わたしの雑記帳

2005/3/19 小森香澄さんの裁判(2005/3/15)第10回の傍聴報告・吹奏楽部顧問のT教諭の尋問


2005年3月15日(火)10時より、横浜地裁101号法廷にて、小森香澄さんの裁判(平成13年(ワ)2713号、山本博裁判長、井上薫裁判官、三橋泰支裁判官)があった。
今回は、当時、吹奏楽部の顧問団の窓口をしていたT教諭の証人尋問。
証言の声が小さめだったこと、この報告を当日に書くことができなかったこと、自分の書いたメモを読むと最初のほうの質問での答えと、後の質問との答えとで矛盾があったりして、所々、内容に自信が持てない箇所がある。訂正の指摘があれば順次、直していきたいと思うので、ご了承を。

T教諭は原告被告ともに証人申請していたということで、先に県(被告)側が主尋問を行った。
Q:平成10年当時の状況について。
A:当時、2年生の副担任だった。香澄さんのクラスを担当したことはない。香澄さんの顔と名前が一致したのは、6月23日がはじめて。

Q:あなたは、「心因性反応うつ状態」という診断書を見たか?
A:この日(6月23日)に見せてもらった。
Q:香澄さんのことについて、他の吹奏楽部顧問とは話したか?
A:吹奏楽の練習で朝は早く、夕方は遅い。入学して馴れないうちは体調をくずす生徒もいる。吹奏楽部の1年生の何人かが体調をくずしていた。香澄さんも、その中のひとりだった。

Q:その時に、母親の美登里さんと香澄さんへの対応の話をしたのか?
A:当日は球技大会で人がいなかった。担任のN教諭は休みで、副担任は球技大会の係りをしていていなかった。母親の美登里さんが動揺していたので、早く話を聴いたほうがいいと思った。
話したのは20分程度。最初の10分は、美登里さんはとても動揺しており、泣き出したりした。残り10分は落ちついてきた。

Q:美登里さんの陳述書には、T教諭に一部始終を詳しく話したとあるが?
A:香澄さんが家の中でナイフを持って落ちつかない状態になってしまったという、その日の出来事が中心だった。
Q:3人の生徒については話したか?
A:Aさんが朝、迎えにくるのを香澄さんがよく思っていないのに、迎えにくるという話があった。Bさん、Cさんについては聞いていないと思う。
Q:香澄さんがいじめを受けているという話はあったか?
A:なかった。
Q:美登里さんの陳述書には、3人に対する適切な指導を求めた、要望したとあるが?
A:その日にあった出来事と、Aさんとの友達関係で悩んでいるということだけだった。

Q:Aさんはどういう生徒だったか?
A:当時、自分は2年生の副担任をしていた。吹奏楽部の顧問ではあっが、1年生は入学してまだ4カ月。名前と顔が一致していなかった。したがって、Aさんがどういう生徒だったかはわからない。
Q:美登里さんは、T教諭は「話を聴いているだけでこちらも動揺します」と言ったというが?
A:そういうことはない。その日は聴くことが主だった。こういうセリフは言わなかった。
Q:美登里さんの話を聴いたあと、どうしたのか?
A:美登里さんの話だけではわからないところがあったので、香澄さん自身からきちんと話を聴かなければと思った。そのことは美登里さんに話した。

Q:ナイフ事件のことは、管理職に報告しなかったのか?それはなぜか?
A:1つには、家庭内で起こった事件だったこと。2つ目として、香澄さんについて私自身が、報告するほどよくはわかっていなかった。吹奏楽部の顧問団は6人いる。顧問会で報告しようと思った。H氏にも伝えた。
Q:養護のK教諭には話したのか?
A:たまたま職員室にいたので、立ち話程度には話した。

Q:7月17日に美登里さんと話した内容について。
A:そんなに長い時間ではなかった。5分程度だった。
Q:青少年センターの説明は受けたか?
A:受けていない。

Q:7月18日に香澄さんと話したのか?
A:香澄さんは終業式に、職員室の副担任のところに通知票をもらいに来ていた。話は保健室で聴いた。私と話をすることは予期していたみたいだった。
Q:どのような話をしたのか?
A:香澄さんが話すのを一方的に聴いた。とても元気になった。気持ちに整理がついて、とても明るい表情をしていた。追いつめられていたり、自殺するようには感じられなかった。

