わたしの雑記帳

2004/9/9 小森美登里さんの人証調べ(9月6日の傍聴報告)2−1 本人尋問 


9月6日(月)、横浜地裁101号法廷にて、午後1時30分より、亡くなった小森香澄さんの母親で、原告の小森美登里さんの人証調べが行われた。
今回、特別に横浜地裁のなかでも最も広い法廷が使用された。そのために傍聴券の配布はなかった。
101号法廷は5人の席が横3列、縦6列で、90人収容。最終的に空席は10席もなかったと思われる。

美登里さんは、グレーのアンサンブルスーツで、かなり緊張してみえた。
それでも、いざ尋問がはじまると、一つひとつの質問に落ち着いて、はっきりと通る声で答えた。
最初は原告側の栗山博史弁護士から質問のかたちで、香澄さんが死に至るまでの経過が語られた。
(素人のメモ書きなので、正確ではない部分があると思います。ご了承ください)

香澄さんが野庭高校に入ることになったきっかけは、小学校、5、6年のときに、野庭高校の吹奏楽部が学校に演奏にきて、あこがれたこと。その後も定期演奏会を聴きに行ったりしていた。
中学時代、香澄さんは吹奏楽部に入り、ドラムを担当していた。本当はトランペットをやりたかったが、顧問に振り分けられたという。

野庭高校の吹奏学部には、入学式のあとすぐ入部。夕方までいた。
朝は6時半に家を出て朝練。放課後は6時半頃まで練習をしていた。
吹奏楽部には6名の顧問団がいた。内ひとり、Hさんは教師ではなくOBで、指揮と指導をしていた。
被告の生徒3人は、同じ吹奏楽部で、同じクラス。

香澄さんは、高校でトロンボーンをはじめた。高校に入ったら、メロディ楽器をやりたいと言っていた。
4月にはじめた頃は朝練も楽しみにしていた。朝早く起きて、ごはんもたくさん食べて行った。
それが、4月下旬頃から、はっきりと様子が変わった。4月23日、早退。4月24日、欠席。
休みの理由は、お腹が痛い、足が痛いと言って、玄関に座り込んで腰が上がらない状態だった。
母親の美登里さんは、「学校のなかで何かあるのでは?」と思った。
5月は欠席が増えた。朝は辛そうなのに、昼はふつうに明るくなり、冗談も言った。いつもと変わらなかった。

4、5月頃、香澄さんは学校生活について、部活がいくつかのグループに別れて、互いに悪口を言い合っている。自分はそれを聞く立場にあること。同じトロンボーンの2人の口のききかたが、すごくきつくて辛いと言っていた。それは、ふだんの会話のなかで香澄さんが話していた。2人の名前はAさん、Bさん。香澄さんから名前も聞いていた。
練習がきついということは言っていなかった。ただ、「譜面を写すのが、みんなすごく早いんだよ」と言っていた。技術面でのぐちは聞いたことがない。

5月16日、吹奏楽部の懇談会のあと、美登里さんは、I先生(I教師は部活顧問であると同時に担任だった)のところに行って、香澄さんの状態を相談。休みが多くなった。先生には学校での様子をみてほしいと思って相談した。
(I先生の陳述書には、母親から悩みを打ち明けられたことはなかったとあるが、という質問に対して)
I先生をいろんな人が囲んでいた。××さん、○○さんも相談していた。自分がいちばん最後だった。
約30分間、中学のときの様子や香澄さんの性格について話した。部活内の人間関係やクラスのなかの様子を聞いた。顧問は、部活の人間関係についてはきいている。じきに慣れるでしょうと言った。

しかし、その後も香澄さんの様子は変わらない。朝、起きるのが辛そうで、玄関から腰をあげることができない。
美登里さんは、香澄さんの中学校時代からの親友Sさんからきいて、青少年相談センターに電話をかけた。状況を説明すると面談を予約するように言われて、予約(6月17日)した。

