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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』終章5

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(終章5) インクルレコ

 わたしは、最初のコトバをつくったのは、バントゥの母親たちだ、と考える。バントゥの年老いた母親たちは、眠れぬ夜を星空の下で語り明かした。夜空の星々には、バントゥの祖先の霊がやどっており、彼らの子孫を見守っているはずだった。

 紀元前8千年、アフリカ大陸には、湿潤期が訪れようとしていた。バントゥは、いつかこの日がくることを、信じていた。いつか神の怒りがとけ、許しの日が来ることを、バントゥは信じ、語りつたえていた。彼らは、植物を育て、火によって土を変え、動物を飼い馴らしてきた。この努力はいま、神に通じた。先祖たちが勇壮な狩りをした草原は、いま青々とよみがえりはじめた。野生の動物たちも、ようやくふえはじめた。

 だが、年老いた母親たちは、心配だった。男たちはまた、狩りにでかけはじめた。男たちは、また、昔のくらしをなつかしがりはじめた。狩りをする男たちは、ふたたび、猛々しくなりはじめた。植物を育て、動物を飼いならすことによって、やっと平和な日々がおとずれた。しかし、このままでは、また昔のような、たたかいの日々がくりかえされる。

 コトバが必要だった。子供たちにコトバを教えるのは、母親の仕事だった。年老いたバントゥの母親たちは、星々にやどる先祖の霊に祈り、たがいに語り合い、新しいコトバを考えた。

 人間だけがもっている力、それは、クントゥである。人間はクントゥを用いて、ハントゥの中で、キントゥを変えるのだ。奪い合い、争い合うのは、人間のしわざではない。それは、本当の力を知らない、動物がすることだ。そして、人間は、たがいに協力し合わなくてはならない。たとえ、地の果てにひろがろうとも、おたがいの血のつながりを忘れてはならない。

 バントゥの母親たちは、このように考え、星空の下で、たがいに語り合い、新しいコトバをつくった。

 コトバはこうして生み出された、とわたしは考えたい。そしていま、人々は、新しいコトバを必要としている。より複雑化した社会にふさわしいコトバは、あらゆる形でつくられている。だが、そのコトバを、すべてのバントゥ、すべての力ある人々のふるさとに立ち帰って、語らなくてはならないだろう。そうでなくては、それは本当に生きたコトバには、なりえないのではなかろうか。

 いま、南アフリカ共和国では、バントゥが、アパルトヘイトの最下位におかれ、自由(インクルレコ)を求めてたたかっている、みずからをアフリカーナとよぶ支配層は、バントゥというよび名を、蔑称だと思い込んでいる。しかし、バントゥとよばれる人々こそ、最初の「力ある人々」の、伝統を守り抜いた民族なのだ。

 人類はいま、自然を支配し、自然の必然的な暴力から解放され、真の「自由の王国」の扉をたたこうとしている。だが、この歴史的な行進の先頭には、バントゥのインクルレコの旗が、高くひるがえっていなければならないのではなかろうか。バントゥの確信にみちた力、クントゥによってこそ、その扉は押し開かれうるものではないだろうか。

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