Q:そのことは、母親の美登里さんには報告したのか?
A:した。今日はいろいろ話してくれた。落ちついて帰りましたと報告した。具体的な話はしていない。電話は短かった。
Q:具体的な話をしなかったのはなぜか?
A:香澄さんの話の内容を聴くというだけで、「どうして?」「なぜ?」と聴かなかった。原因についても、こちら側がよく把握していなかったので。
Q:美登里さんは、「違うんです。騙されているんです。これで大丈夫かなと思わせて、実は大丈夫ではないんです」と言ったというが?
A:聞いた記憶はない。あとになって、亡くなってから、そのような内容を聞いた記憶はある。
Q:7月18日、K養護教諭とはどのようなことを話したのか?
A:この日は香澄さんから話を聴いただけで終わりだったので、もう少し様子を見ようと話し合った。7月末には担任のN教諭(病気で入院中だった)が出てくるからと話しあった。

Q:香澄さんが亡くなったあとのことについて。部活動の生徒たちには、どのように話したのか?
A:7月26日、管理職から部活動を自粛させるようにと話があった。生徒たちには、「小森香澄さんが生死に至るような事故を起こしてしまいました。部活動に係わることが原因の可能性があるので、しばらく自粛します」と話した。
Q:いじめがあったというような話し方をしたのか?
A:あの事故の原因が、部活動の人間関係にあるというような話し方はしていない。

Q:作文を元にして、生徒から個別に話を聴いたということだが、あなた自身、何人くらいの生徒に話を聴いたのか。その時のメモや報告書は存在するのか?
A:2年生の部員、何人かには聴いたが、個人名は記憶にない。メモは残していない。管理職には口頭で報告したので、書いたものはない。
Q:聞き取りをした生徒のなかに、いじめを見聞きした生徒はいたか?
A:いなかった。

*******************
ここからは、原告代理人の栗山弁護士の尋問。

Q:平成10年8月に、あなたはワープロでまとめたものを教頭に提出している。そのいきさつについて。
A:管理職から、顧問として香澄さんとどう係わってきたかをメモにして提出するよう指示があった。記憶に基づいて書いた。提出したのは1枚のみ。
Q:7月18日に香澄さんが「沈めたい」と言った人物の名前が、その時のメモと後でとは違っている。内容が間違っていたと確認したのはいつか?
A:8月初旬に管理職にメモを提出したとき、話の中で気が付いた。
Q:間違いだと気づくきっかけとなった質問は?訂正するメモは改めて出したのか?
A:きっかけは覚えていない。訂正メモは出していない。
Q:管理職はあなたとの話のときに、メモをとっていたか?
A:覚えていない。

Q:顧問団の打ち合わせを召集するのは誰か?参加するのは誰か?
A:基本的には6人の顧問全員。嘱託も都合がつけば参加する。H指揮者や父母会長も必要があれば、他の顧問と相談して参加してもらう。
Q:打ち合わせは定期的にあったのか?
A:定期的にあった。月1回くらいだった。
Q:そこでは、どんな内容が話し合われるのか?
A:主に翌月の予定の確認をする。生徒間の人間関係やトラブルが話題になることもある。平成10年の4月から7月にかけては、体調を崩している1年生が何人かいたので、その子について話をした。
Q:香澄さんについて打ち合わせをしたことはあるか?記録したものはあるか?
A:香澄さんについては、体調が悪いという程度。会議の記録はつけていない。

Q:指揮者のHさんに生徒が悩みを相談することはあり得ると思うが。
A:あり得るとは思った。
Q:一般論的に、部活内での生徒間トラブルを解決しようとする場合、先生が介入するのか?それともHさんか?
A:顧問団が中心になってということになる。
Q:その場合、生徒間の問題を解決するために教師が介入するかどうかの見極めは誰がするのか?
A:顧問は部活にほとんど顔を出さない。職員室で不測の事態に備えている。しかし、部員たちには授業で会うので、何か困ったことがあれば、各学年いる顧問に相談すると思う。また、担当の学年でなくとも、話しやすい先生に相談に行ける体制にしていた。

Q:Hさんからは定期的に情報を集めていたのか?
A:こちらからしなくとも、何かあればHさんから報告が来た。平成10年7月15日に、母親が来たときにカッターナイフの話を聴いたと話した。それだけ。
Q:この法廷で、H氏は「特別なことがあれば顧問に報告していた」と証言しているが。
A:私は受けていない。