6月上旬。K養護教諭に話をした。香澄さんが保健室に通っていると聞いたのと、香澄さんから「やさしい先生」と聞いていたので。まだ何が本当の原因かはわからなかったが、精神的、肉体的に抱えている問題について話した。

6月12日、メンタルクリニックを受診した。アトピーがひどくなって、精神的な部分が大きいのではと思ったから。
香澄さんに皮膚科か、メンタルクリニックか、どちらに行くかときくと、本人がメンタルクリニックに行きたいと言った。元々アトピーはあった。しかし、入学式のときは大丈夫だった。6月にはひどい状態になっていた。
約1時間、香澄さんの横で話を聞いていた。
「Aちゃんが、Aちゃんが」と、「Aさんが毎朝、迎えに来るのがすごくイヤ」「ことばづかいがきつくていやだ」「あのコは友だちなんかできない」などと言っていた。

香澄さんは中学時代から、Aさんをきらっていた。3年生のとき、Aさんも野庭高校を受験すると聞いてかなりショックを受けていた。「どうしよう」と言っていたら、一緒にいた友だちが「かわいそう、香澄。Aから逃げられないじゃん」と話していたことがあった。

Aさんのことは中2の頃から認識していた。Aさんの通学路の途中に香澄さんの家がある。香澄さんはAさんと一緒にならないよう、わざと早く出かけていた。また、迎えにきたときも、「先に行って」と何度も言った。Aさんが迎えにきたとき、香澄さんは急に頭にシャンプーをかけたことがあった。「すぐには行けないから、先に行って」と言ったにも関わらず、10分から15分ほど雨のなか、外で待っていた。

メンタルクリニックはその日、とても混んでいたのに、香澄さんの話をきくのに先生は1時間かけた。診察室を出ると、周囲の待っている患者さんからいやみっぽいことを言われた。それで次回から行きたがらなくなった。
その日の午後、学校に行って、I教師とN教師に会った。

(I教師は6月12日に小森さんと面談した事実はないと言っているがという質問に対して)
職員室の前の廊下で立ち話をした。その日、病院で香澄さんが話していたことを簡単に伝えた。I先生はよく話を聞いてくれた。

4日後の6月16日、保護者面談のときにも、10分から15分の時間だったが、再度話した。
前半はよく話を聞いてくれていたが、「小森さんは最近、ノートをとらない。単位が足りなくなる」と急に話を変えられた。このことはショックだった。学校にまかせていいのだろうかと思った。先生が対応してくれていると思っていた。I教諭がもっと認識してくれていると思っていたのに。
それでも、あきらめきれなかった。学校の中で起きている問題なので、現場の先生にお願いしたい気持ちを持ち続けていた。

一対一で、職員室の廊下で話したときに、I教諭は「2人の子は、ことばもすごくきつい」「あの2人が一緒だと私でも怖いくらい」と言っていた。

6月も、遅刻、欠席が多かった。楽器が家にあるときには、一日中、トロンボーンの練習をしていた。それ以外のときは、雑誌やテレビを見ていた。ヒマそうにしていた。

6月17日、予約していた青少年センターのカウンセリングを受けた。男の先生だった。最初に母親。次に香澄さんが一対一で話した。
先生は、「本人は学校にとても行きたいと思っています。プレッシャーを与えたり、登校を促したりしないように」とアドバイスを受けた。

それまでは、「今日はどうする?行く?」と聞いていたのをしなくなった。
香澄さんは夜、「明日は絶対に行くから起こして」と言った。しかし、朝、起こすと、前の日の明るい香澄さんではなく、辛そうだった。香澄さんは起こしてくれと言う。でも起こしていいのか、どれがプレッシャーになるのか、美登里さんは悩んでいた。
「うつ状態」と書かれた診断書はその日のうちに、I先生とT先生に見せた。Hさん(OB)にも、別の日に見せた。
アトピーがひどいこと、家での様子。何でよくならないのでしょうと相談した。

