わたしの雑記帳

2005/11/6 夜回り先生こと水谷修先生の講演を聴いて


2005年11月1日(火)、埼玉県で、埼玉ダルク支援センター主催の水谷修先生の講演会があって、参加した。
夜回り先生こと水谷修先生は、NPOジェントルハートプロジェクトの賛同者でもある。しかし、超多忙なため、私自身は直接お会いする機会は今までなかった。
本は何冊か買って読んでいたし、何回かテレビでドラマ仕立てになったものやドキュメンタリーを見たこともある。
講演の内容は、本に書いてあることとほとんど同じということは事前に聞いていた。実際に、そうだった。しかし、本物の迫力がある。ビシビシと伝わってくるものがある。
そして、大人には、とても「痛い」内容だった。この痛みをどこまで、持続できるかが一人ひとりに今、問われているのではないかと思う。

今回は、1年前にできたばかりだという埼玉ダルク支援センターが主催ということもあって、薬物問題に力が入っていた。
1998年から第3次薬物汚染期に入ったということ。とくに、前の2回と違ってより深刻なことは、対象が中高生など10代の子どもたちに広がっているということ。すでに、小学生の薬物依存さえ出ているという。
かつては、暴力団といえども、子どもには薬物を売らなかった。金をもっていないということ。子どもは日本の未来であるということ。日本の未来をつぶしてしまったら、自分たちの未来さえないということを自覚していたという。

それが、今や10代の子どもたちが対象になっている。売人は私たちのすぐ身近にいる。絵画やアクセサリーを露天で売っている外国人。若い子をみかけると、声をかける。
今の子どもたちは金を持っている。女子は売春で稼がせることができる。男子はパシリとして、あるいは売人として使うことができる。
そして、大人たちは自分が使っていたとしても、違法性も知っているいるから、簡単には知人、友人に勧めたりはしない。しかし、子どもたちは必ず集団でやるので怖いという。みんながやっているという理由で全員がやる。先輩から、仲間から誘われたら断れない。若者の感染症は面で広がるという。

とくに暴走族は薬物のもっとも身近にいるという。大抵の暴走族は、暴力団と師弟関係にある。暴力団はあらゆる薬物を扱う。暴走族に入れば、自ら使うか、売るかするようになる。
親との信頼関係がある程度あったとしても、止められない。むしろ、親の悲しい顔を見たくなさに、心の傷を埋めるために、シンナーや薬物を使うようになる。まじめな人間ほど、まじめに薬物にはまっていくという。

私が今回、とくに注目したのは精神科投薬。水谷先生いわく、「シャブより始末に悪い」。
子どもたちが抱える心の問題を薬で安易に解決しようとする傾向。しかし、依存性は強く、耐性があるために量がどんどん増えていく。しかも、非常に複雑にできているために、いちばん治せないという。薬を大量に服用するオーバードーズの問題もある。
薬を与えることは治療ではない。心は環境を変えることでしか変えられないという。

私自身、精神科医が処方する薬について、以前より疑問を抱いていた。
精神科医は、「今はいい薬がありますから」と言う。「飲むことを恐れることはない」「薬で楽になる」と言う。一方で、服用したことのあるひとからは、「勝手に体が走り出しそうになった」「自分で自分の感情がコントロールできなくなった。とても辛い」という話をきく。家族からも、「何もわからない状態になってしまった」「あんな様子は二度と見たくない」という話を何人もから聞いた。
このギャップはなんだろうと、ずっと思っていた。
「楽になる」のは誰なのか。周囲の人たちが楽になるということなのか。本人は楽にはならないのではないか。もっと苦しくなるのではないか。しかし、精神的な病にかかったときに、本人の意思は尊重されない。本人の楽さ・苦しさより、見た目の大人しさが優先される。
「患者のため」という専門医の言葉に、素人は逆らえない。
もっと、患者にとってどうなのか、ほんとうのことが知りたいと思う。
水谷先生は、薬というのは、毒をもって毒を制するという考え。すべての薬は怖いものであることを子どもたちに教えていかなければならないという。

現在、売られている薬物の怖さは、依存性だけではないという。安いものはほとんど合成麻薬といわれるもので、これらは脳を壊す
また、シンナーにガソリンを混ぜたり、麻薬に猛獣用の麻酔薬を混ぜたりして死に至らしめた事件も起きている。
高い薬をより利益をあげるためにほかのものを混ぜて量を増やして売る。もともと違法なものを売って商売にしている人間が、使用する人間の後遺症や死に至るかどうかなどに気を配るはずもない。
シンナーや薬物は脳や神経を壊す。これらは、1回壊れたら二度と回復するということはない。

