わたしの雑記帳

2004/9/26 「大人のいじめ」と「子どものいじめ」、負の連鎖


2004年9月24日、さいたま地裁で、大人のいじめ自殺事件の民事裁判の判決が出た。

事件 2002年1月、埼玉県北本市の病院に勤務していた准看護師の男性(21)が自宅で首つり自殺。
裁判 両親が同僚の男性(30)と病院側に計3600万円の損害賠償を求めて提訴。
2004年9月24日、さいたま地裁の小林正明裁判長は24日、同僚らに1000万円の支払いを命じた。
被告側は「いじめはなかった」と主張していたが、小林裁判長は「同僚らは男性に使い走りをさせたり、帰宅後に呼び出すなどのいじめを3年近く繰り返し、自殺の原因をつくった」と認定。病院側も職員の安全配慮を怠ったとして、うち500万円については連帯して支払う義務があるとした。
参照 2004/9/24 共同通信


似たような事件はすでに起きていた。

事件 1997年3月、神奈川県川崎市水道局職員の男性(29)が自宅で首つり自殺。
経緯 1995年5月に男性は水道局の工業用水課に配属。歓送迎会で、当時の上司から、男性の父親が市の土地借用の申し入れを断ったため工事費が増えたといわれ、いじめが始まる。男性がいじめで、仕事を休みがちになると、上司3人が、「とんでもないのが来た。最初に断ればよかった」と言ったり、旅行会では果物ナイフで男性を脅したりしたという。
裁判 男性の自殺後、両親が息子の自殺は上司のいじめが原因として、損害賠償を求めて提訴。
2002年6月27日、横浜地裁川崎支部で、打越康雄裁判長は市に2346万円の支払いを命じた。
この裁判では、精神分裂病(統合失調症)の発症・自殺といじめとの事実的因果関係を認めた。一方で、自殺には本人の資質ないし心因的要因もあったとして、7割を相殺。
国家賠償法に基づき、元上司3人個人は責任を負わないとした。原告、被告ともに控訴。
2003年3月25日、東京高裁で、各棄却判決(確定)。
参照 2002/6/28朝日新聞、http://homepage2.nifty.com/karousirenrakukai/index.htm


事件 1998年1月、兵庫県稲美町の男性職員(25)が自殺。
経緯 1996年4月、男性は採用されて、農林経済部産業課に所属。上司だった当時の係長(46)から、「どんなしつけをされたんや」「辞めてしまえ」と再三罵倒されるなど、執拗ないじめを受けた。ストレスから入院。職場復帰後、「追いつめられて殺された」との遺書を残し、自宅で首つり自殺した。
裁判 父親が、息子の自殺は上司からの執拗ないじめが原因として、町を相手取り慰謝料など約6600万円の損害賠償を求めて提訴。
2002年3月27日、神戸地裁姫路支部で、町は「職場管理や職場環境に配慮すべき点が不十分だった」として和解勧告に応じ、和解金200万円を支払うことで和解が成立。
参照 2002/3/27讀賣新聞夕刊



事件 2004年5月24日、熊本県警機動隊所属で、県警剣道部員の男性巡査(22)が、独身寮の自室でネクタイで首吊り自殺。遺書が残されていたが、自殺の理由は書かれていなかった。
経緯 2001年4月1日、剣道の「武道枠」で熊本県警に採用。
2003年8月、機動隊に所属。
数年前、部OBの元警察学校教官を会長とするグループが剣道部内に組織され、ほぼ全員が参加する中で、巡査は勧誘されず入会していなかった。部員の結婚式に1人だけ呼ばれなかったり、練習時間の変更を知らされなかったこともあった。稽古を申し込んでも無視されたり、遠征先で置き去りにされたりした。練習中、先輩から竹刀で後頭部をこづかれたり、のど元への突きを執ように繰り返されていた。