6月23日、学校に行った。今までも話してきたが、診断書を提示することで、認識を深くもってほしいと思った。
顧問からは「部活を休んだらどうか」「学校を休んで元気になったら、出てきたら」と言われた。
3人が同じ部活、同じクラスなので、学年が変わる時には、同じにならないようにしてほしいと頼んだ。しかし、I先生からは「約束できない」と言われた。
I先生には、「香澄は、自分から先生につらいと相談することはないので、声かけをしてほしい」とお願いした。
K養護教諭には状態を説明した。「クラス替えもできないことはないんじゃないか」と言われた。

6月下旬に何度も電話があった。香澄さんの返事は、「うん」「わかった」「そうする」の3つのパターン。
美登里さんが「何の電話?」と聞くと、「部活動の連絡網」と答えていたが、次に回したことがない。
電話の前のメモ帳に香澄さんは、「ちょーうぜー」と書いていた。

6月26日、Aさんの家に行った。学校が動いてくれる様子がなかったので、親が動くしかないと思った。父母会で話した他の母親が「自分のときはこのように解決した」と教えてくれて、その通りにした。
香澄さんには事前に了解をとった。いやだとは言っていなかった。喜んでいるようだった。
「朝、迎えに来ないでほしい」と言うと、それから迎えに来なくなった。
(弁護士から、Aさんは陳述書で「そんな話はなかった」としているという。)

7月、2回目の青少年相談センターでの面談は香澄さんひとりだった。帰りに母親とシーサイドパラダイスに寄って遊んだ。帰りの電車のなかで香澄さんは泣き始め、小さな声で訴えた。
「みにくい顔だね」「直してから学校に来い」「なまけもの」と言われる。遅刻して行くと、「もう、仮病は治ったの?」と言われる。肩を寸止めするふりをしてたたいてくるからすごく痛い、などと話した。
Aさんは中学校からカラテをやっているときいた。

7月6日に養護のK教諭に話した。これからも保健室に来ると思いますが、Aさんが来ても、そばに行かせないでくださいとお願いした。

そこまでとは思っていなかったので、香澄さんの話を聞いて、美登里さんは、「もう、部活やめてもいいよ」と言った。しかし、香澄さんは吹奏楽部に憧れて、野庭高校を選択した。吹奏楽部には行きたがった。せめぎあいがあった。

7月、Hさんに診断書のコピーを見せた。一年生のみんなに、思いやりの大切さをしっかり伝えて、この仲間で3年間やっていくんだよと指導してくれたと香澄さんが美登里さんに報告した。「それでも、わかんないヤツがいるんだよね」とも言っていた。

美登里さんは、「学校に行けるときに行かせたい。朝、出欠の連絡をどうしてもしなければいけないのか」と聞いた。朝、出欠の連絡のために、香澄さんに今日は学校に行くか行かないかを聞くことがプレッシャーになると思っていた。それでも、担任には「一応、連絡してください」と言われた。
吹奏楽部では、3時間授業を休むと部活に出られないきまりになっていた。しかし、香澄さんが学校には行けないけれど、部活には出たいというので、お願いして認めてもらった。

7月10日頃、香澄さんは中学時代の友人宅に泊まりに行った。環境を変えるために行っているので、母親の美登里さんは出入りしないほうがいいと思った。着替えを友だちのお母さんから渡してもらうときに、香澄さんへの手紙を渡してもらった。「学校に行けない香澄でも、全部、大好きだよ」と書いた。
次の日の午前中、香澄さんは早い時間に帰ってきた。

7月15日、香澄さんは美登里さんにカッターナイフを向けた。美登里さんが日程が近づいているコンクールに出るか出ないか、そろそろはっきりしないと。コンクールに出るには学校に行かなければならないし、練習もしていないし」と言うと、香澄さんはカッターナイフを出して「お前だよ!」と叫んだ。
日程もせまってきていたし、コンクールに出ないとはっきり決めてしまえば、プレッシャーから逃れられると思った。来年から出ればいいじゃないと思ったが、香澄さんの選択に任せたいと思った。でも、「あきらめる」と言ってくれるかと期待していた。

