|
(第3次提言・その5)
16) 治山計画、保安林制度と「森林委員会」
地域・流域が主体となった森林整備をすすめるのであれば、保安林の指定、地域の治山計画の策定は、まず「森林委員会」がおこなうべきであり、森林委員会ごとの調整は「流域森林委員会」が行い、都道府県は国の基準に基づいてそのガイドラインを示し、国はその調整をおこなって実施するかたちに変更することが望ましいと考える。
また、「保続対象森林制度」の創設により、保安林制度は、その指定施業要件がより重要なものとなり、より公益的機能や環境整備に重点をおいた施業を求められることになるため、整備の実施が地域における「フォレスト・ミニマム」の確保においても大きな意味を持つようになることから、指定・解除だけでなく、その事業内容等の是非についても「森林委員会」・「流域森林委員会」で扱われるのが望ましい。
例えば、水源かん養機能は基本的に森林であれば少なからず有している機能であって、この機能を発揮するという保安林であれば通常の林業行為と同じような施業であっていいはずはなく、名称はともかく普通林とほとんど同じような施業が行われている治山事業は当然見直されるべきである。このような意味においては、全ての治山事業、保安林制度において、改めて環境保全技術に裏打ちされた森林施業が実施されるように再構築される必要がある。
17) 林道規格の撤廃と地域・流域における自主的な決定
天然林、人工林をふくめて、これからの森林管理に求められていることは、森の生態系や森のさまざまな役割を守ることのできる、きめの細かい森林の手入れと管理をすすめていくことである。そのためには、たえず森林を見廻り、必要な作業をしていく必要があり、その基礎になるのが林道網の整備である。また「森林地図」の作製や、森林計画、森づくりとそのチェックヘの市民の参加を促していくためにも、林道網の整備は必要条件である。
しかし現実には、林道建設は、森林以外の目的に使われる林道建設や、自然破壊道路としかいいようのない林道がつくられたケースもあったために、多くの人々の批判をも浴びてきた。
このような不幸な状態を克服するために、(1)林道は森林管理道路であることを明確にし、多目的林道の建設は中止するとともに、森林の手入れや管理、地域の人々の伝統的な森林利用のため以外の車両の乗入れを禁止する。(2)林道規格をより自由なものにし、地域、目的に適した幅員の林道づくりをすすめる。(3)これまでのように一定幅の林道建設でなければ補助金を出さないという制度を改める、といった改革をすすめたうえで、早急に林道網を整備すべきであると私たちは考える。とりわけ、これまでの林道建設が、一定の幅員を強制したために、急傾斜地では、法面の高い、つまり山を削りすぎて崖崩れをおこしやすい、自然破壊的な林道を強制してしまったことは反省すべきであろう。急傾斜地では、細い、傾斜度の高い林道でも安全に運行できる特殊車両の開発(すでに多くの型の特殊車両が開発されている)とセットで林道を考えるべきであり、林道が森林管理の専用道路であるなら、それでよいはずなのである。
したがって全国一律的な林道規格は撤廃し、地域の実情にあった林道整備計画を「森林委員会」が策定し、「流域森林委員会」で総合的に調整したうえで、都道府県、国と再調整するかたちに改めるべきである。またそのとき、林道は森林管理道路であることを明確にし、多目的林道は山村振興道路として、関係各省庁の協力のうえで開設することを求める。そうであれば、林道上での事故は本人責任であることを明確にし、通行車輌に対して、補助金を用いて開設したものについては有料の通行許可証を発行するのも一つの方法である。
18) 高性能機械に傾斜しすぎない技術の維持を
森を守るには、第一に、木の成育状況だけではなく、森とともに変わっていく自然と地域社会の変化を、総合的にみる目をもつ人々を維持していくこと、第二に、必要な手入れ、伐採などをする森の技術者を維持すること、第三に、森で働く人々を守る地域社会をつくりつづけること、第四に、それらを後方から支えていく流域の人々の連帯と交流(そのひとつの形式としての森林ボランティアの活動をもふくめて)が必要である。