今年(2004年)に入り、高校時代の剣道仲間が巡査ののど周辺に青アザや切り傷が複数あるのを不審に思い詰問。嫌がらせにあっていることを泣きながら打ち明けたという。
巡査をよく知る県警関係者は、「まじめでグチを言わない性格だったが、今年に入り『剣道部では1対11。いじめに耐えられず、警察を辞めたいが、父に迷惑がかかる。簡単には辞められない』と言って泣き出すこともあった」という。

元教官と父親が対立関係にあったことで、派閥による部員間の勢力争いがいじめの引き金になった可能性もあると見られている。
調査

県警監察課は「いじめの具体的事実は確認できなかった」として調査を終了した。
県警監察課はいじめを苦に自殺した可能性があるとして、職場の同僚や剣道部員ら約40人から聞き取り調査。当初、監察課は「いじめがあったとする証言は全体の2割ある」としていた。
一方で、「幅広く事情聴取するなど調査は万全を尽くした」としながら、巡査から相談を受けた高校の同級生や剣道仲間らからは事情を聴いていなかった。

これに対し、くまもと・市民オンブズマン(橋本博代表)は、「事情に詳しい者から聴取せずして調査終了とは捜査機関としていいかげんのそしりは免れない」「調査は不十分」として、監察課作成の調査報告書の公開を求める、公開質問状を提出するなど真相究明に乗り出す。

参照 2004/7/4毎日新聞、2004/7/5朝日新聞、2004/7/18毎日新聞、



これらの事件を見ると、
・大人にもいじめ自殺があり、精神的に追いつめられれば自ら死を選ぶこともあるということ、
・大人だからといって、いじめをしない分別が備わっているわけではないこと、
・周囲もまた、見て見ぬふりをしたり、いじめに加わったりすること、
・大人だからといって、いじめを解決できる知恵があるわけではないこと、

などがわかる。
今さらながら、子どものいじめは、大人社会の反映であること示している。
それでも、これらの判例のなかで、いじめと自殺の因果関係が認められ、雇用していた組織にも責任が認められたことには、幾分、救われる。
大人が被害者でさえ、いじめをさせない環境をつくる義務が組織に課せられる。子どもであればなおさら、学校に管理責任があっていいと思うのだが、判例(いじめ・生徒間事件に関する裁判事例 1)は必ずしも、そうはなっていない。


今回は、私が三多摩「学校・職場のいじめホットライン」の活動のなかで得た知識などから、職場のいじめについて、子どものいじめとの違いや共通点などをみてみたいと思う。

職場のいじめにはいくつかパーターンがある。
●労働問題としてのいじめ。
リストラ、自主退職に追い込むためのいじめ。会社都合による退職の場合に本来、支払われるべき金を企業がけちるために、精神的に追いつめて、自分から「辞めたい」と言わせる。企業が何人、クビを切らなければならないと目標をたてているときに、自分がそのリストラ組に入らないようにするためには、上司はもちろん、同僚たちも組織ぐるみで、陰湿ないじめをするようになる。

●組織維持のためのいじめ。
労働組合つぶしや派閥争い。会社、上司に批判的なもの、反抗的なものをいじめることで、見せしめにする。時に、会社や上司への忠誠のあかし、踏み絵的にいじめに加担させられる。

●差別や偏見によるいじめ。
部落差別や外国人差別、偏見。女性蔑視。非婚者、同性愛者への偏見。高齢者や障がいをもつ人たちへのいじめ。そのひと自身がもっている差別や偏見が職場のなかの人間関係のなかで、攻撃行動として表される。

●ストレス解消のためのいじめ。
私的生活でのストレス、仕事上のストレスを、誰かをいじめることで解消しようとする。仕事で足をひっぱられることへのイライラもあれば、仕事ができるものへのねたみもある。学校のいじめとよく似ている。

詳細を知らないので、はっきりしたことは言えないが、今回、上記で掲げた職場のいじめ事例は、ストレス解消のためのいじめが、上司と部下という上下関係、強弱のなかで行われたのではないかと私はみている(県警事件は組織維持のためのいじめ?)。