香澄さんが落ち着くと思い、香澄さんの中学校時代からの友人を呼ぶと、すぐに来てくれた。お菓子を食べて、笑い声も聞こえた。
学校に行って、I先生がいなかったので、T先生に今起きたことを詳しく話した。T先生は「聞いているこちらも動揺します」と言った。親が学校に入っていけない現状では、先生たちを頼らざるを得なかった。起きているすべてを先生に報告しなければいけないと思っていた。

青少年相談センターには、父親が付き添って行った。「プレッシャーを与えないように」とアドバイスされた。夫婦で「見守って行こう」と話し合った。

7月16日、終業式の日に香澄さんは学校に行って、T教諭に話した。前日に、美登里さんからT教諭に電話で、「明日、香澄が話に行くので、そうしたら内容を知らせてほしい」とお願いした。
香澄さんは、中学校のときの吹奏楽部顧問の「JさんととAさんを沈めたい」と言ったという。
「いろいろ話しをしてくれたので、もう大丈夫だと思います」とT教諭は言った。
しかし、今までも香澄さんは、「割り切った」と言ったのに、そうじゃなかったので、だまされていると思った。

7月21日、夜、2人で外を歩いているときに、香澄さんは母親に、「優しい心が一番大切だよ。その心を持っていないあの子たちの方が可哀想なんだ」と言った。

7月24日、青少年相談センターの3回目。カウンセラーと美登里さん、香澄さんの3人で話をした。終始なごやかなムードで、香澄さんは、コンクールに出て勝ったことや、「この問題は、もう割り切れたから大丈夫です」と話した。先生は「よかったね」と言って、2人はプレステゲームの登場人物の話をしていた。「お母さんはわからないんだよ」などと言って笑った。
しかし、美登里さんは、香澄さんがまだ割り切れていないと思っていたので、次の予約をしなければと思っていた。

帰りにファーストフードの店で、香澄さんは、今までいじめられていた内容を急に話しはじめた。覚えきれないので、「もう一回いい?」と言って、手帳に書きとめた。

香澄さんにKさんから電話がかかってきた。電波が悪いのか、途中で切れては何度もかけていた。内容はわからなかったが、いつもの「うん」「わかった」「そうする」の3パターンの返事だった。
香澄さんがその内容を携帯電話で録音した。「やった!」とガッツポーズをしてみせた。

このテープの内容をHさんに聞いてもらおうと家に行った。Hさんはやさしく、命がとっても大切なこと、親の愛情の幸せについて、たくさん話してくれた。
その夜、香澄さんはとても明るかった。寝る前に、「明日こそ絶対に学校行くから起こして」と明るく言っていた。
次の日、7月25日、朝も元気だった。しかし、だんだん元気がなくなった。部活動にでかけたが、「やっばり怖い」と言って、帰ってきた。

香澄さんが亡くなったあとの学校の対応について。
8月初めに、学校側が吹奏楽部の生徒に調査したことを情報として知った。調査結果を教えてほしいと野庭高校の校長先生に頼んだが、「人権にかかわることなので見せることはできない」と言われた。
概要も教えてもらえなかった。

両親が質問状を出した。それに対して、「いじめという認識はしていない」「いじめと受けとめることはできない状況」と回答。理由として、調査した内容にいじめと思われることはなかったとあったが、根拠は示していない。
「香澄さんが部活でいじめられている」と作文に書いた生徒がいたが(本人の許可があって裁判に証拠提出済み)、学校からの説明はなかった。

弁護士会に人権救済の申し立てして、「人権侵害に当たる」とする「警告書」も出たが、校長は、「いじめ」という言葉はどこにも使われていないので、「いじめではない」とする。民事裁判に訴えることになった。

最後に、原告弁護士に「訴えたいこと」と聞かれて、美登里さんは答えた。
「香澄は心を傷つけられて死んだこと、肉体的な暴力があって死んだことを認めてほしい」「命を救う手だてが、大人たちの対応によってはあった」「どうしてこの子の命をなくさなければならなかったのか」「次の命を救うための糧としてほしい」「次の死を生み出さないための裁判にしてほしい」と訴えた。

