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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第5章5

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第5章5) 北ヨーロッパ人

 長い間、北ヨーロッパの諸民族は、北方に起源をもつ「純枠種」であるという神話が、定説であるかのように、語りつづけられてきた。

 しかし、形質人類学、つまり、人類の生物学的研究が進むにつれ、北欧神話はくずれはじめた。たとえば、アメリカの人類学者、クーン、ガーン、バードセル(以下、クーンを代表とする)の3人の共著による、『人種』という本では、北ヨーロッパ人の中にみられる高身長で鼻の細くとがった骨格は、「紀元前5000年をこえないある時期に、おそらくイランから農耕民・牧畜民としてユーラシアの草原に入ってきた」人々がもたらしたもの、と説明されている。

 では、その当時、イラン高原にいた人々はどんな肌色をしていたかというと、クーンは、「淡褐色の皮膚、褐色の眼」をしていたと考えている。そして、イラン高原からインドに侵入した、いわゆるアーリア人についても、従来主張されてきたようなブロンド人種ではなかった、と説明している。では、淡褐色の肌色、褐色の眼の人々は、どういう時期に北ヨーロッパに移住し、ブロンド型になっていったのであろうか。

 「その頃ウラル山脈の氷河の融解によって地表をあらわした地域は曇りがちであった。彼らは紀元前2000年代に中央および北西ヨーロッパに到達した。彼らがここに来たのは雲多い時代の終末期であった。彼らは第一には原住民との混血により、第二には環境的淘汰によって、あるいはこの2つの経過にしたがって、皮膚、毛、眼に関するブロンディズムの遺伝子を獲得したのだろう」(『人種』、p.114)

 では、「原住民」は、どんな人種的特徴を持っていたのであろうか。そして、ブロンディズムとは、どのようなものであり、どのような自然環境の中で発生したものであろうか。

 ブロンディズムは、雲や霧の多い、氷河期の北ヨーロッパ特有の気候の中で発生した。基本的には「白皮症」である。つまり、色素細胞の機能消滅である。この現象はどの地方でも発生するが、太陽光線のとぼしい環境の中では、これが、かえって有利な条件となった。しかもこの環境はほぼ、紀元前の2200年までつづいた。ホメーロスも、北ヨーロッパについて、霧多き国とうたっていたほどである。

 このことからすれば、北ヨーロッパ人の「純粋性」を主張する際には、もっとも色素沈着のすくない住民をあげなくてはならないだろう。事実、クーンは、こう書いている。

 「灰色ブロンドの毛はバルト海地方の東方および南方の中部ヨーロッパの、皮膚の青く、灰色の眼をした住民の間ではもっとも普通である」(同前、p.113)

 つまり、いわゆる金髪青眼ではなくて、銀髪灰眼の方が、北ヨーロッパの古くからの現住民だった。バルト海は北ヨーロッパの中心部であり、凍りついた海の上には、ツンドラ草原がひろがっていた。曇りがちな空の下で、狩猟民が紀元前3000年もしくは2000年頃まで、つまり古代エジプト帝国がアフリカ大陸からオリエントに進出していたころまで、氷河期と同じ生活をつづけていた。現在のバルト海沿岸には、「白眼」とよばれる人々さえいる。

 では、この銀髪灰眼の人々は、どんな骨格をしていたのだろうか。

 「この種の色素をもつ人々の多くはずんぐりしており、顔は幅びろく獅子鼻である。彼らはモンゴロイドが完成した寒地適応の路を部分的にたどってきたのであった」(同前、p.113)

 つまり、人類そのものの生物学的な研究によれば、すんぐりした身体つきの方が、表面積が少なくて、体熱の発散をふせぐ。この方が寒地適応型なのだ。もちろん、ここでモンゴロイドの典型とされているのは、氷原の狩猟民族、エスキモー人のことである。

 結論として北ヨーロッパの原住民は、銀髪灰眼、ずんぐり型であったと考えられる。

 高身長、細鼻の骨格形質は、クーンによれば、イラン高原に由来する。つまり、南方系であった。だが同時に、その骨格形質は、濃い色素細胞をもともなっていた。金髪青眼は、銀髪灰眼よりも、色素が濃い。つまり、金髪青眼の人々も、南方系との混血種にちがいない。

 だが、南方系の特徴は、これだけにとどまらない。

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