台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会
台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会 1999.10.16
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先住民族にみる植民地支配の爪痕
〜徹底した皇民化教育のもとで〜


中原 道子(早稲田大学教授)

 私たちが「台湾の『慰安婦』問題を勉強する会」を何人かの人々ではじめたのは3年ほど前のことですが、まず台湾についての勉強から始めるというささやかな集まりでした。ご存じのように、台湾は、近代日本が初めて行った戦争「日清戦争」の結果として、1895年に清国から割譲されました。日本が最初にもった植民地でした。

 朝鮮を併合するのは1910年ですから、台湾はそれより15年も前に植民地にされたということになります。ですから、これからおみえになる台湾の原告の皆さんは日本語を話します。ほとんど半世紀もたった今でも彼女たちは日本語を話すのです。それは、当時の日本政府がおこなった強制的な「皇民教育」の結果でもありますが、その日本語を聞いておりますと、いかに植民地化の傷が深かったのか、改めて考えざるを得ません。

 当時、台湾の人口の一割を占めた少数先住民族の子供たちは女性も男性も「蕃人学校」と呼ばれる小学校へ4年間行かされました。その教育の結果が、植民地支配の爪痕のように、今の日本語となって残っているのだと思います。


過酷な扱いのなかを生きて


 植民地支配の傷痕がどのくらい深いものかと申しますと、私が台湾でインタビューをいたしました少数民族の一人の女性Aさんは、1930年におきた霧社事件の時、お母さんのおなかの中にいたのでした。霧社事件というのは、1930年、台中の霧社で発生した高山族(高砂族)の抗日蜂起で、日本政府は台湾の山地に住む少数民族を平地に移動させたり、過酷な強制労働に駆り立てました。「慰安婦」にさせられた女性たちは“義務労働”と呼んでいましたが、山から木を伐採して運ばせる、道路を作る、建物をたてる、鉄道を造るという労働を強制し、権力の末端の警察官たちは、絶対的な権力をふるって、この人々を、まさに“蕃人”として暴力的にあつかったのでした。こうして1930年に霧社を中心に抗日蜂起がおこったのです。台湾総督府は軍隊を投入してこの抗日蜂起を鎮圧しますが、その霧社事件で彼女の父親は日本軍に殺されています。その時母親は妊娠2ヶ月でした。この母親も彼女を生んでまもなく殺されてしまいました。

 彼女は16歳の時に、おばさんの家に居候をして、本当に貧しい生活をしていましたが、警察、つまり派出所の巡査がきて、着物を洗濯したり、繕ったりする仕事があるから働かないかと言ってきました。彼女は少しでもお金が稼げると思い、働きはじめましたが、3ヶ月くらいたつと強姦されて「性奴隷」として働かされるという状況に陥ってしまいました。

 台湾の少数民族の女性の場合非常にはっきりしていることは、その女性たちを仕事があるからといって騙して連れていくのは、皆、派出所の警官なんですね。台湾総督府警務局理蕃課が少数民族に対する政策を坦当しているのですが、実際には、現地の派出所の警察官が日常的な植民地支配の最先端になっていて、台中でインタビューをした女性たちは皆はっきりと彼女たちを騙した日本人警察官の名前を記憶していました。

 台湾での少数民族の女性のインタビューで、他の国の「慰安婦」にされた女性たちと少し違うことがあり ました。今日お見えになる女性の中に、やはり駐屯していた日本軍のために洗濯とか繕い物をする仕事だと騙されて、何ヶ月かたつと物資を貯蔵しておく大きなトンネルの中で日本兵に強姦され、性奴隷にされた女性がいます。そのトンネルは今もそのまま残っていますが、当時も電灯もなく真っ暗だったとその方は話していました。