Q:6月23日にうつの診断書を見て、驚いたか?
A:驚いた。
Q:一般的に、うつが自殺に結びつくことがあるという認識を当時は持っていたか?
A:もっていた。
Q:香澄さんのうつの原因をどう考えたのか?
A:精神的ストレスを抱えて病的反応を起こしている、病気を抱えているのだなと思った。
Q:5月の連休明けに香澄さんのアトピーがひどくなって、保健室に出入りしていたのを聞いていたか?
A:その時は聞いていない。

Q:美登里さんが診断書を見せたとき、T教諭は話の途中で加わったということだが、うつの原因について話していたか?
A:記憶にない。
Q:担任のN教諭は香澄さんがどんなことで悩んでいると思っていたのか?
A:よくわからなかった。
Q:香澄さんがトロンボーンの初心者で、悩んでいると聞いていていたか?同じパートのBさん、Cさんと上下関係が出来ているとは聞いていたか?
A:練習のことで悩んでいるとは聞いていたが、詳しいことは知らない。
Q:N教諭から、香澄さんがAさんの迎えのことで悩んでいると聞いたか?
A:聞いていない。
Q:N教諭はT教諭に、パート内で初心者と経験者とで上下ができてしまうということを伝えたと言っているが。
A:聞いた。
Q:Aさんの迎えがプレッシャーになっているということは?
A:Aさんのことは聞いていない。N教諭から聞いたのは、2人のことだけ。

Q:T教諭は母親の美登里さんに何かアドバイスをしたか?
A:していない。N教諭がしたので、とくに同じ様なことはしていない。頷くくらいのことはしたかもしれない。
Q:美登里さんはクラス替えのことを話したというが。
A:N教諭は「即答はできない」と言った。美登里さんは納得したようだった。
Q:美登里さんはなぜ、クラス替えのことを言い出したのか?
A:廊下の立ち話だったし、途中から入ったので、私のほうからは何も。クラス替えはデリケートな問題であり、まだ6月で、この先、どう友人間関係が変わるかわからない。あの時点ではクラス替えはできないと思った。
Q:あとでN教諭に、あれはどういう話か聞いたか?香澄さんと同じクラスにBさん、Cさんがいたことは認識していたか?
A:後で聞いて知った。
Q:6月23日には、香澄さんがどういう原因でうつになっているか認識していたか?話をしている場面に香澄さんが来たということだが、本人からどういう悩みがあるのか聞いたか?
A:聞いていない。

Q:美登里さんが、T教諭に「香澄は自分から話せないので声をかけてほしい」とお願いしたと言っているが。
A:聞いていない。
Q:6月23日のあと、うつの診断書のことを他の教員に報告したか?
A:していない。N教諭が報告したかどうかはわからない。
Q:顧問団の打ち合わせで、話さなかったのか?
A:7月半ばの成績会議の時に、そういう話が出た。私のほうから話した記憶はない。他の先生が誰か知っているかは知らない。
Q:誰に報告したのか?
A:N教諭は香澄さんの担任だったので、学年担当や管理職に報告するだろうと思った。

Q:誰にも相談しなかったのはなぜか?
A:その時は、吹奏楽部の顧問として、何が原因かわからなかったので、しなかった。
Q:6月23日以降、香澄さんのうつ状態への対応を教員間で話し合いを持ったか?
A:立ち話程度はした。
Q:誰と?
A:記憶にない。会議はしていない。
Q:Hさんと、香澄さんのうつ状態への今後の対応を相談したか?
A:相談していない。
Q:美登里さんが香澄さんを病院や青少年相談センターにつれていったことは聞いたか?
A:聞いていない。

Q:7月15日以前に、K養護教諭と美登里さんのことについて話したことはあるか?
A:お子さんのことで悩んでいるということを聞いていた。しかし、具体的には聞いていない。
Q:K養護教諭は、香澄さんの心因反応うつ状態のことは知っていたのか?
A:わからない。診断書のことは話題にしなかった。
Q:とても大事なことではないのか?
A:記憶がはっきりしない。

