Free Mumia Abu-Jamal
ムミアの死刑執行停止を求める市民の会
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死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊

無実を証明する新証拠

ウィリアム・クック(ビリー)の補充供述書


私、ウィリアム・クックは、以下の通り申し述べます。
  1. この件について証人として喚問された場合、私は自分で直接知り得たこととして、以下の通り、間違いなく証言します。
  2. 1981年12月9日の夜、私は、仕事仲間であり、子供の頃からの友人であるケニス・フリーマンとともにいました。
  3. その夜、ムミアは私のスタンド【新聞や雑貨を売る街頭の店舗】に立ち寄りました。彼は定期的にそうしていたのです。ムミアはその一週間ほど前に、強盗にあっていました。
  4. その夜、私は自分の銃をスタンドの中に鍵をかけて置きっぱなしにしていました。しかし、ポッピ(ケニス・フリーマン)はいつも銃を携行していました。それは38口径です。
  5. 私は、たぶん黒のニット帽をかぶっていたと思います。私は髪をドレッドロックスにしていて、それを帽子の中にたくし上げていました。
  6. その夜、店を閉めたのは、遅くなってからでした。
  7. ケニー(ポッピ)と私は、バーを何軒かはしごしました。仕事の後くつろぐためです。夜のスタンドを閉めたときには、いつもそうしていました。
  8. 私たちはローキャスト通りのほうに向かっていました。
  9. ポッピはビールをいくらか飲んでおり、その車に戻ってきていました。
  10. ローキャスト通りのジュニパー[Juniper]の付近で、パトカーの光が点滅しているのが見えました。パトカーは半ブロックほどついてきて、私は、ローキャスト通りの南側で最初に目についた空きスペースの一台の車の後ろに自分の車を停車させました。
  11. 私の車は木でできたバンパーをつけていましたが、それは金属でなければならないものでした。そのせいでとめられたことがあったのですが、警官はそのことは何も言わず、また私の車を止めた理由も何も言いませんでした。私は彼を殴ってはいません。
  12. 彼にそれ以前に会ったことはありません。私は、自分のスタンドがある地域の警官は知っています。ローキャスト通りと13番通りは隣り合った地域ですが、この警官は一度も見かけたことがありませんでした。
  13. 私は車を出ました。ポッピは、車の中に残って、乗客シートにいました。私は、警官に不機嫌な様子を見せました。
  14. その後、警官と私は口論になりました。警官は警棒かなにかを引き抜くと、私の頭を3度殴りつけました。その時までに、彼は私を車の横まで連れてきており、私はひどい出血をし始めていました。そこで、私は車にもどって、書類を取り出そうとしました。
  15. 私は、警官に向かって一度も手を上げたりしていません。彼が殴っているときに、防御しようとはしたかもしれません。それだけです。私もそんなにバカじゃありません。決して警官を殴ったりはしません。彼は私を懐中電灯で殴りました。
  16. その後、車にもどりました。前の座席にいて、後部座席を見ました。
  17. 通りには複数の人たちがいました。その界隈はいつも人がいたのです。バーは2時には閉めなければならないことになっていましたが、クラブはもっと遅くまで開いていました。5時頃まで開いているところもありました。飲み物を出していたのです。
  18. ほかの人たちがどこにいたか、誰がいたかということは思い出せませんが、人々がうろついていたことは確かです。後でそこにタクシーがいたと言われていますが、私は見ていません。通りにいた人数は分かりません。でも、そのあたりは、どんな時間帯でも人通りが絶えたことはないんです。朝の5時だって、人通りはありました。
  19. 最初の銃声を聞いたのは、私が運転席から後部座席のほうを向いて、警官に見せるためにオーナーカードか何かを探している時でした。私は整理整頓が苦手なほうで、書類をちゃんと運転席のグローブ・ボックスに入れておかなかったのです。後部座席は私の店からもってきた書類その他の物、テディ・ベアなどのぬいぐるみなどでいっぱいでした。こういう物をスタンドで売っていたんです。バレンタイン・デイなどの祝日用のノベルティとか、造花などです。
  20. 私が車に入ったとき、フォークナーは車の前のボンネットのとこにいて、そこで車を止めさせて私を捜査したのでした。私が車の中で後ろを捜しているとき、銃声が聞えて、火花も見えましたが、フォークナーが撃たれるところは見ていません。銃の火花が、視野のはじっこに見えました。フォークナーは車の前に立っていましたが、私は彼が撃たれるのを見ていません。私は車で後部のほうを向いていましたから。
  21. 視野の中には入らなくても、私には、ほかの人々がまわりにいることはわかりましたが、どこに彼らがいたかはわかりません。フォークナーの車は私の車の後ろにあり、警官たちは道路で、私の車の前に止まる車があると、私の車とその車の間に立つのでした。
  22. 最初に兄が目に入ったとき、兄は走っていました。彼は、私から数フィート離れたところにいました。その晩彼と会う計画とかそんなものはなかったし、私は、彼がそのあたりにやってきて客を拾うということも知りませんでした。兄は手に何も持っていませんでした。一発銃声が聞えて、彼がよろめくのが見えました。誰が彼を撃ったのかはわかりません。彼は前方によろけました。