 その女性たちの中で戦後しばらくして、妊娠をしたという女性がいました。最初どういうことなのかわかりませんでした。確かに、フィリッピン、マレーシア、ビルマ、インドネシアなどの国々では日本の敗戦とともに、連合国軍が、自分たちの植民地奪回のために急遽上陸し、占領地や植民地は解放されるわけで、その過程で性奴隷にされた女性たちも救出されたり、自発的に逃亡したりしています。

 台湾の状況は違っていました。台湾は日本の植民地でしたから、連合国軍が日本の敗戦と同時に上陸したのではなく、日本軍の支配が継続し、女性たちは、敗戦後も性奴隷として監禁され、その結果として、戦後になってから妊娠したという女性がいたのでした。

 台湾での少数先住民族は9割をしめる漢民族には差別され、日本が植民地化した時には日本人によって特に過酷な扱いを受け、強制労働等が強いられてきたのです。確かに霧社事件がおこった原因のひとつには強制労働があったわけですが、非常に多くの少数民族の女性が強姦されたという事実も無視できません。ある意味で、ある部族の女性が強姦されるということは、その部族の男性の誇りを踏みにじることであり、結婚まではきちんと身を保つという考えが非常に強かった時代ですから、強姦されたらその人の一生は終わりだという観念も強く、そのようなことも抗日蜂起の原因になったのです。さらに悲劇的なことは、少数民族の青年の中には教育を受けて、ことに優秀な青年は警察官として採用されていた人々がいたということです。警察官としての立場と、少数民族としての立場の板ばさみになって、霧社事件がおこると彼らは家族を殺して自分も自殺をすることになるのです。松井やよりさんが、朝日新聞の記者だったとき、台湾の霧社事件についていくつかの記事を書いていますが、今でも覚えているのは、少数民族の警察官がみずから妻や子供を殺し自分も自殺する光景です。着飾った女性や子供たちの死体がまるで花のように大木にぶらさがっている光景です。

 少数民族の女性たちは日本語を話します。それも戦前の日本語で非常に懐かしいと感じてしまいますが、それと同時にここまで半世紀をへてもまだ記憶に残っていることの、深い傷跡を感じてしまいます。今回の旅は短いものでした。少数民族の2人の男性と各地を訪ね歩いたのですが、初めて会う女性たちですから、はじめは私たちが誰かはわからない。写真を沢山みせて私たちが何をしているのか説明をします。いろいろな国でなにが起こっているのか、他の国の同じ体験をさせられた女性たちがどう暮らしているのか話しました。こうして次第に距離が近くなります。私自身は、原則としてはじめは個人の名前とか住所とかを聞くことはしません。以前、男性のライターが台湾の「性奴隷」にされた女性について「週間金曜日」という雑誌に書いた時、その女性の顔写真などが出ていたんですね。それが多くの方を傷つけて問題になったことがありました。書く人は、本人にきちんと許可をとったのでしょうか。本人に雑誌をみせて、この雑誌に、このくらいの大きさで写真がでますということを、明確にして許可をいただいたのでしょうか。そのくらいこの問題はデリケートな問題で、その方たち一人ひとりだけではなくその家族も含めて、だれも傷つけることのないように、気を使う必要があると思います。


体験と記憶を共有し、理解しあえる状況を


 以前、台湾の日本軍の性奴隷にされた女性たちが、日本に証言のためにいらした時、顔や名前を出さず、ついたてのかげから話しをしました。たまたま私たちは小さなホテルで台湾と韓国からきた女性たちと一緒にお茶を飲んでいました。その時に、韓国の女性が、台湾の女性に「あんたなぜ隠れているのよ」といったんですね。「ちっとも恥ずかしいことじゃない。恥ずかしいのは日本人なんだよ。」と。日本軍のために同じ体験を強いられた台湾の女性と韓国の女性が、日本語で話していたのです。その時に韓国の女性が言ったことを、今も非常によく覚えています。