Q:香澄さんの精神状態に対して、特別の配慮はしたのか?
A:母親が非常に心配しすぎるようだという話は聞いた覚えがある。子どものことを非常に心配するお母さんはいるので。具体的な話の内容は覚えていないが、話の内容はそういうことだったと記憶している。
Q:7月15日に、美登里さんが動揺していた。それに対して、どうしようとしていたのか?
A:悩みの原因は本人に聞くことが大事だと思った。夏休みの部活動中、特に注意して行こうと顧問で話し合った。
Q:7月17日に美登里さんは学校に行っている。香澄さんと一緒だったが、途中で香澄さんが「学校に行きたくない」というので一人できた。「明日、香澄が来ますので、話を聞いてやってください。聞いた内容を電話で知らせてください」と話したのを覚えているか?
A:電話で知らせてほしいというのは覚えていない。終業式に来るので、香澄から話を聞いてくださいと言われたのは覚えている。

Q:7月18日、他の生徒が下校した頃に香澄さんは登校している。終業式に参加しないで終わってから来たのはなぜかと考えたか?
A:うつ状態だったからかなとは思った。
Q:その時の状況について。
A:香澄さんが職員室に通知票を取りに来た。私もK養護教諭もそこにいた。事前にK養護教諭と香澄さんに話を聞こうと思っていたのでそうした。話をしたのは40分程度。
Q:K教諭とは事前に打ち合わせをしたか?
A:していない。
Q:香澄さんがどんなことで悩んでいるか、T教諭の認識は?
A:N教諭から吹奏楽部のパートのことで悩んでいると聞いていた。7月15日には、Aさんとの人間関係のことを聞いていたので、そのことかなとは思っていた。

Q:香澄さんが、(中学校の時の吹奏楽部顧問の)T石先生、お母さん、Aさんを沈めたいと言ったということだが、本当にこの3人は並列だったのか?
A:そうだ。

Q:どんな会話がスタートで、こういう発言になったのか?
A:覚えていない。いろいろ話をしていくなかで、そういう話になった。
Q:香澄さんのうつ状態の原因を知りたいという気持ちはあったか?
A:うつ状態なので、こちろからどうなのとは聞かずに、香澄さんがしゃべるのに任せて、聴くことに専念した。香澄さんが、なんでそんなことを言うのかなとは思った。
Q:あなたが教頭に提出したメモの7月18日(土)の所には、T石先生とAさんを沈めたいと書いてあって、陳述書に書いてある「お母さん」は書いていない。そんな大事なことを書いてないのは、どうしてか?
A:すみません。

Q:あなたがこのメモを書いたのは、8月初旬であり、香澄さんから話を聴いてから10日余り。教頭にメモを提出した段階で、母親の名前を落としているのは、元々なかったからではないのか?
A:いや、確かにあった。
Q:なら、なぜ書いていないのか?
A:当時はとても大変だった。特に事故後はすごくいろいろなことがあった。整理されていない時にメモを提出した。よくわからないうちに・・・。記憶が整理できなかったんだと思う。

Q:いや、このメモは箇条書きで書かれており、実によく整理されている。むしろ、時間の経過のなかで、記憶が混同しているのではないか。でなければ、事件の核心に触れるこんな大事なことを書いていないのは、理解できない。
A:聴いたというふうに記憶しているが、なんで書かなかったのか、当時のことはよくわからない。

Q:香澄さんは気持ちの整理をつけるように一気に話をしたとあるが、「どうして、これらの人を沈めたいの?」という質問はしなかったのか?どのような対応をしたのか?
A:香澄さんが言うことを繰り返したり、「○○なんだよね」と受動的に聴いた。
この日、一日で全部を解決しようとは思わなかった。香澄さんとゆっくり話をするのは、この日が初めてだった。K養護教諭とは打ち合わせはしなかったが、二人とも質問せずに、香澄さんの話を聴くことにした。
「沈めたい」というのは、核心に触れることなので、病気のこともあって聞かなかった。

Q:K養護教諭は、7月18日のところに、「Aさんはいつもそういう口調で話す。○○は抵抗するんだけれど、私はしない。注意もしない。聞き流すだけ。それでAさんに友達ができないとしても、それが私の復讐」と言ったと書いている。香澄さんはAさんの言うことをあえて聞き流そうとしていたのではないか?
A:香澄さんは自分の気持ちを整理するように、ひとつひとつを明確に話してくれて、Aさんとの関係がよくないというのはわかった。しかし、とても明るく話してくれたので、踏ん切りがついたのかなと認識した。
Q:では、香澄さんが落ち込んでいたから、質問ができなかったのではないのか?
A:違う。