すなわち、人、技術、地域、幅広い連帯と交流から生まれる総合的な力が、森を守る力だといってもよい。
ところが現実には、森で働く人々が減少、高齢化し、地域の林業意欲も低下する過程で、効率よく森の作業をするための方法だけが政策として論じられてきた。こうして各地で、タワーヤーダー、プロセッサーといった高性能機械を導入する動きがひろまった。
もちろん私たちは、高密度林道網の開設を基礎にして、高性能機械が動かせる体制も築くべきだと考えている。しかしそれは、第一に全国一律に有効なわけではなく、たとえば高性能機械を動かすことのできる道幅の林道をつくれば、森林と山腹崩壊をおこすような急峻な地形の場所もあるし、他方都市近郊や集落近くの里山のように、効率は低くとも、多くの人々が手作業で森の手入れをしながら、森のもつさまざまな力や森とともに暮らすことはどういうことかを発見していくことのほうがはるかに有効な森もある。
私たちの目標は森とともに暮らす社会をつくることにあり、その作業上の手段として有効性のある森には高性能機械を導入するのであって、高性能機械を導入しさえすれば全国の森の作業がいき届くかのごとく錯覚に陥ってはならないだろう。
第二に高性能機械を、減少する森の労働力の穴埋めとして位置づける今日の傾向は、完全な錯覚であるといわなければならないだろう。そもそも新しい技術や先端的な技術は、継承されてきた技能に支えられてこそ有効性を発揮するものであり、それは今日の「技術論」の常識となっている。ところが、いまなお森林の分野では、継承されてきた技能が崩壊しても、新しい技術を導入すれば問題が解決するかのごとく古い議論がまかりとおっている。
現在の課題は、森を守る伝統的な技を基礎にして、作業上ある部分を高性能機械で担うことのできる体制をつくることなのであり、また何よりも、森に必要な手入れと、森とともに変わっていく自然や地域の変化を的確にとらえる目をもった人々を守り、育成することが、森での作業における出発点だという根本的な問題を、現実化する体制をつくることである。
私たちは、高性能機械が、伝統的な技を代替するものであるかのごとく考える今日の風潮は、改められなければならないと考える。森を守るものは人であって機械ではない。森とともに暮らす社会をつくることのなかにこそ、森を守る力は生まれるのである。
19) 森林に関するすべての公的累積赤字の解消を
最近では広く知られるようになったように、森林管理にかかわってきた機関や個人のなかには、膨大な借入金や累積赤字によって、健全な森林管理ができなくなっている機関、個人が数多く存在する。
たとえば林業経営者にも、人工林をつくる過程で国や県の造林資金などを借りた人々のなかには、今日の木材価格の低迷によって苦境にたたされている人々が多数存在する。もちろん個人の経済活動を、危機に陥ったからといってただちに公的に救済することがよいわけではないが、この結果として育林の放棄がすすむならば、森林の荒廃という巨大な「負債」を後世の人々に背負わせてしまうことも、また事実なのである。
とすれば、ここでは、ふたつの緊急の対策が必要であろう。ひとつは過去に高金利の造林資金を借りた林業経営者に対して、低金利の資金への借り替えをすすめ、同時に返済期問の延長を無利子、もしくは超低金利で認めることであろう。人工林は、その造林がはじまった頃には、50年以下で伐採する計画になっていた。しかしこの短伐期型の林業は、@木が細すぎて採算に合わず、またA環境としての森林の維持という観点からみても好ましい方法ではない、ということが明らかになってきたがゆえに、今日では、80年、100年後の伐採=収穫をめざす長伐期型の林業を目指す林業家がふえてきている。とすれば資金融資の仕組も、この変化にふさわしいものに変えられる必要があるだろう。
