『亜空間通信』736号(2004/02/18) 阿修羅投稿を再録

自衛隊イラク「派兵」か「派遣」か言葉の意味の戦争の低次元混迷を一喝し錦の御旗「国連」強調

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『亜空間通信』736号(2004/02/18)
【自衛隊イラク「派兵」か「派遣」か言葉の意味の戦争の低次元混迷を一喝し錦の御旗「国連」強調

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 昨日(2004/02/16)の2004年2月16日、阿修羅戦争47掲示板に、以下のごとく、一見、相矛盾する見出しの2つの投稿が出現した。

1)・・・・・・・・・・
 (2/16)内閣支持率48%に上昇・日経世論調査

2)・・・・・・・・・・
 イラク派兵反対派が激増!! 賛成派は激減(日本テレビ世論調査)

 私は、この世論調査の基盤をなす重大問題、自衛隊のイラク「派遣」か「派兵」か、この言葉の使い方に拘る。

 英語では単に、dispatchである。「派遣」が普通で、軍を派遣するのだから、軍か、部隊か、兵か、その派遣なので、派遣でも、派兵でも、出兵でも、どれでも通じるのだが、その云々に関して、以下の投稿をしていた。「ものは言いよう」なのである。

---------- 引用ここから ----------
派遣賛成は派兵賛成、戦争賛成とは違い、人道支援賛成を含む。言葉の意味の戦争である。
http://www.asyura2.com/0401/war47/msg/811.html
投稿者 木村愛二 日時 2004 年 2 月 08 日 08:29:56:CjMHiEP28ibKM
(回答先: 意外と期待の持てる数字かも 投稿者 大富豪 日時 2004 年 2 月 08 日 00:52:59)

日本「の左翼」には、軍事音痴の自称平和主義、実は、平和ぼけが圧倒的に多い。

カンプチアの場合は、平和維持「軍」への派遣なのに、反対派は、「派遣反対」と言っていた。私は、「派兵」よりも強い「出兵」に反対と言った。

ゴラン高原でも「軍」として活動しているのに。違憲訴訟を起こす仲間は、どんどん減っていった。

この程度の「良い子」振り市民運動、票稼ぎ政治屋稼業では、総崩れは当然になる。

ところが、突如、元自民党閣僚の箕輪氏が、差し止め訴訟というので、「左翼」が慌てているのだから、実に面白いのである。
---------- 引用ここまで ----------

 私は、この低次元の混迷を一喝し、錦の御旗、「国連」を強調している。その基本は、すでに、もうそろそろ1年前になる昨年、2003年4月7日に発した以下の通信で、簡略に述べた通りである。

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku563.html
http://asyura.com/0304/war30/msg/943.html
『亜空間通信』563号(2003/04/07)
【日本はわが苦心の戦局分析に従い米英敗北を読み切りアジア中心戦略に転じよ!】

[中略]
 ああ、何ともかんとも、困ったことだが、プロシャ・フランス戦争当時のプロシャ総参謀長、大モルトケの故事を思いおこしつつ、開戦以来17日目の眠気を振り払いつつ、1本450円のイタリア産の安葡萄酒を嘗めつつ、以下、阿修羅戦争30掲示板の連続投稿の引用により、わが日本の世界戦略を略述する。
[中略]
 日本は、即刻、わが苦心の戦局分析に従い、米英敗北を読み切り、その他の安保理常任理事国のフランスを真ん中に置き、第二次世界大戦敗北組のドイツを意識しつつ、常任理事国で社会主義ではなくなったロと中に近寄り、イスラム諸国と組むアジア中心戦略に転じよ!
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

注:「大モルトケ」と通称されるヘルムート・カルル・ベルンハルト・グラフ・フォン・モルトケ(1800-1891)は、1857年以降、プロイセン(プロシャ)陸軍総参謀長として、対オーストリア・フランス戦を勝利に導いた。事前に、戦局の変化に即応する多数の作戦計画を立案し、引き出しに入れておいて、若手の参謀将校が、就寝中のモルトケに状況を報告すると、その状況に応ずる作戦計画書の引き出しの位置を教えたと伝えられる。

 上記の「米英敗北」の土台は、すでに911事件以前、ドル支配の崩壊、欧州の「ユーロ」、中国の人民「元」の「通貨戦争」として、その前駆症状を露呈していた。日本の「円」は、その中間で、うろうろしていた。