 このように互いに話し合うことが出来るという状況は大切なことです。誰かに説明されたり、説得されるというより、同じ体験を強いられた女性同士が話し合うことが大切なのだと思います。たとえば、マレーシアでたった一人自分が「慰安婦」にさせられたことを認めている女性がいます。その女性も全く孤立して一人で暮らしていました。同じ体験をした女性などにあったこともなく、まして外国でどのような運動が展開しているのか情報もまったくなかったのです。ところがある日、新聞で、東京の早稲田大学で多くのアジアの女性たちが集まり、戦争中の性奴隷にされた経験を語りあったという記事を目にしたのです。その記事が写真とともに新聞にのっていたのです。

 その時は韓国からいらした女性がその体験を語ったのでした。実は当時、マレーシアの新聞記者が早稲田大学に一年留学をしていたのです。私は彼をその集まりに連れていったのですが、彼はそこで女性たちが語った話にショックを受け、原稿を書いて送ったのですが、その原稿は写真入りで見開き2ページの記事になってThe Starという新聞にのったのです。それを、ペナンで読んだ女性が、初めていわゆる「慰安婦」問題がどのような状況なのか知ることができ、自分と同じ運命にあった女性たちがいっぱいいることがわかったわけです。今まで自分の体験を恥じて隠していたのに、7〜800人が集まった会議場で、大勢の人々の前で女性たちが自分の体験を語ったということに衝撃を受け、自分も語らなければと、支援団体もなにもないマレーシアで、彼女は自分の体験を語り始めたのです。私はこのような横の関係が大切だと思います。同じ経験、同じ記憶を持った女性たちが、語りあい、理解しあう、という関係は大切だと思います。同じ体験をした女性たちは一番お互いにわかりあえる、支えにもなる。今回、私たちが訪ねた台湾の少数民族の女性たちは、近所に住んでいる女性たちと行き来をしていると話していました。最初6人だったのに1人亡くなり二人亡くなり、今生き残っているのは2人だけだそうです。

 私たちも会を作ってから台湾について勉強をしてきましたが、一番多くを学び、考えさせられるのはこうした女性たちからです。


家父長制が、彼女たちに秘密を強いた


 私は1995年に台湾で学会があった時に「慰安婦」問題のペーパーを読んだことがありました。その時今台湾の婦援会の理事長であるヘンリー・荘さんが聞きにきてくださったのですが、学会に出席したり、発表したりするのは男性が多く、ほとんど関心をひきませんでした。そんなことがあったのかという程度でした。この問題の重要性は見過ごされたのでした。

 次に、日本で韓国の著名な、そしてラディカルな歴史学者二人を招き、在日の学者、日本人の学者とパネルを組んだことがあったのですが、その時も私は「慰安婦」問題を取り上げたのですが、その学者たちはほとんど関心を示しませんでした。「慰安婦」問題というのは、日本軍、日本政府が女性に対して行った戦争犯罪であるということは、議論の余地はありません。そしてその戦争犯罪が、戦後、インドネシアにおいてオランダ人女性を性奴隷にした事件を除いては、裁かれてこなかったということも事実です。戦後、故国に帰った多くの女性がどのような人生をおくったのか?戦争中の残酷な体験、記憶がトラウマとして彼女たちを苦しめたことは言うまでもありません。しかし、その女性たちをさらに戦後半世紀にわたって苦しめたのは、彼女たちを家の恥として、許さなかった社会、家族、個人ではなかったのか。今もアジアの多くの国で続く家父長制社会ではなかったのか。彼女たちの多くは戦後の半世紀を自分の体験をだれにも語らず秘密にし、そのために彼女たちにもっとも必要であった、家族の、父親や母親、兄、夫、子供たちからの理解も、いたわりも、なぐさめも得られず、重い秘密の記憶に一人で苦しむことになったのではなかったのか。