また、HIVに感染し、エイズを発症して亡くなった少女の話も出た。今は、発症が抑えられるような薬も開発されている。かつてのように、必ずしもHIV感染イコール死ではない。しかし、型によってはどうしようもない場合もある。HIVに感染して自暴自棄になった少女は、世の中への復讐として、不特定多数と性交渉を続けた。結果、後戻りできないところまでいってしまった。
壮絶な最後を水谷先生は看取ったという。そして、少女の願いに応えて、これ以上、同じ思いをする子どもたちが出ないようにするために、少女の話をどこに行ってもするという。

リストカット、ドラッグ、HIV。なぜ、子どもたちははまるのか。
今は、攻撃的な言葉の時代。やさしい言葉が消えているという。
水谷先生は子どもたちに言う。「見えない相手を信じるな」「言葉はひとを支配する」
やさしくない社会のなかで、唯一やさしい言葉をかけてくれる悪い大人たちの罠にはまる。
だから、大人たちには、子どもたちをほめてほしい。美しい、やさしい言葉をかけてほしいと訴える。しかし、親にはもう期待しないという。子どもは親を選べないから。学校の先生にやさしい言葉を子どもたちにかけてほしいという。10ほめて、1叱る。美しいものが、子どもたちを危険なものから遠ざけるという。
昼の世界がやさしくなければ、夜の子どもたちを救えない。みんな、本当はやさしさのなかで育ちたいと願っているという。


今回、水谷先生の話を聞いて、改めてジェントルハートプロジェクトと同じ方向であることを確認した。
「やさしい心が一番大切だよ」。小森香澄さんが私たちに残してくれた言葉の大きさ。
15歳で亡くなった少女の言葉にすでに集約されていたことの奇跡。いじめで深く深く心を傷つけられた香澄さんだからこそ、一足飛びにその言葉にたどり着いた。
そして、水谷先生は言った。「僕が話せば、聞いた一人ひとりの心のなかに亡くなった子どもの思いが残っていく」
遺族が、そして私が、子どもたちの前で、大人たちの前で、亡くなった子どもたちのことを話す意味。活動は別々であっても、通じる思いを感じた。

水谷先生は言う。「もう、僕の時代じゃない」。ガンを患い、死を覚悟している。今、クローズの方向で毎日毎日、一瞬一瞬を過ごされていると感じた。ひとつの方法として、自分のいないあとの子どもたちをダルクという組織に託そうとしているのではないかと感じた。
ただ、水谷先生が抱えている子どもたちは薬物依存だけではない。その引き受けてをどうするつもりなのか。
日本の国で、第二の水谷先生が出ることは、正直いって難しいと思う。

ただ、ひとりで担うことは無理でも、たくさんの大人たちが担うことはできると私は思っている。
海外には、ストリートチルドレンたちのために、NGO職員・ボランティアによる「ストリートエデュケーター=路上の教育者」と呼ばれる人たちがたくさんいる(mexico me050402 me050417 参照)。子どもたちが路上生活から抜け出すために物心両面の支援、あるいはより安全に路上生活をするための知恵と知識を普及させる活動を行っている。路上の子どもたちが抱える問題、家庭や路上での大人たちからの虐待、シンナーやコカインなどの薬物依存、性感染症、精神的・経済的自立。日本の子どもたちが今、抱えている問題に長い間、真剣に取り組んできた人たち。
福祉施策から、ストリートチルドレンがいないとされている日本の国にも、路上の教育者たちは必要ではないかと私は思う。そして、そのノウハウを持っている第三世界と呼ばれている国の人々に、そしてNGO組織にもっと学んでもよいのではないかと思う。

そして、やり方はそれぞれ違っていてもいい。子どもたちに、この国の未来のために何ができるか、考える大人たちが一人でも多くなればいいと思う。
一人ひとりが、今の自分にできることをしていくこと。必ずしも、スターはいなくてもいいと私は思っている。けっして水谷先生を否定するわけではなく、あれだけのことができる人は、そうそうはいないと思うから。
水谷先生と出会えた子どもたちは幸せだと思う。そして大人たちは、その意思をたとえ少しずつでも担っていく義務があると思う。子どもたちの苦しさは、子どもたち自身がつくりだしたものではなく、大人たちがつくりだしたものだから。

************

なお、埼玉ダルクは薬物依存についての連続講座を行っている。水谷先生の講演はその一環として行われた。次回は、11月18日(金)18時から、 埼玉会館(JR浦和 西口)にて。
詳細は埼玉ダルクのサイト(http://www.saitama-darc.e-doctor.info/ の「お知らせ」)を参照。





HOME 検 索 BACK わたしの雑記帳・新