わたしの雑記帳

2007/12/22 親には知る権利がない! 小森香澄さん・いじめ自死裁判の追い込まれた「和解」

2007年12月21日(金)、東京高裁で13時、小森香澄さん・いじめ自死裁判、被告の県側と正式に和解した。
(和解後の記者会見にとくべつ同席させていただいた)
しかし、これは「和解」という言葉、双方納得しての歩みよりとはほど遠い、苦渋の選択だった。和解の話し合いのたびに、夫婦が泣いたことを知っている。

主な和解内容は、
@神奈川県が和解金として440万円を支払う。
A学校全体としての適切な対応をとらなかったことに陳謝し、香澄の苦悩を癒しその心身の状態を改善させることができなかったことについて遺憾の意を表する。
B野庭高校において、平成10年当時、香澄が自殺を図った当日も他の生徒に対し部活でいじめられていると電話で話したという内容について、原告らに一切知らせることがなかったことについて、深く傷ついていること、遺族が真実を知りたいという基本的かつ切実な要求を有していることを理解し、法令の範囲内において、最大限配慮した教育行政を実践することを約束する。
C生徒らに書かせた作文について、これらに含まれる香澄に関する情報を集約した文書(ただし、個人名及び作成者について判別できないようにしたもの)を作成し、一審原告らに公布する。一審原告らは、この文書の内容を口外しないこと及び第三者に開示しないことを約束する。
D神奈川県は、抜本的ないじめ対応策について検討する等、同種事件の発生を棒することに尽力することを約束する。
など。


裁判で小森夫妻が真に望んだことは、賠償金でも、心のこもっていない謝罪文でもない。
香澄さんに何があったのか、何に死ぬほど苦しんでいたのかを知りたい、それだけだった。そして、再発防止。
再発防止に関してはすでに、神奈川県教委に対して、野庭高校に対して、あきらめた。自ら、NPO法人をつくり、体験を語ることで、いじめ事件の再発防止に乗り出した。

1審での原告勝訴。そして、頻発するいじめ自殺、小森美登里さんがテレビにも出ることが多くなったことも影響しているのではないか。神奈川県側も和解に応じ始めた。
しかし、そのなかで、県側は、裁判が終わったら、生徒らに事件後書かせた「作文」を破棄、もしくは本人に返すと発言したという。

作文が教育委員会の手元にある間は、開示をめぐってあらゆる手段を講じるつもりだった。しかし、破棄されてしまえば、あるいは生徒(小森さんは再三、元生徒らに開示のお願いをし、残っているものは、開示許可の回答を得られなかったものばかり)の手元に返ってしまえば、永久に失われてしまう。そうなったときに、「美登里の精神が崩壊してしまう」という危機感を夫の新一郎さんはもったという。
実際に、遺族が公開を願い出ている、開示請求が出されている、作文を焼却したり、シュレッターにかけたという例はいくつもある。わかっていて処分したとしても、責任を追及されて処分の対象になることはない。

判決を取るか、作文を取るか、二者択一を迫られて、「作文」を選ばざるを得なかった。
和解に調印した後で、手渡された「作文を個人が特定できないように要約したもの」。作文の内容は、要約されたものであっても、一切口外しない約束になっている。

美登里さんは、記者会見での記者の質問に、「満足のいくものではなかったが、見たいと思っていたものが見られた」と一定の評価
をしている。
遺族からの問い合わせに対して見せることを同意し、今回の和解以前に、すでに見ることができた作文のなかには、香澄さんから亡くなる当日に、いじめを打ち明けられていたと書いていた生徒の作文もあった。
にも、かかわらず、学校側は「調査の結果、いじめにあたるとは考えていない」とし、作文は「被害者の親に見せる前提には書いていない」「生徒との信頼関係が崩れる」という理由で、一切、開示してこなかった。

小森さんは、情報開示のために、あらゆる手段をとっていた。裁判所命令で作文を提出できないかと、裁判のなかで、別に1年間を費やして、「裁判官がインカメラという形で読んで判断してくれてもいい」「個人が特定できないように、要約の形でもいい」と粘り強く訴えてきた。しかし、叶わなかった。

様々な理由をつけて、今まで出てこなかった「作文」。それが、生徒らに同意をとったわけでもないのに、「要約して開示」という形で、裁判を県側が有利に進める道具として使われてしまう。

作文を要約して開示した例は、いじめ自殺した前田晶子さん(910901参照)の前例がある。小森家の裁判でも、そのことが示され、このような形でも見せられないかと打診している。しかし、却下された。
前田さんの場合は、裁判が終わったあとに、作文を処分されないたの保険として、お母さんが開示請求をかけていたことに対して、町田市情報公開・個人情報保護審査会(会長=藤原静雄・國學院大教授)は、請求を棄却する答申をする一方で、「自殺から相当の時間が経過したことや両親の心情に配慮して例外的に」残っていた作文289点の内容を整理した別紙を答申書に添付して、遺族に示した。遺族も、まさかこんな形で見られるとは思っておらず、当時の「作文」に書かれたありのままの晶子さんの姿に随分、癒されたと話した。