Q:7月18日に美登里さんに香澄さんのことで電話した。それ以降は?
A:それ以降は電話していない。
Q:Aさんに話をしたことは?
A:ない。

Q:香澄さんが亡くなったあと、原因は何だったのか、話し合う機会はもったのか?
A:報告を管理職にした。
Q:作文を読んだあと、教師が分担して生徒の話を聞いたということだが、担当した生徒以外の全体的なことについては聞いたか?
A:全部を聞いたかどうかはわからない。管理職に報告をした時に他の顧問もいた。もっとも、報告をした時にいなかったひとがいたかもしれないが。
Q:陳述書には、いじめを見聞きしたという作文はなかったとあるが、いじめを見聞きしたと書いている作文や、香澄さんがいじめにあっていたということを聞いた生徒がいること、こういう作文があったことを知っているか?また、香澄さんが亡くなった日に、自分で「いじめられているんだ」と友だちに話していたことを知っていたか?
A:知らない。
Q:6月頃に、香澄さんがAさんにいじめを受けていると、Xさんに相談して、Xさんが注意したという内容を県が聴きとっているらしいということは知っているか?
A:作文には、香澄さんとどういうふうに関わってきたか、実際に見たことを書いて下さいと言って書いてもらった。ひとから聞いたことではなく、自分が見たこと、自分がかかわったことを聞いた。又聞きは、「実際に見たの?」と聞くと、「見たわけではない」ということだった。他の先生からの報告でも、「自分で見ました」はなかった。他から聞いたという報告はあった。
Q:作文等をふまえて、原因を議論したか?
A:結論を出したりはしていない。事故報告は管理職に任せて、指示に従った。

Q:7月24日、N教諭(担任)の休暇が終わって出てきたとき、7月18日の内容を伝えたか?
A:伝えたと思う。
Q:7月18日に香澄さんが、T石先生とお母さん、Aさんを沈めたいと言ったという内容をN教諭に本当に伝えたのか?
A:記憶があいまいで、よく覚えていない。


ここから、同じく原告代理人の関守弁護士からの質問。
Q:7月18日に香澄さんにうつの診断が出ていることをK養護教諭に言わなかったのはなぜか?自分ひとりで解決しようと思っていたのか?
A:覚えていない。自分ひとりで解決しようとは思っていなかった。私は、香澄さんの様子を見ていくしかないと思った。
Q:うつであることを重視していなかった?
A:そんなことはない。
Q:7月18日に、K養護教諭と香澄さんは病気だから聞かないようにしようと示し合わせたのか?
A:したと思うが、具体的には覚えていない。成績会議が終わっているので、7月中旬には、みんなが香澄さんがうつ状態にあったことを知っていた。

Q:7月18日までに、香澄さんのうつの原因が解消したという情報は何かあったのか?
A:聞いていない。私は原因がわからなかったし、ほかの先生がわかっていたかどうかはわからなかった。
Q:成績会議ではどういう話が出たのか?
A:香澄さんにうつの診断が出ていて、心の病なので、お休みが多いというようなことがメインだった。
Q:それで、どういう対応をしていこうと話し合ったのか?
A:様子を見ていこう、注意していこうと話した。

Q:吹奏楽部の顧問会議では話したのか?
A:注意していこうと話した。7月15日の件を聞いたその時に6人の顧問全員に話した。母親から聞いた話、改めて診断書のことも話した。
Q:注意していこうというのは、具体的にはどういうことか?
A:そのままの意味。様子をみながら、おかしいと感じたら報告する。

Q:それは夏休みに部活動があるから、その中でという意味か?部活動をお休みしてくださいとアドバイスをしながら矛盾しているのではないか?
A:出てきたら、学校では様子を見ることが一番大事だと思った。
Q:すでにN教諭はお休みしていた。その間、誰が責任をもって対処していたのか?1年生の学年の顧問か、5人全員か?
A:職員全員。
Q:7月15日以降、情報交換はしたのか?
A:学年はわからない。何かあれば開くことになっている。全体で集まった記憶はない。7月18日に、顧問のなかでは、立ち話程度はした。全員での話はしなかった。夏休みの終了式ということもあったので。

