『亜空間通信』928号(2005/01/02) 阿修羅投稿を再録

敗戦後60年の還暦に女性天皇是非の議論沸騰しWiLL創刊2号は総力特集「皇室、戦後最大の危機」

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『亜空間通信』928号(2005/01/02)
【敗戦後60年の還暦に女性天皇是非の議論沸騰しWiLL創刊2号は総力特集「皇室、戦後最大の危機」】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 私は、大晦日(2004/12/31)に、以下の通信を発した。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku925.html
http://www.asyura2.com/0411/war65/msg/515.html
『亜空間通信』925号(2004/12/31)
【憲法9条・救国トリック説(昭和の三傑)WiLL2号記事で筆者の旧友・堤堯に三国志空城計を指摘】

[中略]

「ナチ・ガス室はなかった」記事で大騒ぎとなった『マルコポーロ』廃刊事件の渦中の編集長、花田紀凱が、月刊誌、WiLLの責任編集者となり、さる11月25日に、その創刊号が、出版社からの謹呈として、わが家に宅急便で送られてきた。

[後略]

 このWiLLの創刊2号の表紙には、総力特集「皇室、戦後最大の危機」「皇太子殿下に敢えて諫言申し上げます」とある

 花田紀凱は、『マルコポーロ』廃刊事件がなければ、『週刊文春』編集長の次には『諸君!』編集長となり、ついで、月刊『文芸春秋』編集長、取締役への最短コースにいたのだから、いささかの変転を経て、『諸君!』や月刊『文芸春秋』型の雑誌の編集長になったと考えれば、このWiLLの性格が自明の問題となる

 いわゆる「右」である

 この議論は、右か左かは問わず、今年の最大の主題であろう。私は、自分なりの視点で、この問題に挑むが、戦後60年を還暦にたとえる向きもあることだし、わが名と同じ略称となる「愛」子ちゃんの女性天皇是非論にも、興味を示して置くことにする。

 女性が女性天皇を素直に歓迎するか否かという問題もあり、以下の記事が、どこからともなく流れてきたので紹介して置く。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-January/000007.html
[AML 0008] 【女天研声明】「女性天皇はいらない! 天皇制はもっといらない!」
sakurai daiko cjj98680 at ams.odn.ne.jp
2005年 1月 1日 (土) 14:40:54 JST

桜井大子です

女性と天皇制研究会(女天研)の声明です。
Bccで複数のMLに発信します。重複される方ごめんなさい。
転載歓迎!です。

【女天研声明】 「女性天皇はいらない! 天皇制はもっといらない!」

 女性と天皇制研究会(女天研)よりみなさまへ、新年早々の声明をお送りします!

 皇族女性たちを主人公に、天皇家のお家事情がこれでもかとばかりにメデ ィアを賑わせた2004年。そのしめくくりとしての12月、政府は女性の皇位継承などについて検討するための「皇室典範に関する有識者会議」を設置することを発表しました。この有識者会議は今月中に初会合を開催し、秋には報告書をまとめるとの報道がなされています。

 同会議設置について細田官房長官は記者会見で「皇位の継承を安定的に維持することは、国家の基本にかかわる事柄」と述べていますが、これは「天皇制の基本にかかわる事柄」というべきでしょう。皇族女性が「男子」を産まない限り、「男系男子」に限定する現「皇室典範」では天皇制が維持できない。「女性天皇」容認論がこのような天皇制維持の危機から出ていることは、もはや誰の目にも明らかです。

 世襲制という天皇家の「伝統」を「国家の基本」と称し、憲法と法律で定め、保護してやることは、女性を「産む性」と「イエ」に閉じこめることを一つの価値とし、法的制度として今後も残し続けることを意味します。それは、たとえ女性が天皇になろうと同じこと。「国民」から法的に逸脱した特権的存在の天皇一族を認めることが、さまざまな差別を構造的に許してしまい、それらの差別に気づかず容認してしまう鈍感さを放置することにつながることも今までと同様です。また、アジアへの侵略戦争の最高責任者だった昭和天皇を許し、天皇制を「象徴」として今後も残し続けることは、日本社会をあいかわらず「無責任」と「無関心」の支配下におき続けていくことでしょう。

 このような天皇制を残すために、女性性を蹂躙し続けるその制度のトップに女性を立たせ、「男女平等」などとうそぶく政府・マスコミは許しがたい。「女性差別の制度」という批判について、政府は「象徴天皇にふさわしい限度で差別を設けることは、憲法の男女平等の原則に違反しない」と説明してきたといっています(『読売新聞』12月28日)。「象徴天皇にふさわしい差別」とは、婚姻や子産みをはじめとする、家族主義における女性役割を女に押しつけることにほかなりません。これは「女性天皇」容認で変わるはずもない天皇制の本質です。どこが「男女平等社会」にふさわしいというのか。