しかし、今回のは町田市の例とは違う。そういう方法があると知りながら、「できない」と拒んた゜。それを今さら、自分たちで提案して出してきた。「和解」と引き換えに。
「なんだ、見せられるんじゃん!」「ならば、なぜ、今まで見せてあげなかったの?」というのが、率直な私の感想。
見せられるのにの見せなかった。その理由は、子どもたちのプライバシーに配慮してではないことは明白だ。
見せるとまずいことが書いてあるから見せなかったのだ。「いじめはなかった」という結論を覆してしまうことが書いてあったから見せられなかったんだとしか思えない。
結局、さまざまな理由は、自分たちを守るためのこじつけでしかなかったことは明白だ。

しかも、条件として、内容を一切、口外しないことになっている。
小森さんは言う。もし、裁判前にこの情報が出ていたら、1審裁判の結果ももっと違っていたものになっていたと思うと。言葉や態度でのいじめの立証は、被害者が生きていてさえ困難だ。まして、遺書も残さず、香澄さんは自死した。
立証責任は訴えた側(=原告)にある。

「作文」が真実の全てだとは私は思わない。自殺の直後であっても、事実を書く子もいれば、保身から書かない子もいる。だから、本当に「作文」にいじめの事実が何も書かれていなかったとしても、それは「いじめがなかった」ことの証拠にはならない。
しかし、少しでもいじめの事実が書かれていたとしたら、真実を追究する手立てにはなる。様々な証言や事実をつき合わせて、矛盾を突いていくことで、具体的には形に残らない言葉や態度でのいじめを立証することもできる。新たに、証言を促すこともできる。
しかし、事件から10年。その機会は永遠に奪われて真実を追究する手立てはあったのに、隠されてしまったのだ。


同意を取らないで出している文書は、裁判前になぜ出せないのか?
原告代理人の栗山博史弁護士は言う。子どもが亡くなって、学校が原因ではないかと思われるとき、在学契約関係に基づいて、学校側は「必要に応じて報告する義務がある」と認定されている。しかし、「必要に応じて」は多くが、学校の裁量に任されている。
学校と被害者との間で、作文をめぐって「対立する利益」。本来、いじめがあったかもしれないというときに、学校と被害者とが対立すること自体がおかしなことであると私は思う。

文科省は、通達のなかでくどく、「被害者の立場にたって」とか、「情報を共有して」と言っている。これを真面目に受け取るなら、被害者の立場にたって、情報を共有するのであれば、けっして対立などしない。家庭と学校とがもっている情報を出し合い、一緒に真実を追究し、反省と謝罪を促し、再発防止に努めればいい。それは、遺族の願いとも合致することだ。

山口県下関では安部直美さん(050413)の保護者が、福岡県筑前町では森啓祐くんの保護者が、亡くなったわが子の情報を求めて奔走している。法務局も、警察も、格別の取り計らいとしながらも、出てくるものは黒塗りばかり。
これを開示したからといって、どんな社会的混乱があるというのだろう。むしろ、もう混乱は起きている。情報公開は混乱を沈め、防止策に役立つ。

情報公開法には、「不開示情報が記録されている場合であっても、行政機関の長又は独立行政法人等が公益上特に必要があると認めるときは、開示することができる」とある。
そして、個人情報保護法には、「内容の正確性の確保」と「透明性の確保」がうたわれている。
法務局は、亡くなった子どもの親は第三者ではなく、「当事者」であることを認めている。

いじめがあったにもかかわらず、「なかった」と書かれるのは、「内容の正確性」に反している。行政だけが内容を見ることができ、どう使うかを決める権限を持っている。
いじめが蔓延し、自殺者も多く出ているなかで、「いじめ」の事実を突きとめ、加害者には反省と謝罪を、被害者には心のケアとなるような情報を提供することは公共の利益に合致すると思う。

逆に、情報を開示しないことで、相手を死に追いやるほどの違法行為をしたものたちが、個人を特定されず、謝罪も、賠償もしないで、行政に守られ、被害者が泣き寝入りしなければならないということは、法治国家で許されることだろうか。法は生命と財産を守るためにある。失われた命の損失をどう取り戻すのか。さらに、いじめを放置すれば、次の生命が脅かされる危険性があり、本来受けられるはずの補償、賠償が受けられないことは、財産を不当に奪われることに等しい。

親には知る権利がない。裁判を何年も続けたあげく、ようやく手にできたものは、A4用紙で実質5ページ程度。
この不当な和解を、今後の親の知る権利獲得に生かしたい。せめて。

和解翌日の今日(12/22)は、香澄さんの誕生日。生きていれば25歳。そして、美登里さんはこの日も、子どもたちへの講演に行っている。

なお、小森さんの裁判の報告会と、親の知る権利を求めるシンポジウムを2008年2月10日(日)に、前回同様、田町で予定している。詳細は後日、当サイトにて。前回、間に合わなかった(10月末と言っていたのに、実際には12月12日に回答)文科省への質問書の回答(「知る権利」参照)についても議論を深めたい。



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