わたしの雑記帳

2004/6/8 ひとを殺させない方法


かつて、子どもたちに「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたら、大人はどう答えるか、ということが話題になったことがある。大人たちは様々な答えを用意した。しかし、殺人はなくならない。そして、そういう大人たち自身が殺し合っている。

1996年12月、ペルーの日本大使館がゲリラの襲撃を受け、数100人が監禁された。この時に人質にされた方と親しくお話する機会があった。政府軍隊が突撃した時、少年兵士には人質を殺すチャンスがあった。しかし、彼は日本人人質を殺すことができず、自らは銃弾を浴びて死亡したという。
なぜ、少年は人質を殺せなかったのか。長期化する人質生活のなかで、時間はたっぷりあった。少年とも話をする機会があった。そのなかで、少年と日本人人質の間に心の交流が芽生えていった。いざというときに、彼は命令に逆らってでも、どうしても引き金をひくことができなかった。そして人質たちは、自分たちを拘束したゲリラたちを心から憎むことができなかった。

「人を殺してはいけない」。そのことは小学生でも十分、知っている。それでも殺してしまった。
知識だけではもう、殺人を止めることはできないのではないか。
佐世保の女児と同じように。あるいはそれ以上に長期にわたって過酷ないじめを受け続けた子どもたちが、死を選んだのはなぜだろう。彼ら、彼女らはなぜ、いじめる相手を殺すことをせずに、自ら死を選んだのだろう。

小森香澄さん(高1・15)は亡くなる前に、「やさしい心が一番大切だよ。それを持っていないあのコたちのほうがかわいそう」という言葉を母親に残した。相手を思いやる心が、彼女に殺人を起こさせなかった。

子どもたちに人を殺させたくなかったら、もはや知識だけではだめだと思う。相手の気持ちを思いやる心を、感じる心を育てない限り、いじめはなくならない。人を傷つける行為はなくならないと思う。
子どもたちを表面的な「いい子」の枠に閉じ込めることは意味がない。それどころか、マイナス要因のほうが大きいだろう。

ここ何十年か、世間を騒がせた少年事件の多くは、ふつうの子どもたち、いい子と称される子どもたちだった。
いい子がいきなり暴走したのではない。いい子を大人たちに演じさせられることに、子どもたちはストレスを感じていた。今にも爆発しそうなものをかかえながら、いい子の仮面がそれを見えにくくしていた。
事件が起きるたびに、「心の教育」が叫ばれる。あいさつをしましょう。友だちと仲良くしましょう。いつもにこにこ明るい子。
事件を起こした子どもたちもまた、あいさつのできる、一見友だちと仲よくしているように見える、大人受けのよい、いい子だったのではないか。大人の望む「いい子」でいるために自分の感情を押し殺してきた子どもたちではなかったか。

佐世保の事件では加害者の心にばかり焦点があたっている。もちろん、それはとても大切なことだと思う。二度と彼女と同じ不幸な子どもを生み出さないために。
一方で、殺された女児の気持ちを代弁する大人がいない。
それを今、女児の父親に求めることはあまりに酷だろう。そして、昨今のイラク人質、朝鮮拉致被害者への世間の反応を見れば、被害者の父親が、子どもの気持ちを代弁することさえバッシングの対象になるのではないかと危惧される。多くの場合、最初は同情的な周囲が、ただ耐えているだけの被害者・遺族をやめて、自ら発言を始めたときから周囲に叩かれる。

本当はもっと、殺された女児の気持ちを大人たちが、子どもたちに教えてやるべきではないか。
自らそれを想像することができなかった、相手の気持ちを思いやることができなかったからこそ、事件は起きたのだから。その未熟さを補ってやるのが大人たちの役割だと思う。

殺された女児は最後になんて言いたかっただろう。「傷つけてごめんなさい。」「そんなに傷つけていると思わなかったの」「謝るから、二度としないから殺さないで。」それとも、「私も悪かったと思う。でも、殺すことないじゃない」・・・・。もし、その言葉を聞いたとして、それでも殺しただろうか。

大人として言いたいこと。あなたも辛いことがいっばいあったと思う。それは私たち大人の責任でもある。でも、たとえどんな理由があっても、殺してはいけないよ。
あなたにもきっと人を傷つけるときがあるでしょう。場合によっては、知らず知らずに傷つけていることがあるかもしれない。でも、だからと言って、自分自身がその傷つけた誰かに殺されることに納得がいく?
あなた自身が納得がいかないことはきっと、相手も納得がいかないと思うよ。


すぐには伝わるとは思わない。心から言いつづけること、あきらめずに言いつづけること。それしかないと思う。
今こそ、ジェントルハートプロジェクトhttp://www.gentle-h.net/index.htm)のような、頭で考えさせるのではなく、心に直接感じてもらうことが、子どもたちには必要だと思う。





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