それが第一の対策とすれば、第二の対策は、これまで述べてきたように、森で働く人々への国の「直接支払い制度」を早急に確立することである。森をつくり、守る仕事の社会的有用性を考えるなら、ある程度の直接支払いは根拠のないことではなく、また1999年度から山村(中山間地)の農業に対する直接支払い制度を農林水産省がしていることをみても、森で働く人への「直接支払い制度」は不可能ではないはずである。
これまで森林に関する財政問題は、国有林の累積赤字が議論の中心になってきた。もちろんこの問題の解決はきわめて重要な課題であるが、民有林の「財政問題」を放置していたのでは、日本の大多数の森、私たちの身近な森は、ますます荒廃してしまうであろう。とすれば、民有林対策を欠いた「財政問題」はありえないはずなのである。
このような視点にたつとき、二番目に課題になることは、都道府県の森林整備法人がかかえている実質的な累積赤字の解決方法である。都道府県の森林整備法人は、これまで森林所有者と分収育林契約を結び、植栽、育林などの仕事をしていた。多くの場合、契約期間は50年であり、森づくりのすべてを森林整備法人がおこなう代わりに、50年後の伐採時に公社と所有者が50パーセントづつ分けるという契約が結ばれている。この契約方法だと、伐採時に予定通りの木材価格が維持されていれば公社は森づくりに必要だった全費用を回収し、森林所有者は、50年分の「地代」を受け取れる。ところが現実には、木材価格が予定をはるかに下回っているために、公社は費用を回収できず、森林所有者も伐採後の「ハゲ山」を返してもらっても、受け取った50年分の「地代」では、そこに新しく木を植える費用もでないという事態におちいっている。しかも公社がこれまでに使った造林費は、各種借入金に頼っており、このままでは造林公社の破綻は時間の問題である。また戦後の早い時期に契約した森林では、そろそろ50年の契約終了期を迎えており、この問題は、近いうちに、一気に表面化するだろう。
この課題に対して、私たちは、拡大造林を目的としてつくられた都道府県の森林整備法人も、国の緑資源公団による造林も、すでにその役割を終了しており、これからは契約森林の育林と、地域、流域に適した森づくりを支援していく役割に切り換えていくべきであろうと考える。そして、(1)都道府県の森林整備法人と国の緑資源公団は拡大造林を一切中止し、再造林の場合でも土壌や奥山などの条件から人工林の森づくりに適さない場所や、あまりにも費用がかかりすぎる場所では、天然林に戻す努力をすべきである。(2)契約終了時でなければ「赤字」が確定できないことを口実にして、赤字の実態を隠している体質を改め、毎年、その年の木材価格が計算したとき、各都道府県と緑資源公団はどれだけの「累積赤字」があるのかを計算し、すべての人々に公表することを求める。
この「累積赤字」を、林野庁は全国で1兆円弱と公表しているが、実際にはこれではすまないだろうと私たちは推測している。各都道府県の林務関係者への聞き取りでは、その県の公表額の数倍がわが県の実態というところが多く、森林の多い県では、県の年間総予算に近いほどの「累積赤宇」があると答えているケースもある。これらの聞き取りを元に、私たちは、実質的には全国の公社赤字は、2兆から3兆円近くにのぼっている可能性があると推測しているが、問題は、正確な数字が公表されていないために、その深刻さが伝えられていないばかりでなく、この問題に対する議論さえひろくおこなわれていないことである。
最近では、私たちのこれまでの「提言」活動に応えるかたちで、正確な数字を公表した自治体もあるが、全国の都道府県は、何よりも森林整備法人の実質赤字を公開すべきである。
この前提にたって、(3)国有林に残る累積赤字をふくめて森林についての総「累積赤字」を計算し、その一括的な解決をはかる必要がある。(4)その方法としては、とりあえず「森林債」を発行し、国が中、長期的に処理するなどの検討も可能であると考える。また、(5)この処理にあたっては、前記したように、森林政策の全面的な改革と一体のものとして後述する「森林・水源税」を創設し、この税収の一部をあてるといった方法も可能である。