  23. 変な話ですが、あとになっていろんな人から、あの何秒間かの間に起こったいろんなことをあれこれ聴かされましたが、実際に起こった出来事は、私にはとてもそんな風には見えませんでした。何もかもがいっぺんに起こったみたいに言われていますが、じつは長い時間がかかったような気がします。何年間も思い返してみましたが、やはりあれが何秒間かの出来事だとは思えないのです。45秒間だとは思いますが、3秒ではありません。
  24. 後部座席を見ていたとき、ポッピはまだそこにいました。それからまた見ると、ポッピのいた座席のドアが開いていました。彼はそれまで乗客席にいたのですが、どこを通っていなくなってしまったのかわかりません。彼は、事件が起こる直前にあの地区からいなくなっていました。
  25. あとでポッピはフォークナーを殺す計画があったと語りました。彼は私に、あの晩自分は武器をもっていて、射殺に加わったのだと言いました。彼はいろんな種類の人間とつきあいがありました。私は彼にそのことをよく聞いたものでしたが、彼はあまり話しませんでした。口数の少ない男でした。事件のあとしばらく私はポッピには会いませんでした。
  26. ポッピは兵役でドイツにいたことがありました。あの晩彼は、緑色のアーミー・ジャケットを着ていました。正規の陸軍用のジャケットですよ。彼はいつもそれを着ていました。彼は除隊になりました。なぜだか知りません。
  27. 私は車を降りました。走っていきたかったてす。たぶん逃げていくことはできたでしょう。走り出しさえしました。走りました。でも、兄のため、走れませんでした。兄が地面に倒れているのを見たら、走れませんでした。
  28. 私は兄に話しかけました。彼に言いました。ぼくはここにいるからね。彼がなんと答えたか思い出せませんが、うめき声は覚えています。
  29. 道にピストルが落ちていました。溝の中にありました。それを私の車の下に蹴りこんでおきました。警官たちが来る前に。
  30. 警官たちに何か聞かれたけど、覚えてません。私は何も答えませんでした。彼らが私に捜査を受ける者の権利を読み上げたという記憶もありません。シューメーカーという警官はわかりました。よく私のスタンドに立ち寄って、そこに掛けてはタバコを吸ってました。彼の女房もよく一緒に私のスタンドに来ることがありました。
  31. 彼らは、ムミアやあのおまわりを連れていく前に私を連れて行きました。押されたのを覚えています。でも、パトロールカーに乗せられたのか、囚人護送車に乗せられたのかは覚えてないし、ちゃんと坐ってたかどうかも覚えていません。基本的に大事なのは話さないことでした。
  32. 彼らは警察に私を連れていくと、殺して川にほうり込むぞと脅しました。
  33. あの晩からずっと、私は殺されないか不安でした。あそこで起こったどんなことも人に話すのは不安でした。そうじゃないですか?
  34. ある部屋に連れていかれました。黒人と白人の二人の警官がいました。私は、彼らに、話のたねになるようなことを喋っていました。
  35. でも、そのうちに正気に戻りました。供述するというのは全体、気に入りませんでした。警官は私に供述書に署名させようとしましたが、私はしないと言い、弁護士に会わせろと言いました。こんなことはいやだ。だから署名はしないとね。
  36. 牢屋に一日か二日いたら保釈で出してくれました。
  37. 私はそれまで市の中心街に住んでいましたが、あの事件のあとはそこにいられなくなりました。人に手伝ってもらって、その夜中にアパートを出ました。そして、おふくろのところに転がりこみました。
  38. ジャクソン【訳註 ムミアの一審における公選弁護人】が何度か私の家にやってきたのを覚えています。おくふろと姉がいました。彼とそれまでに会って話をした覚えはありません。彼が私たちを落ち着かせようとしたのを覚えています。
  39. おふくろの所以外の場所で彼に会った記憶はありません。彼は、私も殺人罪に問われるだろうと言いました。私は彼に1,000ドル払わなければなりませんでした。
  40. アルヴァ【訳註 ビリーの弁護士】はプリーンランの弁護士もしていました。
  41. もし彼ら(ジャクソン)が、私に証言してくれと言っていたら、私はそうしたでしょう。でも、彼らは、[欠落]
  42. PCRA【訳註 95年の再審請求訴訟】で、私は証言するつもりでした。レナード[ワイングラス]【訳註 再審開始時のムミアの主任弁護人。2001年2月に解任】とレイチェル[ウォルケンシュタイン]が私に×のサインをしたので、私は証言しませんでした。
     レイチェル【訳註 ムミアの旧弁護団の一人。2001年2月に解任】は私に証言させたいと言っていたのですが、レナードは反対でした。それで私は証言しませんでした。1999年、私はまた証言を求められたので、証言すると言いました。
  43. 今は証言するつもりです。
  44. ムミアは銃を持っていませんでした。ムミアは私と・・・[欠落]・・・の間にまったく入り込みませんでした。
  45. 私は、あの警官を撃ったり殺したりしたこととは何の関係もありません。兄のムミア・アブ=ジャマールは、警察官を撃ったことや殺したこととなんの関係もありません。
 私は、ペンシルベニア州法とフィラデルフィア市法にもとづき、嘘を言えば偽証罪に問われることを知ったうえで、供述します。

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