Q:7月18日、香澄さんの様子をおかしいとは感じなかったか?
A:感じなかった。気持ちの整理がついたようにみえた。
Q:以降は、どう対応しようと思っていたのか?
A:部活に来てくれたとき、話すきっかけがあればしようと思った。

***************
Aさんの代理人からの質問。

Q:7月15日に話したとき、美登里さんはAさんが迎えに来ることをよく思っていなかった?
A:よく思っていなかった。
Q:香澄さん本人から相談されたことは?
A:なかった。
Q:Aさんをあなたはどういう生徒だと思うか?
A:Aさんがどいう子か知らなかった。あの当時よりは知っているが。
Q:あなたはAさんが、わざわざ早起きして、相手が嫌がっているのを知りながら、わざと迎えに行くような特殊な性格の人間だと思うか?
A:そういうふうには見えない。

Q:7月18日、香澄さんが、「T石先生、お母さん、Aさんを沈めたい」と言ったというが、Aさんのことを気に入らない、よく思っていないということはあっても、香澄さんはAさんからいじめを受けているという話はあったか?
A:ない。
Q:この年頃は、友だち間の軋轢がある。それぞれが成長して克服していくべき問題だとは思わないか?
A:そう思う。
Q:香澄さんと母親との人間関係がうまくいっていないと感じたか?
A:感じた。

*****************
Cさんの代理人からの質問。
Q:6月23日の心因性うつ状態の診断のあと、香澄さんが欠席しがちなのは知っていたか?
A:知らなかった。
Q:7月15日のカッターナイフ事件のあと、友人宅に泊まったことは知っていたか?
A:事故後は聞いた。

Q:7月18日の香澄さんとの面談は重要な面談だった。元気そうだったというが、振り返って、うつが進行しているとは思わなかったか?
A:香澄さんとじっくり話したのは、初めてだったので。
Q:香澄さんの死後、何ができたか反すうしたか?どうすればよかったと思うか?
A:もう少し、あの時は、部活の顧問として部室に足を運んだり、こちらから働きかければよかったと思う。
Q:香澄さんと話したとき、メッセージをキャッチできなかったと思うか?
A:あれだけきちんと話してくれたのだから、そうは思わない。
Q:予防はできない?
A:その場、その場で最善はつくした。
Q:顧問間で、いじめや生徒間トラブルについての情報は入っていたか?
A:入っていない。

****************
原告・栗山弁護士から補足質問。
Q:成績会議のときに、うつの診断が出ていたことが報告されたということだが、K養護教諭も成績会議には参加していたのか?本人は法廷で、香澄さんが亡くなったあとに、うつの診断が出ていたことを知ったと証言しているが。
A:成績会議には、全員参加していたと思う。

*****************

裁判官が傍聴人を待たせて、別室で合議のあと、次回、Aさん、Bさん、Cさんを証人として呼ぶと言った。
それに対して、Aさん、Cさんの弁護士が強い拒否の姿勢を見せた。うわさだけで不法行為に該当しているかどうかもわからない、いつ、どこで、誰が何をしたという具体的な要件を満たしていないと主張。
対して、裁判長は、本人がすでに亡くなっているという事件の性質上、それはやむを得ないこと、原告側がぜひにと言っていることを挙げた。Aさんの代理人は、Aさんが法廷で証言することは、精神的に今なお不安定であり、耐えられないと思う、命の保障さえできない状態になると強い反論があった。
Bさんについては、この3人の中では一番、証言に耐えられるだろうとの代理人の話だった。

結局、次回は、そのあたりの事情を進行協議(非公開)で聞くということに決まった。
前回の裁判長からの和解の打診を蹴ったのは、被告側だと聞いている。全面的に争う姿勢を見せながら、当人たちを証人として呼ぶことにこれほど強い抵抗を見せるとは思わなかった。
むしろ、美登里さんのほうが、子どもたちを法廷に呼ぶことをためらっていた。それは、法廷で彼女たちの嘘が通ってしまったら、この先の人生をなめてしまうのではないかという懸念からだった。
多くの裁判で、被告の子どもたち、目撃者の子どもたちが、法廷という場でさえ、堂々と嘘をつき通してしまう。大人たちの予想を超えるふてぶてしさを目の当たりにしてきた。(もっとも、大人はそれ以上だが)
それが、子どもたち自身のためにならないことは明らかだ。そして、嘘がそのまま、通ってしまうことはなおさら。