だが、同時に、(6)これからの森林管理にあたっては、民有林、国有林を問わず赤字が累積しない方法をつくりだす必要があり、そのためには、これまで述べてきたように、森で働く人々への「直接支払い制度」をつくることによって、経営効率や収支だけにふりまわされることなく、安心して森で働くことができるシステムの創造が、何より重要であると考える。
20) 補助金システムの改革を
1950年代後半から1960年代までつづいた、天然林から人工林への転換、いわゆる拡大造林は、1970年代に入ると転換期をむかえるようになった。現在では日本の森林の約40パーセントが人工林であり、そのなかには人工林不適地に無理して苗木を植えたものの、十分に成林しない場所もふくまれている。
人工林は、利用度の高い樹種を集中的に育てることによって、間接的には天然林の無理な伐採をくい止め、天然林を保護するという役割をもはたしており、けっして否定されるべきものだとは思わない。しかし今日では、(1)不適地につくられてしまった人工林をどうやって天然林に戻すか。(2)広葉樹の侵入した人工林づくりの技術を確立する。(3)現に存在する人工林の手入れをどうやって実行していくのか、といったことが課題となっている時代であり、その意味では拡大造林時代は終焉している。
ところが、林業イコール人工林面積をふやすことという拡大造林時代の精神の惰性は、森林組合、都道府県の森林整備法人などのなかには、いまだに残っているところもあり、しかも国の補助金が人工林づくり以外にはほとんど支出されない実質上の「産業補助金」であるために、この傾向を克服しきれない現実も存在する。
私たちは、まず国や都道府県の補助金を、「林業補助金」から、森を守り育てる仕事をしている人への「直接支払い制度」に切り換えることを求める。この転換によって、林業的な仕事も、非林業的な森を守り、森に手入れをしていく仕事も、等しく森を守る仕事として展開できる体制をつくりだしていくべきであろう。
これまでの森林に対する各種補助金は、林業という産業に対する補助金という性格を色濃くもっていた。それはうまく林業が循環すれば結果として森は守られるという「予定調和」説に支えられた補助金であった。
しかし今日では、(1)林業もまた森を守っていく重要な行為であることに変わりはないとしても、林業の対象にならない森をどう守っていくのかも重要な課題になっている。(2)林業をすすめている人々に対しても、木材生産の効率性を阻害するような、たとえば針広混交林の育成や複雑な多段林、下層木の保護、さらには広葉樹育成をめざした林業などが求められており、林業は純粋な産業とはいいがたくなっている。(3)林業は地域社会づくりと強く結びついており、この点でも林業は経営の効率性だけを追求するわけにはいかなくなっている。(4)これからの森林管理を考えるなら、地域、流域、都市の人々と一緒に森づくりをしていく必要があり、これらの面は林業の効率性だけをみればかえってマイナスになることが多い、といったさまざまな現実がある。
とすれば、産業としての林業振興を目的にした補助金政策は、すでにその意味を失っている、といってもよいだろう。
このような問題を解決するために、私たちは、森林に関する補助金を、(1)森林管理のための道路の開設など、森とともに暮らす社会づくりのための基盤整備をめざした補助金、(2)地域に適した加工場づくりなど、森林資源を有効に活用するための補助金、(3)森を守り育成するために働く人々に対する「直接支払い制度」としての給付金に整理すべきだと考える。
このなかの(1)、(2)、は、地域に適した林道づくりを阻害するような補助金になっていたり、地域の森林資源の有効利用とかけ離れた巨大な加工センターの建設がおこなわれたり、といった問題はあったが、運用規模や方法を改革すれば、有効なものであるということもいえる。
ところが、これからの森林管理のための補助制度の機軸になるべきものである、森で働く人々の賃金を支援していく制度は、全く存在していない。そのために森で働く人々は低い賃金を余儀なくされており、地域と森との関係や流域、都市との関係を考えながら森づくりの計画をたてるといった働き方は、どこからも収入が生まれないだけに、実行不可能な状態である。