 日本の責任とともに、〜その時は韓国でしたが〜、韓国の社会が負うべき責任も考えるべきではないかというようなことを話したのですが、韓国の学者にはまったく理解を得られませんでした。その日、ちょっとおかしなことがありました。会場にいた聴衆の中に白い、長いひげをたくわえた年輩の方がいました。驚いたことに、その方がパネルの途中で、パネラーとして座っている私のところに歩いてきたのです。そして、“あなたのおっしゃる通りですよ。あの学者たちは社会の中で偉い人たちだから。朝鮮の社会で「慰安婦」にさせられたのは貧しい人たちなんです、貧しい人たちのことなんかどうでもいいんですよ”。そう言って会場から出ていったんですね。私はすごく驚いたんですが、パネルの途中でなかったら追いかけてお話を伺いたかったと思いました。


不処罰の連鎖を断ち切るためにも


 さて、私たちの「台湾の元『慰安婦』裁判を支援する会」というのは本当に小さな会で、無力ではありますが、台湾の「慰安婦」裁判に関して、できる限りのサポートをしていくつもりです。「慰安婦」問題に関わる大小さまざまな組織が、日本にはあります。それぞれ主義・主張はあると思います、女性たちへの支援を主にする方々、法廷で裁判をして、あるいは、国会で立法して国家補償を求めるべきだと考える方々もいらっしゃると思います。過去の「慰安婦」問題に関わる裁判は負けています。ですが、今回はちょっと違うと思います。つまり戦後補償に関して二国間で解決済みという今までの論理は台湾には通用しません。台湾は二国間条約での賠償の支払いを受けていません。また、少数民族の女性の場合、一人ひとりの女性を勧誘し、騙して性奴隷にしたのは、派出所の警察官ですから、はっきり植民地支配の末端が関わっているとわかりますし、その名前もはっきりしています。ですから、今回の裁判は、いままでの裁判とは違わざるを得ないだろうと、私は考えています。裁判が終わればそれで問題が終わるのではなく、女性たちをサポートする仕事は裁判の結果がどう出ようと続けていかなければなりません。

 また、私たちの会とは別に、〜この会のメンバーも何人か関わっていますが〜、VAWW-NET JAPANという組織があります。これは国際的な女性のネットワークともつながり、女性に対する戦時暴力に反対する女性たちの集まりです。この組織は来年、2000年12月に、女性に対する戦時暴力を戦争犯罪として、人道という一点で裁く女性の法廷を開きます。実際には私たちはなんの権力もありませんが、どのような女性に対する戦争犯罪が行われたのかを明確にし、その犯罪性を指摘し、犯罪として裁きます。諸外国から判事や弁護士を招待します。ベトナム戦争の時には、ラッセル法廷が開かれました。バートランド・ラッセルやサルトルが、誰にも裁かれなかった、アメリカのベトナム戦争における戦争犯罪を裁いたことと同じようなことを私たちもやろうとしております。国際刑事裁判所はようやくスタートしましたが、ここでは過去の犯罪はとりあげません。ですからこそ、女性たちが女性の法廷で女性に対して行われた戦争犯罪を裁くのです。国連特別報道官のマクドゥガルさんが、何故、女性に対する性暴力、戦時の女性に対する性暴力が後を絶たないのか、それは、今まで地球上すべての社会で女性に対する性暴力が、戦時下で起こった性暴力も含め、すべて犯罪であるとして裁かれてこなかったからだと指摘しています。この犯罪に対する不処罰の連鎖というものを断ち切らなければならない、これがVAWW-NET JAPANによる女性戦犯法廷の一つの目的です。

 ここでは、中国、韓国、朝鮮、台湾、フィリッピン、マレーシア、インドネシア等様々な国で性奴隷にされた女性たちのために女性法廷を準備しています。関心のある方はぜひご参加ください。

 「台湾の元『慰安婦』裁判を支援する会」は実際の裁判が始まりますと、いろいろと忙しくなると思います。裁判の傍聴をはじめとして、できるだけの支援を行っていきたいと思っております。

 みなさまのご協力を心からお願いいたします。


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