1時半にはじまって、ここまでで2時55分。

2004/9/9 小森美登里さんの人証調べ(9月6日の傍聴報告)2−2 反対尋問

10分間の休憩をはさんで、被告4人の弁護士からそれぞれ反対尋問が行われた。

代理人弁護士からは、中学時代の香澄さんについて、出欠席の状況や、仲のよかった友人の名前を具体的にあげるよう言われた。また成績を上、中、下のどれにあたるのか聞かれた。
友人の名前は、美登里さんの口から、すらすらと何人もあがった。
あくまで私見だが、出欠席や成績は、こんな子だからいじめられても仕方がなかったという印象を与えるためのもの。あるいは、亡くなった子どもの恥を法廷でさらすことで、証人の怒りや動揺を誘う心理作戦ではないかと思う。友人名は、友だちの少ない子だったと印象づけて、いじめられるような性格だったと裁判官あるいは傍聴人に印象づけたかったのか。「友だちはいっぱいいた」としても、緊張のなかで具体的な名前があがらなければ、娘の友人関係をも把握していない母親を印象づけたかったのかもしれない。
いずれも、思惑は失敗したように思えたが。

ほかにも、化粧はしていたか、プレスレット類をジャラジャラつけていたのではないかなどの質問があった。香澄さんは、特に派手でもない、ごくふつうの高校生だった。休みのときにはいくつかのブレスレットをつけることもあったが、ジャラジャラではないし、学校に行くときにもひとつくらいつけて行ったことがあったかもしれないという。
いずれも、本来、いじめ裁判とはまるで関係のないプライバシーにかかわる質問に私には思えた。

また、香澄さんの当時の音楽の趣味をきいたあげく、Xジャパンのことを出してきた。一時、好きだったことはあったようだが、この頃はすでに興味は別のグループに移っていた。Xジャパンのヒデの自殺を出して、香澄さんが好きだったヒデの後追い自殺ではなかったかのような屁理屈まで飛び出した。

香澄さんが、中学時代に練習してきたドラムではなく、トロンボーンを高校ではじめたことについてもしつこく質問があった。野庭高校のようなレベルの高いところで、新たな楽器をはじめることは無謀ではなかったかと。はじめてはみたが、トロンボーンは予想以上に難しく、そのことに悩んでいたのではないかと。
まるで、香澄さんの技術の未熟さと、その自覚のなさによる選択の誤りにいじめの原因があり、親はそれを的確にアドバイスすべきだったのにしなかったというように。美登里さんは、香澄さんが「メロディ楽器をやりたい」と言って自分で選んだこと、「大丈夫?」と聞いたことはあったことなどを話した。
また、香澄さんは「想像していた部活ではなかった」「いくつかのグループがあって、部活内がうまくいっていないのがわかった」などと、人間関係が楽しくないようなことは言っていたが、技術面では悩んでいる様子はなかったという。

どれだけ優秀であろうとプロではない。高校の部活動。本人に才能や技術があろうとなかろうと、やりたければやれる、チャレンジするチャンスが等しく与えられるのが、学校の部活動だと私は思う。
むしろ中学校時代に香澄さんは「メロディ楽器をやりたい」と思っていたのに、顧問から割り振られてやらせてもらえなかった。ドラムをやらされた。こちらのほうがおかしくはないか。香澄さんは顧問とうまくいかず、中学3年の8月で、部活動をやめた。高校は、吹奏楽部にあこがれて、野庭高校と決めていた。その香澄さんが、中学の部活動をやめざるを得なかった事情が何かあったのではないか。Aさんも、同じ部活に所属していた。
被告側は、いじめではなく、野庭高校の吹奏楽部のレベルの高さと自分の技術の未熟さのギャップに香澄さんは悩んでいたのだと持っていきたいのだろうと思った。