森で働く人々とは、これからは森とともに暮らす社会づくりの中心として、さまざまな能力を要求される人々である。またそうならなければ、日本の森を守りつづけることはできないであろう。
ゆえに私たちは、森で働く人々への国が行う「直接支払い制度」を、早期に導入すべきだと考える。とともに、補助金の申請、受け取り組織は、現在の森林組合から、先述した「森林委員会」に移すべきだと私たちは考えている。
また、国から地方への補助金については、できるだけ国の関与を少なくするという地方主権の立場から、現在のような個別の事業ごとの補助金から地方における使途を自由に選択できるような総合補助金に改めることが必要であると考える。
21) 森林組合の改革と林業担い手の育成
農業に農協があるように、林業には各地に森林組合がある。ところが農協は、今日ではさまざまな問題を露呈させているとはいっても、それでもなお戦前、戦後の農民の運動を出発点にしており、農業者の協同組合であるという性格を一応はもっている。
それに対して森林組合は、(1)補助金の受け皿団体として上からつくられてきた、(2)その結果、林業者の協同組合ではなく、森林所有者の団体である、という性格をもっている。つまり森で働いていても森林を所有していなければ組合員になることができず、逆に森に関心はなくとも所有者であれば組合員になれるという矛盾に満ちた団体になっている。
ところが森林組合は、農協とは違って、作業班制度をもっている。つまり森で働く人々の労働組織が内部にあり、その結果地域の森づくりの中心になっているという面も、また成立しているのである。
このような経過を踏まえてこれからの森づくりを考えていくなら、まず第一に、森林組合はその財産ともいうべき労働組織=作業班を強化し、同時に単なる林業のための労働組織から、総合的な森林管理をすすめる労働組織へと変革していく必要があるだろう。それは先述した「直接支払い制度」を行うことによって、実現可能なものになる。
しかし、第二に、森林所有者の組合であるという性格を改め、森で働く人々、地域で森づくりに意欲をもつ人々、森林教育を推進しようとする地域の学校関係者、さらに長期にわたってその地域の森づくりに参加しようとする、流域、都市の森林ボランティアなど、森にかかわるすべての人々が組合員になれる組織に変えていく必要があるだろう。
また、第三に、森林組合と補助金との関係も、私たちは見直してもよいのではないかと考えている。なぜなら今日の森林組合は、補助金の手数料で維持されているケースも多く、そのために森づくりよりも、補助金額の維持を目的にした組合になっていることも多い。
森林組合は、「直接支払い制度」の実現を前提にして、総合的な地域の森づくりをすすめる労働組織に純化したほうが、これからの森づくりにとってはよいのではないだろうか。とともに、さまざまな人々が組合員になることによって、労働組織の仕事の内容をひろげていく、つまり森の作業とは単に木を植えたり切ったりすることだけではなく、地域に適した森づくりのプランナーになることでもあり、人々を森へと導く案内人になることでもあり、さらに森と地域に関する総合的な専門家になることでもあるということを、少しづつ確立していくことのほうが重要であろう。
したがって、森林組合法、協同組合法を改正し、その方が適している地域では、農林一体の協同組合や、農林漁業一体の協同組合、あるいは山村総合協同組合なども創設できるように改革することを私たちは求める。とともに森林組合の組合員を森林所有者と限定せず、一定の組合費(少額でよい)を納める森林所有者以外の地域、流域の人々、たとえば森林で働く人々、森林を教育のなかで活用しようとする学校関係者、森林を舞台にして活動する文化団体や森林ボランティアの人々も参加できるように改革するのが好ましい。すなわち、新たな「森林コミュニティ」の担い手、あるいはそのものとしての森林組合の改革を求めるものである。
