わたしの雑記帳

2005/4/2 メキシコから、ナチョさんが来る!


ストリートチルドレンを考える会の招聘で、NGOプロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェから、4月13日(水)から25日(日)の予定で、ナチョさんが来日する。(インフォメーション参照)

イグナシオ・ペレス・モンドラゴンさん(29歳)通称「ナチョ」。
「プロ・ニーニョス」に入る前も、「カサ・サンフランシスコ」という男子定住ホームで1年半、「カサ・ダヤ」という幼いシングルマザーとその子どものための自立支援ホームで2年間活動していた、「ストリートチルドレン」支援活動のベテラン。「プロ・ニーニョス」では4年半前から働いており、現在は、エデュケイターの活動全体を取り仕切る、教育オペレーションコーディネイター。

プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」とは?
1993年、メキシコの首都メキシコシティに設立された現地組織。路上の子どもたちが自らの可能性をのばし、自尊心を取り戻すことで、自分の意志で路上生活を抜けだし、よりよい人生をつかみとっていけるよう、「路上での活動」、「デイセンター(昼間だけ通うための施設)」、「人生の選択(路上生活をやめる決意をした子どもたちへの支援)活動」の3つの段階で、子どもたちを支えている。
(わたしの雑記帳 番外編 2002.メキシコ 参照)


プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェは、メキシコのストリートチルドレンを支援する組織のなかでも、私が大好きなNGOのひとつ。スタッフの多くは、他のNGO出身者。
路上に出て直接、ストリートの子どもたちと接するスタッフのことを、ストリートエデュケーター=路上の教育者と呼ぶ。

彼らの目指すもの、彼らの悩みは、日本で子どもの問題に取り組んでいる人たちと共通するのではないかと私は思う。
子どもたちのためにと安い手当で献身的に働く。一方で、せっかく救いあげた子どもたちが、再び路上に戻ってしまう。成果が見えないことへの焦燥感。あきらめ。そして、バーンアウト。

ストリートチルドレンの多くは、貧困と家庭内虐待から逃れるために路上に出てきている。もっとも、最近ではメキシコでも日本と同様、虐待はなくとも、都市にあこがれて、自由気ままな暮らしを夢みて、家族との間になんとなく苦しさを抱えて、ストリートチルドレンとなる子どもたちも増えている気がするが。

虐待を受けた子どもたちの傷は深い。一見、気楽に見えて、危険の多い路上暮らし。そこで再び、心身ともに傷つけられる。大人たちによる搾取、性的虐待、暴力。ドラッグの誘惑。エイズの蔓延。
傷が深ければ深いほど、そして路上暮らしが長ければ長いほど、立ち直りは困難となる。

心と生活の両方を支える大人たちの存在が必要になる。
しかし、現実には困難が多い。子どもたちは大人を信用しない。仲間に引きずられやすい。一度、覚えたドラッグはやめられない。心と体をボロボロにしていく。
せっかく、NGOの施設に入っても、規則の厳しさや職員・仲間とのトラプルで、簡単に路上に舞い戻ってしまう。何度も、何度も裏切られて、それでもチャンスを与え続ける。救える子どももいる。救えない子どもも大勢いる。

やさしくない社会。せっかく本人がその気になって、職員が仲介して再び家庭に戻っても、親の考え方が変わらなければ、虐待は繰り返される。好きな相手を見つけて恋人同士になっても、その相手から暴力を振るわれる。
信じるたびに相手から裏切られて、ボロボロにされていく。ドラッグで廃人にされる。交通事故で、暴力で命を奪われる。エイズを発症して死んでいく。

子どもたちも傷つくが、それを支えるスタッフも傷つく。熱心なひとほど、自分のやっていることに疑問を抱いて辞めていく。また、理想に燃えていた組織が、巨大化するにともない、官僚的になっていく。子どもたちを救う組織から、傷つける組織へと変容する。スタッフの心の内もいつの間にか変化していく。時間をかけて子どもたち一人ひとりに寄り添うことをやめて、もっと効率のよい方法、脅したり、強制したりする方法に流れやすい。

プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェで私が見たものは、スタッフの悩み、試行錯誤して新たな道を模索する姿だった。子どもたちと同じ目線になる努力。明るい笑顔、やさしさと、哀しみが、ここのスタッフには感じられた。
もちろん、ナチョさんもその一人。数時間の出合いで何がわかると言われるかもしれないが、短期間に多くのNGOを回ったからこそ、その違いを実感した。

本当は、ママ・ビッキーを呼ぶはずだった。それが、再び体調の関係で来られなくなった。もし、ママ・ビッキーが無理なら誰を呼ぶかの話し合いで、プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェのスタッフを呼びたいと全員が一致した。ここのスタッフならば誰が来ても、きっと私たちが得るものは大きいだろう。そう思った。

夜回り先生・水谷修さん。ジェントルハートプロジェクトの支援者のひとりとして名前をいただいてはいるが、超多忙なうえに病気で、お会いしたことはない。しかし、テレビや著作で知って、水谷修さんは日本のストリートエデュケーター、路上の教育者なのだと思った。無名だけれど、そんな素晴らしいひとがたくさん育っているメキシコのNGOは、私にとって、あこがれでもある。

ストリートチルドレン。措置として子どもたちを保護している日本では建前上はいないことになっている。
しかし、現実にはどうだろう。虐待から逃れて、あるいは家にも学校にも居場所がなくて、路上にたむろする若者たち。夜になっても帰る場所がない。帰りたい場所がない。
彼らを食い物にする大人たち。搾取される子どもたち。蔓延する暴力。ドラッグ、エイズ。ただ力で押さえ込もうとする警察権力。無関心な世間一般。メキシコと日本のどこに違いがあるだろう。

昨年、日本にもカリヨン子どもセンターができた。民間の子どもたちの避難場所。まだ、ほんの一歩でしかない。メキシコのNGOと日本の組織、個人。互いに学び会えたらと思う。
かつて、同じくメキシコのNGO「カサ・ダヤ」から、スタッフと幼いシングルマザーの母子とがストリートチルドレンを考える会の招聘で来日した(me010214 参照)。その時感じた確かな手応えを再び、ナチョさんの来日で確かなものにしたいと思う。




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