また、ずっと学校も部活も休んで練習に参加していないのに、コンクールに出たことがプレッシャーとなったのではないかという質問もあった。カウンセリングでも、「プレッシャーを与えないように」と言われているのに、部活を止めさせなかった、コンクールにも出場させたことが自殺の引き金ではないか、というようなことが言われた。
しかし、学校には行けなくても、部活は香澄さんの生き甲斐だった。禁止することはできなかった。
コンクールに関しては顧問に相談し、最終的な判断は顧問に委ねた。本人も出たいと言い、顧問も許可をした。仲間からは、できないところは音を出さずに吹く真似だけしていればいいよと言われて、香澄さんも気が楽になり、出る気になったという。

また、メンタルクリニックで出された薬について、かなり詳細に薬の名前、量などをしつこく聞かれた。美登里さんは薬の名前は覚えていなかった。「軽いうつ状態のときに飲ませる薬です」と説明を受けたと答えた。全部飲ませたかと聞かれて、何回かは飲み忘れがあったが、ずっと飲み続けていたと答えた。
ここでは、薬を勝手に親の判断で止めていたとしたら、その副作用で「うつ」になって自殺したと言いたいのだろうかと思って聞いていた。
私たちは一般に、医者を無条件に信用してしまう。飲みなさいと薬を出されたら、何種類もあって、ややこしい薬の名前をいちいち覚えてもいない。
薬は、特に効き目があったようには見えなかったという。それでも、飲ませていた。わらにもすがる気持ちであったのだと思う。

また、「うつ状態」について、自分で調べたのかと聞かれた。クラブ活動が香澄さんの重荷になっていたのに、カウンセリングでも止めさせたほうがいいと言われたのに続けさせたのではないかと聞かれた。
「無理していかなくてもいい」とは言われても、やめたほうがいいとまでは言われなかったと答えた。
また、「うつ状態」のときには、重要な決断をさせてはいけないのに、コンクールに出るか、出ないか、重大な決断を香澄さんに迫ったと責め立てるように言った。そんなことも知らないのかという口振りだった。
もし、それが常識的なことだとすれば、何度も相談にいっていた学校の養護教諭や青少年相談センターから、しかるべきアドバイスがあって当然のはずだが。

反対尋問の内容からは、どうやら青少年相談センターの記録と、美登里さんが聞いたこととの間に開きがあるようだった。
私としては、カルテというのは一般人が思っているよりもいい加減なものだと思っている。カルテに書かれた短い文章からすれば、いかにも断定的なアドバイスをしたかのように書かれるかもしれないが、医者やカウンセラーはあまりはっきりとした指示を与えたがらない。とくに、具体的な事例にそっての細かい指示は出さないのがむしろ普通だと思う。
また、当日、話された内容については、新聞記者でさえ、目の前のインタビューを聞き違えたり、思いこみで違うことを書いたりする。文章のプロではない彼らが書くカルテが、どれほど正確なものかは分かりかねる。思いたくはないが、あとで自分たちの都合のよいように書き換えるなどということは、医療過誤、その他の訴訟でもある。

いずれにしても、どうしてよいかわからないからこそ、専門家を頼ったのだ。同級生のお母さんのアドバイスも、わらにもすがる気持ちで実行した美登里さんだ。はっきりとした指示があれば、当然、従っているだろう。そして、専門家のアドバイスを受けている以上、真偽のほどもわからない様々な文献を調べて、カウンセラーから言われてもいないことを実行しようとは思わないだろう。

ほかに被告側の主張と大きな違いがあるのは、教師と「会った」「会わない」、「相談した」「聞いていない」ということに関して。学校側は、美登里さんが何度も何度も相談に行ったとしているのに、知らないという。ほとんどのいじめ裁判で、同様のことが争点になる。
親の深刻な訴えを記憶にも残らないほど聞き流していたのか、あるいは責任を逃れるために、教師がウソをついているか。美登里さんの話はひとつひとつ具体的で、居合わせたひとまで覚えている。そして、すぐばれるようなウソを原告がつく必要性がいったいどこにあるというのだろう。