また前述したように各種助成金にかかわる業務は「森林委員会」に移し、森林組合は地域の森林を育て、守り、また林業振興と結びついた各種活動をおこなう組織として活性化させることを私たちは提案する。
もちろんその活動を活性化させるためには、森林組合や「第三セクター」のもとで働く人々が森林にかかわる総合的な仕事、すなわち地域の森林の将来デザインやそれを実現するにふさわしい技術の創造などをふくめて行えるようにするとともに、その待遇を根本的に改革する必要がある。その場合も必ずしも通年雇用にこだわらず、季節雇用や臨時雇用であっても、その雇用形態のままで、待遇を改善するための制度として、現在の造林補助制度を改変した「直接支払い制度」が有効だと考える。
22) 相続税の改善について
山に植えられ、あるいは種から芽を出した苗が、とりあえず森のかたちをつくりだすには、最低40〜50年が必要となる。豊かさを感じさせる森になるには、100年、200年といった年月が必要である。天然林の場合でも人工林の場合でもそれは変わらない。しかも今日では、林業においても生態系と調和させた、広葉樹を導入、あるいは侵入させた人工林も求められており、広葉樹を育てる林業となれば、針葉樹よりもさらに長い年月が必要になる。
ところが日本の税制では、相続の度に相続税がかかるために、成育途上の森が伐採されてしまうことがしばしば起こる。とりわけ都市近郊の森では、そのような森こそしっかり維持してもらいたいというのが都市の人々の願いであるにもかかわらず、土地の評価額が高いために、所有者は森の伐採収入だけでは相続税を払いきれず、泣く泣く土地そのものを開発業者に売却せざるをえない状況に追い込まれることも多い。
それは都市内、住宅地内に残された旧里山でも同じであり、こうして都市に残る貴重な森がこわされていく。ところで、農山村では、相続税の影響を受けるのは大規模な森林所有者のことが多く、そのために森林の相続税問題は、大規模森林所有者問題にすぎないという意見もあるが、このような意見は、(1)都市内、ならびに都市近郊の森林問題を理解しているとはいえず、(2)農山村でも大規模森林所有者が雇用や森林に関する、技術の継承の面ではたしている役割や、この層の人々が森林を守りつづけることが地域の人々に与えているさまざまな影響を軽視した意見である、といわざるをえない。森林所有のあり方に、さまざまな矛盾があることは確かであるが、それは所有者の現実的な役割を否定することによって解決する問題ではなく、森林所有とは何かについての新しい社会的合意をつくり上げていく過程で、解決しなければいけない課題である。
森林についての相続税は、長い年月をへてつくられる森の性格に適したものでなければならないと私たちは考える。相続の度に伐採を余儀なくされることは、社会的財産という面をももっている森林が、税制によって破壊されることでもある。
このような問題を解決するには、森林の相続税は相続時に払わなくともよく、その森を伐採したときに、過去にさかのぼって支払うことを可能にする、新しい制度を設ける必要がある。そうすれば、所有者は十分に森が育つまで相続税のために伐採する必要はなくなり、森林のもつ社会的役割も維持することができる。
また都市内、都市近郊などにおける森林の土地に対する評価額の高さも是正する必要があり、これも森林として維持するならば、ここからは収入をほとんど得られないことを考慮した低い評価法を設け、ただし相続者が森林を宅地等に用途替えしたり開発業者に売却したときは、さかのぼって評価をやり直し、一般的な相続税を追加徴収する方法を設ければよい。
今日の相続税のあり方が、日本の森林荒廃の要因のひとつになっているばかりか、地域のリーダー的な林業家の林業基盤を空洞化させることによって、林業の衰退を促進する原因にもなっていることは言うまでもない。したがって、立木・土地を含む森林の評価に当たっては、森林としての存続を前提に「私的財産」としての森林から「公共財」としての森林分を差し引いた額で評価できるように計算方法を改めるとともに、立木の相続税の支払いは、相続回数に関係なくその森林を伐採した時点で一回支払えばよいというかたちに改正すべきである。