一方で、学校関係者の証言が続くなかで、みんながみんな、母親の必死の訴えを目の当たりにしながら、ただ、心配性の母親と評価するだけで、誰も何も具体的には行動していなかったことが明らかになっている。ただ、話をきくだけ。
不登校、保健室通い、うつの診断書、カッターナイフ事件、「沈めたい」発言。どれをとっても、香澄さんのSOSは明らかであり、一刻の猶予もならない状態だった。素人目にもわかるほど、すでに切迫していた。母親が心配しすぎるどころか、教師たちがのほほんと構えていることのほうが異常な事態だった。
にも係わらず、教師間で情報は共有されなかった。部活動に6人もの顧問団がいながら、誰ひとり責任をもって、部活動内の人間関係に根ざしていると思われる問題に手をつけようとはしなかった。
周りの子どもたちが心配して、先生に相談したり、先輩が注意したりしているにも係わらず。
せっかく、香澄さんが話をしても、法廷や陳述書に書かれていることが事実だとしても、それならばなおさら、ただ聞いただけ。いつまでたっても様子見だけ。無関係な人間ににぐちを言ったわけではない。素人の電話相談でもない。具体的な解決を求められ、それを実行するだけの権限をもったひとたちが、親子の真剣な訴えをただ聞き流していた。

そして、事後の反省もない。話し合いさえもたれていないという。
すべて、親子関係に原因をもっていき、学校や生徒には問題はなかったとする。
せっかく生徒に聞き取りをしても、「実際には見ていないのか?」「又聞きなのか?」と、むしろ生徒の言葉を封じ込めている。「不確かな話はするな」「先生は何があったかを知りたいわけではない」との暗黙のメッセージを子どもたちに送っている。
いじめの多くは、隠れてなされる。特に女子間では。言葉や態度でのいじめは証拠が残りにくい。間接的な証言しかないのはむしろ当然だ。しかし、物的な証拠さえなければ、相手を死にまで追いやってもかまわない、責任を追及されないということを子どもたちに学ばせてしまってよいのだろうか。
言葉もりっぱな凶器になること。いじめはけんかとは違うこと。相手を傷つける不法行為であることを子どもたちにしっかりと教えるべきではなかったか。

法廷での証言。当時、一番鮮明な記憶で書いたものを、混乱していたので確かではない。あとで冷静になって思い返したもののほうが正しいという主張は、小野朋宏くの裁判(me041010)で、養護教諭が言っていたのとあまりにもそっくり同じセリフで、思わず失笑してしまいそうになった。

「香澄さんは全てを話してくれました。ふっきれたようです。もう大丈夫です」と母親に電話したというT教諭。香澄さんが話してくれたはずの「全て」は、証言のなかでは極めてあいまいなまま終わっている。
親は学校という現場にいられない。そこで、わが子に何があったかを知ることはできない。知ることができるのは断片だけ。その断片から何とか、少しでも真実に近づきたいと思う。
しかし、教師の言うことはくるくる変わる。それも、悪意に満ちたほうへ。死者を冒涜するほうへ。遺族を攻撃するほうへ。

当事者たちは真実を知っている。遺族の記憶は鮮明だ。忘れようとしても、忘れられるはずがない。
「そうじゃないでしょ!」「どうして本当のことを言ってくれないの!」「子どもが死んだというのに、まだ自分の保身しか考えていないのか!」叫びだしたい気持ちをぐっとこらえて、法廷でじっと相手の顔を見つめている。言いたい言葉を相手を前にして、呑み込まなければならないのは、拷問にも等しいかもしれない。

子どもたちの証言も、真実を語ってはくれないかもしれない。しかし、断片的であってもまたひとつ、思わぬところから真実の言葉がぽろりとこぼれ落ちることがある。また、自分自身のことは語れなかったとしても、学校が、教師が何もしてくれなかったことの証明をしてくれる可能性はある。
子どもたちにとって、裁判は、真実を語れる最後のチャンスになるかもしれない。「ごめんなさい」と言うことでどれほど楽になれるだろう。誰も身近な大人たちが教えてくれないのは、実はとても不幸なことなのだと気づいてほしい。子どもたちをつるしあげるという意味ではなく、自分自身のしてきたことに向き合えるチャンスを与えるという意味で、私は個人的に、被告になっている元生徒たちの証人尋問を望む。





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