母親の美登里さんが、香澄さんに毎日、学校に行くようプレッシャーを与えた、重荷である部活動をやめさせなかったと、また、カッターナイフを振りかざしたときの「お前だよ」と言った香澄さんのセリフから、自殺の原因のすべては母親にあるのではないかという論調で責めてきた。
この辺りは正直いって、予想通りの展開だった。むしろ、覚悟していた割には拍子抜けするほど、強い追及ではなかった。

なぜ、毎日、香澄さんに学校に行くか、行かないか、聞かなければならなかったのかは、すでに原告側の尋問で、毎朝、学校に連絡しなければならなかったからと明らかにされている。そして、美登里さんは、「本当に学校に行きたいのなら、応援してやりたい」。でも、「プレッシャーを与えてはいけない」という思いのなかで、ずっと悩んできたという。香澄さんには「学校に行きたい」という気持ちはあった。夜は「明日は学校に行くから起こして」と母親に頼んでいるのだ。それを無視するわけにはいかなかった。しかし、朝になると昨夜とはまるで様子が違って、すっかり元気がなくなり、腰があがらない。それの繰り返しだった。香澄さんの心のなかにも、「行きたい」「行けない」というせめぎ合いがあり、それをどのようにして支えていったらいいかわからなかったのだろうと思う。もし、自分が同じ立場にたったとして、「学校なんて行かなくていいんだよ」とは言えても、「学校に行く」と言う子どもに対して、何ができただろうと思う。むりやり、「行くな」とは言えなかったと思う。

自己決定権についてはもうひとつ、野庭高校を選んだことについても聞かれた。美登里さんは、「当時、学校がちょっと荒れてるところがあったので、あまり賛成ではなかった」「他にも吹奏楽部がある学校はあるよ」と言ってはみたという。しかし、香澄さんが選んだのは野庭高校だった。ここでも、「本当にやりたいんだろう」と本人の意思を尊重した。

もし、私が同じ立場であったとしてもそうすると思う。それが、本人のためによくないと思っていても、よほどのことでない限り、やはり本人の意思は尊重されるべきだと思う。そうでなければ、誰より香澄さんが納得できず、納得できないことを強いられるのは、非常に苦痛である。それを親が強要したとしたら、両者の間の信頼関係はなくなってしまう。傷ついた香澄さんにとって、親は敵になるだろう。
カッターナイフを振り回して暴言を吐いたことも、本来、いじめの相手に向かうべき怒りを、もっとも甘えることのできる相手に、向けさせたのだと思う。香澄さん自身、深く傷つけられて、冷静ではいられなかった。

高校一年生。思春期の真っ盛り。親が気に入らないことはあっただろう。まして、同性の母親に反発しやすい年頃だ。どんなに仲のよい親子であっても、思春期の当たり前の反発、反抗はあったと思う。自立したいのに、できない。心配する親を疎ましく思う感情もあったと思う。
でも、それだけなら、高校に入ってわずか数カ月、希望に胸ふくらませた入学式から、不登校、そして自殺と、ここまで急激に香澄さんは追いつめられるだろうか。長年続けてきた親子関係が原因だというなら。

香澄さんは、野庭高校の吹奏楽部にあこがれて、その一員になることが夢だった。その夢に向かって努力して、その位置を勝ち取った。にもかかわらず、そのなかの人間関係に心をズタズタに引き裂かれた。夢があったからこそ、逃げられなかった。
それは香澄さんの自己責任とでも言うのだろうか。生徒を守れないような教師ばかりがいる学校を自分で選んだのだから仕方がない、中学校でうまくいっていなかった同級生が行くと分かっていて、同じ高校を受験した香澄さんに非があるとでも言うのだろうか。
夢が子どもたちを幸せにしない。むしろ、枷にしてしまう。それは本来、大人がやるべきことを怠った、大人たちの責任であって、けっして夢を抱いた子どもの責任ではない。
いじめがなかったら、香澄さんはきっとあこがれの吹奏楽部のなかで、時には青春の悩みを抱えつつも、楽しく充実した3年間を送れたはずだった。輝く青春の思いでの一頁として、彼女の人生に刻まれるはずだった。いじめさえなかったら。