 この史上空前の世界的混乱、乱世を、日本の歴史に例を取れば、幕末である。

 で、今、私は、電網検索、簡単に以下の音入り電網宝庫を紹介する。「田舎者だらけ」でも、乱世には、機敏に、「錦の御旗」を先頭に立てた方が勝つのである。

---------- 引用ここから ----------
http://member.nifty.ne.jp/odasan/midi/elec/miya.html
宮さん宮さん(トンヤレ節)
--- Miya san, Miya san ---

【  曲 名  】宮さん宮さん (トンヤレ節)
【 作曲者名 】大村 益次郎 (P.D.)
【 作詞者名 】品川 弥二郎 (P.D.)
【アーティスト】-
【データ作成者】蛞蝓なめちゃん (HCF00661)
【 データ形式 】標準MIDIファイル(.MID) Format 0 :Timebase=120
【 作成ソフト 】Cakewalk Pro Audio Ver 9.0
【 対応音源 】SC-88Pro (GS,GM 可)
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明治維新の折りに、官軍の行進曲として、鼓笛隊の演奏で歌われたそうです。私の持っている楽譜には 四分音符=60くらい と書かれていますが、この演奏では倍以上のテンポを設定しました。でたらめでございます。あはは。

品川弥二郎、大村益次郎ともに、明治維新で活躍した長州人で、靖国神社に銅像が建てられています。大村益次郎は羽織袴ですが、品川弥二郎は洋服姿です。

「宮さん」というのは有栖川宮親王のことで、東征軍の大総督であられられまして、要するに幕府の残党を東へ東へと追いつめていったわけですね。この東征軍の士気を高めるために作られたのが「宮さん宮さん」で、日本で最初の軍歌だとも言われております。私の持っている「軍歌集」でも、最初のページに掲載されております。

作曲 大村益次郎 と伝えられ、JARACの作品データベースでもそのように登録されていますが、京都の芸者が、品川の詞に、当時はやっていた「トンヤレ節」をもとに曲づけしたものを、大村が鼓笛曲として編曲したのだという説もあります。

宮さん宮さん お馬の前に
ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ知らないか
トコトンヤレトンヤレナ

一天万乗の帝王に 手向かいする奴を
トコトンヤレトンヤレナ
ねらい外さず どんどん撃ち出す薩長土
トコトンヤレトンヤレナ

伏見 鳥羽 淀 橋本 葛葉の戦いは
トコトンヤレトンヤレナ
薩土長肥の 合うたる手際じゃないかいな
トコトンヤレトンヤレナ

音に聞こえし関東武士
どっちへ逃げたと 問うたれば
トコトンヤレトンヤレナ
城も気概も捨てて 吾妻へ逃げたげな
トコトンヤレトンヤレナ

国を追うのも 人を殺すも
誰も本意じゃないけれど
トコトンヤレトンヤレナ
薩長士の先手に 手向いする故に
トコトンヤレトンヤレナ

雨の降るよな 鉄砲の玉の来る中に
トコトンヤレトンヤレナ
命惜しまず魁するのも 皆お主の為故じゃ
トコトンヤレトンヤレナ

この演奏では間奏をはさんで4コーラス演奏していますが、歌詞は上記の中から3つと、明治6年ごろに作られた、当時のモダンガールを揶揄したと思われる替歌を加えました。もちろん最後の詞は品川作品ではありません。

姉さん 姉さん お前の頭に
ぐるぐる巻いたは 何じゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは流行 はしりの束髪
イギリス結びを知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ

んでもって、薩長土肥の官軍が勝利しちゃったために、江戸は田舎者だらけになりました。今だに。
---------- 引用ここまで ----------

 なお、わが家の祖先は、江戸時代、幕府の譜代、現在の福岡県の小倉に城を構える小笠原家、小笠原藩の家臣であった。幕末、長州征伐の先陣を命じられ、武運拙く、逆に長州に攻め込まれ、小倉城に自ら火を放って、粛々と撤退し、山の中の豊津に引き籠もり、豊津藩として明治維新を迎えた一族は、「天皇は薩長の傀儡である」と言い伝えてきたのである。

 現在の日本で、国連の管理下で、イラクの政権を再建する選挙を行う「平和維持」活動と、「復興事業」に、国を挙げて参加し、その一環として、災害救助の経験豊富な自衛隊を派遣するという政策を掲げて、参議院選挙を戦えば、画期的な大勝利疑いなしなのである。

 問題は、それをやれる「田舎者」が、どこに、どれだけ、いるのか、なのである。

以上。


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