の天下り先の役割を果たし、大手メディアの体制化を推進する機能を果たしているからです。

 これを打ち破る「行動」は、それ自体、大変に難しく、おそらく不可能に近いものですが、理論的な理解も、正確でないと、すぐにまた、孫悟空のように釈迦の掌の中での暴れ者でしかなくなり、体制に取り込まれます。


電子手紙2001年5月分の目次へ
電子手紙文書館の目次に戻る
『憎まれ愚痴』総合案内へ
基地の出城の大手門高札に戻る

雑誌憎まれ愚痴 バックナンバー 目次一覧 連載記事一括 時事論評&投稿
憎まれ愚痴入口 テーマ別発言集 木村書店 亜空間通信 亜空間放送局