現実には、これらの要素が複合していることもあるし、個人的ないじめに見えて、実は労働問題が背景にあることもある。職場のいじめは学校のいじめ以上に、背景にある真の目的を慎重に判断しなければならない。それによって、アプローチの仕方が大きく変わってくる。

職場のいじめは特徴として、
・経営者のものの考え方が反映されやすい。
・強者と弱者が比較的はっきりしている。
 地位のあるものが強い。会社が手放したくないと思う能力の高いものが強い。
 地位のないものが弱い。家族に病人をかかえていたり、自身が病気をかかえていたり、学歴が低かったりして、他に転職がしにくい人間がターゲットにされやすい。
・「仕事」の名前を借りたいじめには、逆らうことが困難。

仕事の名を借りた配置転換や達成が無理な目標の設定など、その地位を利用したものも多いが、子どもと変わらないようないじめも多い。悪口をいう、無視をする、ものを隠す、仲間はずれにする、脅す、暴力をふるうなど。
そして、ストレスの多い職場や人間関係が固定していたり、外部の目が届きにくい職場で、陰湿ないじめがおきやすいのも、子どものいじめと共通する。

私自身、職場のいじめに関して、それほど多くの情報をもっているわけではないが、近年は、不況によるリストラ絡みのいじめももちろん増えているが、学校のいじめの延長のようないじめが増えている気がする。
学校でいじめをしていた人間が、誰からも正されることなく、社会に出ても大して自覚もないまま、いじめをする。あるいは、不況を背景とする過酷な職場環境のなかでストレスをためた人間が、学校時代のストレス解消方法であったいじめを使って、ストレス解消をしようとしている。学校のなかで傍観することに慣れている周囲は何も言わない。あるいは自分がターゲットになるのを恐れて、いじめに加担する。

そして、かつては職場内でのいじめは仕事のなか、あるいはその延長線上にある付き合いのなかでのみ行われていたのが、職場外での生活でも干渉を受ける。また、いじめがエスカレートすると、暴力や恐喝など、犯罪にまで発展する。学校で解消されなかったいじめが、大人社会にまで持ち越されている気がする。

大人の価値観が子ども社会に影響を与え、その環境下で育って大人になった元子どもが大人社会に影響を与える。いじめの負の連鎖。「いじめは昔からあった」と手をこまねいているうちに、第二段階にきているのではないかと思える。
私は、学校でのいじめが、今のかたちの陰湿なものになったのは1980年前後と考えているが、1979年9月9日いじめ自殺した林賢一くん(790909)、当時12歳が、もし今、生きていたとしたら37歳。いじめた同級生たちも37歳。その年齢以下はすべて、いじめ社会のなかで育っていると言っても過言ではない。

1999年12月の栃木県リンチ殺人事件の被害者、須藤正和さんは当時19歳。犯人のひとりは、日産自動車栃木工場の同僚(19)だった。正和さんは、日産に入社してわずか5ヵ月後に、同僚のから呼び出されて、恐喝にあった。2カ月間も連れ回され、壮絶なリンチのあげく、首を絞められて殺害された。加害者は青年(19)3人と、高校生(16)ひとり。会社は正和さんの両親の必死な訴えにも動こうとはしなかった。それどころか、1999年11月24日付けで、加害者と共に、従業員就業規則第85条第6項(社施設およびその敷地内において、窃盗、暴行、脅迫、その他これに類する行為をしたとき)により諭旨退職(退職金不支給)になっている。

死に至る大人のいじめ事件。もう二度と同じ事件は起きないと言い切れるだろうか。「職場のいじめで自殺」。この記事をみるとき、子どもに関する事件・事故 1 (いじめ・生徒間事件)として掲げた事件と同じものが、これから会社内でも起こりうるのではないか、すでに起きているのではないかと、思わざるを得ない。
社会で起きている事件はすべて、学校でも起こりうる。逆に、学校で起きた事件はすべて、社会でも起こりうる。
今、大人たちの価値観が問われている。いじめの連鎖を止めるのは大人から、であるべきだと思う。




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