台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会
台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会 1999.10.16
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「新たに発見された日本総督府時代の台湾拓殖株式会社の慰安婦関係の保存文書」


王清峰(弁護士)

 わが国の中央研究院中山人文科学研究所(IBSP Sun Yat-San Institute for Social scicnces and Philosophy)の副研究員である朱徳蘭博士は、台湾省文献委員会所蔵の「台湾拓殖株式会社保存文書」第103号、昭和13(1938)年、第177頁の中に、「台湾拓殖株式会社」による海南島の「海軍慰安所新築工事」に関する記録を発見した。その内容は以下の通りである。

「海軍慰安所新築工事(工事完了)
 総工費    参万九千八百参拾圓九拾弐銭也
 総坪数    参百七坪五合(材料台湾拓殖株式会社提供、田村組トハ未計算)
 木造平屋造  屋根ルーワイング  二重葺
 請負者    田村組  坪百二十五圓」

 この他、第399、409、410頁には、昭和14(1939)年の「台湾関係海南島渡航者人名票」があり、そこには海南島へ行った者の住所、年齢、姓名が記されている。 出航日は4月18日と5月24日となっており、資格欄にはいわゆる「慰安隊」が列記されている。第477、478頁の「4月18日基隆発金令丸乗船徳要員」の中には、乗船者の姓名、生年月日と職業が記されており、その中には「慰安所経営」「芸伎」「酌婦」「仲居」「料理人」「雑役」の計19人も含まれている。

 日本統治時代の「台湾拓殖株式会社」は、昭和11年6月3日法律第43号「台湾拓殖株式会社法」に従って設立された会社であり、その主旨は台湾開発と華南および南洋地区の開墾、植民事業の開発を目的として設立された。初期の資本金は日本円三千万円で、その半分は政府が実物出資し、同年12月から海運業務を開始している。当該株式会社は、国庫補助の下で開墾、農林、水利およびその他の事業を行ったが、戦争が次第に拡大するに従い、いわゆる南万共栄圏の重要な資源の開発が当該株式会社の重要な業務となっていった。そこで昭和17年6月に日本円32万円を増資し、その半分は政府が実物出資した(日本統治下50年の台湾、外地法制誌第三部の三、第438〜440頁、昭和39年5月、条約局法規課参照)。

 総計60万株のうち、民間株の中の20万株は製糖会社、生命保険団体、銀行団体、各財閥企業が持ち、残りの10万株は民間の各階層が引き受けた。ただ8万5000株は日本本土で持たれ、台湾には1万5000株しかなかった。

 人事面では、社長は児玉秀雄、つまり元台湾総督児玉源太郎の長男で、副社長は台湾総督府総務長官の平塚広義および三菱財閥取締役会長の加藤恭平であり、理事には官僚代表でもある日本内閣書記長官、法制局長官、外務、大蔵、海軍および陸軍各省の次官、台湾総督府の内務、殖産、財務の各局長が就任している。台湾拓殖株式会社の資本構造と理事はすべて日本の官僚の天下だったといえる(廖慶洲著「日本過台湾」第247〜251頁、1994年10月出版)。

 朱徳間博士が新たに発見した資料から、「台湾拓殖株式会社」は日本の侵略戦争に合わせ、台湾の人員、資金および技術を海南島の「海軍慰安所」建設にむけ調達し、ならびに「慰安隊」を組織し、婦女を募集して海南島に送り慰安に従事させたことがはっきりと読み取れる。

 台湾拓殖株式会社は、日本が制定した法律によって設立された会社であり、資本金の半分は政府筋から出資され、社長、副社長、理事がすべて台湾総督府および日本本土の官僚および財閥が担当していた。そこで慰安隊は日本政府筋が制度化して組織したもので、植民地はそれに応じて金、力、人員の募集して軍隊の需要に応じていたことが、十分に証明される。私たちは、今後も継続して、台湾の慰安婦に関連の保存資料を調査し、研究を続けていく努力をしたい。


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