被告代理人たちは、ほとんど、いじめの内容や教師の対応については触れようとしない。(実際に、教師は何も対応していないのだから、触れようがないのかもしれない。だからこそ、相談もなかったことにされようとしているのだろう)
わずかに、ひとりの代理人が文章を見せて、「この文言のどこがいじめだ?」「バカだとか、マヌケだとか、侮辱的な言葉や脅迫的な文言があるか?」「高校生同士がふつうに使う言葉じゃないのか」「そんなひどい言葉か」と脅すように、美登里さんに迫った。美登里さんは、はっきりと「侮辱的なことを要求している」「いじめです」と答えた。

おそらくは、香澄さんが録音に成功したという電話の内容を文字におこしたものを指しているのだろう。前後がない短いものであることも問題にする。携帯電話についている録音機能には時間的な制限がある。短いのは仕方がない。相手は録音されているとは思わず、安心してしゃべった。だからこそ価値があるし、香澄さんは証拠を残せたことを小躍りして喜んだ。
そして、高校生ともなれば、小学生とは違って直接的に「バカ」だの「マヌケ」だのと言うより、もっと効果的に相手を傷つける言葉を知っている。香澄さんにどういう言葉を投げかければ、傷つくかを知ったうえでの会話であるに違いない。

その言葉を受けて、今度は、小森家で香澄さんが仲間と交わした会話。「また、Aさんと一緒になったらどうしよう」「かわいそう、香澄。Aから逃げられないじゃん」、この会話もいじめではないかと聞いてきた。
Aさんに聞かせるための会話ではなかった。Aさんを排除するための計画的な内容でもなかった。「これは、Aさんに向けてのものではなく、Aさんも知り得ない内容なので、許される範囲内の言葉ではないかと思います」「いじめではないと思います」と美登里さんは答えた。その通りだと思う。相手が傷つくかどうかが、いじめであるかないかの判断であるはずだ。

どんなに汚い言葉でも、互いに笑っていられるものはいじめとは言わない。逆に、表面上は何でもない態度や言葉であっても、その人にとって深く傷つけられる内容のものであれば、いじめになる。
いじめが何であるかもわからない人間に限って、「いじめはなかった」「あれはいじめではない」と断言する。

反対尋問が想像したより過激でなかったことにはいくつか理由があると思う。
よく解釈すれば、相手の弁護士がある程度良識的なひとたちだった。(そうでないひともいたが)
大法廷をほとんど埋め尽くすほどの傍聴人がいたことが、圧力となった。(弁護士もひとの子、ひとの親、できれば憎まれ役は避けたい?)
生徒の作文、香澄さんが自らとった電話の録音など、否定しきれないいじめの証拠が上がっている以上、香澄さんが自殺したすべての責任を母親にもってくるには、無理が生じること。
かつてより、いじめへの理解が進み、世論も被害者寄りで、その被害者をガンガン責めてることは、裁判長の心証的にもプラスに働きそうにはないこと。
などではないかと、あくまで私見であるが想像する。

一番、気掛かりだった美登里さんの人証調べが終わった。大きな山をひとつ超えた。彼女にとって、恐らく想像以上のプレッシャーだったろうと思う(実際に、3日ほど前から体調を崩していた)。しかし、あとはガンガン追及するのみだ。
今回、私自身もはじめて知った内容もいろいろあった。証言が終わるまでは、きっと話すことも止められていたのだろう。辛かったと思う。

1時30分から始まったその日の法廷は、4時40分に終わった。実に3時間以上。
全部メモしきれておらず、またまとめきれてもいない。今の段階でとりあえずUPして、また少しずつ手を加えていけたらと思う。

次回は11月16日(火)午前11時〜午後5時。教師たちの尋問がはじまる。




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