森林についての税制は、いかに良好な森を守っていくかという視点から、改ためられなければならないと私たちは考える。すなわち、「保続対象森林制度」と相続税制度の一体化により、最も基本である森林として担保するという「フォレスト・ミニマム」を確保することが求められる。特に、これは国レベルでの確保すべき「フォレスト・ミニマム」であるといえる。
23) 森林における生物多様性の保全
私たちの社会は、高度経済成長の過程の中で森林への開発圧が急激に高まり、森林生態系に大きな変化をもたらした。このことが、森に住む多種多様な生き物たちを危機的な状況に追い込み、人間をも含めた生態系のバランスが崩壊しつつある。
多くの生物は、生息地が孤立してしまうと、その地域での個体数が減ってしまい、絶滅する確率が高くなると言われている。特にもともと個体数の少ない大型の動物ではこの傾向が強く、ツキノワグマを筆頭に、カモシカ、クマタカなどがこのような種類としてあげられている。
また、森林では数多くの種類の生き物が相互関係を保つ複雑な生態系を形づくっているが、生物の生息環境としての森林が分断・改変されることによって、直接的な影響をこうむる種類だけでなく、生態系内の相互関係を通じて間接的に多くの種類の生き物が影響を受け、それによって生態系そのものが大きく変化してしまうおそれがある。多様な生き物の住む生態系を保つためには、森林を孤立化させることなく、隣り合った生態系同士の相互作用を途切れさせないようにすることが重要である。
このような生態系としての森林を維持し、未来に伝えていくために、人間と野生生物の共存を可能とするような森林づくりが必要とされている。現在、国有林をはじめ幾つかの地域で取り組まれ始めている「森の回廊」構想は、この森林生態系保全のためには有効なものと評価されることから、今後ともこの活動を支援する必要がある。
特に、森林の連続性を確保するためには、国有林のみでなく民有林においても、また、天然林だけでなく人工林においてもその取り組みを可能にするための支援策が必要となっている。野生生物にとっては、国有林と民有林の区別は意味がないからである。
現実に森の回廊を作っていくためには、コア(核心部)となる良好な状態の森林が十分にあること、コアを結ぶ森林帯が回廊として設定されること、その森林帯も生物の生息場所として必要な環境を備え、生物との共生するための森林管理がなされることなどが具体的な条件としてあげられ、このような森林における生物多様性の保全のために、保安林制度等を活用した地域指定や森林認証制度を用いた「直接支払い制度」の活用、農作物などへの動物被害に対する補償制度の創設を合わせた総合対策を求めるものである。
24) 住民としての二重登録制度の創設
都市は農山村を必要とし、農山村は都市を必要とする社会をつくりだすには、農山村と都市とを一体的な場所として暮らす人々を生みだしていく必要があるだろう。それは都市と農山村の両方に関係をもちながら暮らす人々である。
現実の社会をみるなら、このような人々は以前から大量に存在してきた。たとえば、現実的な労働、生活圏としては都市に属しながら、精神的な面では農山村であるふる里と結ばれている農山村出身者は多かった。旧盆、連休といったときに帰郷することによって、都市の暮らしでは手に入らないものを、ふる里を訪れることによって獲得してきたのである。
しかも最近では、都市出身の、つまりふる里をもたない人々のなかに、新しいふる里をつくろうとする動きが登場してきた。「創郷」とでも表現すべき動きが、少しづつひろがってきたのである。
農山村に移住し、仕事は都市との結びつきでおこなっている者も、生活の一部を都市で支えている者もいる。逆に主たる生活の労働の場所を都市に定め、農山村にもうひとつの居住地をもつことによって、自分のライフスタイルをつくりだしている人もいる。さらにある地域の農民との結びつきや森林との結びつきを大事にすることによって、その地域に変則的なふる里をつくりだそうとしている者もいる。