 この有識者会議設置の報道に先だって、自民党は11月、「憲法改正草案大綱」を発表しました。天皇は「元首であり」「日本国の歴史、伝統及び文化並びに日本国民統合の象徴としてわが国の平和と繁栄及び国民の幸せを願う存在」であるとうたい、皇位は「世襲のもの」で、「男女を問わずに、皇統に属する者がこれを継承する」と明記しています。また、現憲法で限定的に定められている天皇の国事行為に、「公的行為」という新たな概念が追加され、現在すでに違法なままになされている行為を憲法で認めさせようとしています。ここでは恐ろしいほどの天皇制国家が志向されています。

 この「大綱」はすぐに撤回されましたが、新たに出される大綱に大きな違いがあるとは思えません。政府は戦争ができる国を志向し、そのために「国の平和を祈る」祭祀者としての天皇の権能拡大と、「家族」を国の基本とする家族主義を持ち出しているのです。少なくとも、この有識者会議設置の目的である「女性天皇」の検討は早々に開始されます。

 皇位継承者が途絶えている以上、「女性天皇」の容認がなければ天皇制は消滅するしかありません。逆に言えば、いまここで「女性天皇」を容認するということは、改めて天皇制を選択し直すことを意味します。私たちはいまこそ声の限り主張します。女性天皇はいらない! 天皇制はもっといらない!

 2005年1月1日
 女性と天皇制研究会

*なお、過去の声明は http://www.geocities.jp/jotenken/index.html
で見ることができます
「女性と天皇制研究会」のホームページに ようこそ (2004.12.23 開設)
「女性と天皇制研究会」の活動記録 や、声明などを紹介しています
 ※2004年の活動の一部です
→○シンポジウム 2004年12月5日(日)/文京区民センター2A(東京都文京区)/報告;近藤和子さん/「戦争の時代」と女性天皇制 その2〈女性兵士〉編 ○シンポジウム 2004年6月12日(土)/文京区男女平等センター/報告:北川れん子さん/「戦争の時代」と女性天皇制 ~その1・国会編

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 うむうむ。しかし、私は、天皇制反対だけを主張する向きの狂信にも、不気味さを感じている。天皇制の是非論に対しては、以下の季刊『真相の深層』創刊号「編集後記」からの抜粋が、現在のわが基本的観点である。

 天皇へ批判の取り締まり、不敬罪とか朝憲紊乱罪とかは、明治維新以後の日本の言論統制の象徴だっだから、天皇制批判は、敗戦後の日本で流行した。その後は、いわゆる反動期となり、少し遅れて1980年に発足した『噂の真相』は、天皇を取り上げて、2度も右翼暴力団に襲撃された。

 私は、敗戦後の日本の少年として、昭和天皇を「テンチャン」、今の天皇、当時は皇太子を「チビテン」と呼び習わしてきた。この徹底硬派の新雑誌『真相の深層』の創刊の本年、2004年は、来年で戦後60年を迎える年でもあり、最早、「戦後ではない」のであるが、『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』の著者でもある私の歴史的視野は、遙かに時空を超えて広がっている。

 欧米では政治学の祖とされる5世紀前のイタリア人、マキアウェリ(注)の主著は、古代ローマの歴史家、ティトゥス・リウィウスの10章に関する『論叢』であり、ギリシャ・ローマの歴史の事実の教訓に基づいて、人類と称する裸の猿の種族の社会と政治の実態を鋭く喝破している。(注・マキアウェリのローマ字綴りはMachavelli、ラテン語のvは万国発音記号ではu:。マキャヴェリ、マキャベリの2種は、英語式発音の日本語表記である。著者名による検索では要注意)。

 日本語の全訳は2つあるが、『政略論』(中央公論社、世界の名著)の訳を借りれば、「君主政は容易に潜主政へ、貴族政は簡単に寡頭政へ、民衆政はたちまち衆愚政へと姿を変えてしまうものである」。簡単に言えば、マキアウェリは、君主、貴族、民衆(ローマでは護民官の制度を含む共和制が代表)の権力対立関係に、自浄作用を見いだしているのである。民衆政、または民主政、さらには社会主義、共産主義を至上とした最近の事例は、旧ソ連の崩壊で、衆愚政、または暴政(岩波文庫『ローマ史論』の訳語)への「たちまち」の変化を如実に示した。

 本誌は、この近年の教訓をも踏まえて、ありとあらゆるタブーを排し、君主政、貴族政、民衆政とその変態の潜主政、寡頭政、衆愚政、または暴政のいずれに対しても、忌憚ない批判に徹する

 [後略]

 以上。


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