すでに多くの人々が、自分に可能なかたちでの、都市と農山村との一体的な暮らし方を模索し、行動に移しているのである。
それは、都市の人々、農山村の人々という単純な分類だけでは、これからの都市も農山村もみえない時代がはじまっていることを示している。つまり、新たな「森林コミュニティ」の創造が必要となっている。
このような、一面では伝統的な、他面では新しい動きを定着させ、それをこれからの都市づくりと農山村づくりに結びつけていくためには、私たちは、希望する人々に、住民としての二重登録を認めるべきだと考える。そのうえで、地方税のふたつの「居住地」への分割納入や、小、中、高校のふたつの「居住地」の選択などを可能にすれば、農山村はいわゆる定住人口だけにこだわらない、新しい地域づくりをすすめることができるばかりでなく、学校教育の活性化にもいかすことができるだろう。またそれは都市の人々の新しい存在の仕方を提起する方策でもあり、都市と農山村の同時的改革の柱になるものだと私たちは考える。
25) 山村の生活上の条件不利の早急な解決
適切な森林管理が長期持続的に実現するには、山村での人間の安心して暮らせるような条件を整えることが必要であることはいうまでもない。そのために私たちはまず、生活上の条件不利を次の三点において取り除くことを求める。
(1)
山村においては、その子弟の進学・教育に都市以上の資金が必要であることが多く、それが村で暮らしたくとも暮らせない現実をつくりだしている。教育上の条件不利地域を設定し、その地域内の子弟が高校、大学、短大、専門学校で教育を受けるときには、月額8万円程度の「山村奨学金」が受けられるようにし、30歳代くらいまでに帰村した者には、その返済を免除する制度を設けることはできないのであろうか。
(2)
今日では日常の病気は村内の病院などで治療を受けることが可能になったが、長期入院を必要とする病気にかかったときは、否応なく地方都市等の病院に入院せざるをえず、ホテルに泊まって介護をするなど介護者の負担は膨大なものになる。医療上の条件不利地域を設定し、その地域内の人々が通えない場所での介護をしなければならなくなったときには、介護手当てが支給される制度をつくることはできないのであろうか。
(3)
今日では、農業、林業といった山村的な働き方と暮らしをすればするほど、国民年金以上の年金が受けられず、それが若い人たちの老後不安となって、農林業を放棄し、山村から離れる大きな原因になっている。一定の公費助成のもとで、森林や自然を守り、流域の森林や自然を維持するために働いている人々に対する「環境維持の従事者年金制度」のようなものはつくれないのであろうか。
以上3点は、山村に暮らす人々の「生活上の条件不利」であり、それらが解決するなら、山村の自立的な活力の回復は可能である。
26) 森林ボランティアの育成
現在、全国に多くの森林ボランティアをする市民が出現しているが、我が国での歴史も浅くそれらの活動はまだぜい弱なものがおおい。その中でもいくつかの団体は特定非営利活動法人の資格を取得するなど活動の基盤を整えだしたものも見受けられる。
今回、私たちが提案している森林管理の諸システムは、その基礎を自律的な市民活動に支えられたものとして描いているが、これらのシステムの整備と平行して市民活動としての森林ボランティアの活性化が必要であることはいうまでもない。
この課題は私たち自身に課せられた課題であることは認識しつつも、森林公共空間における公共サービスを担う点では行政となんらかわりないものと判断されることから、緑の募金制度の優先的な活用により、現在全ての活動団体が窮している事務局運営費などへの助成を希望する。
また、森林ボランティアの技術養成機関の創出が必要であり、ここでもボランティア団体同士の、また、ボランティア団体と行政との協力・連携が必要であり、森林ボランティアの要請に応える形での行政機関の技術支援を希望する。
このような支援策により、将来的には森林NPO自体が、森林ボランティアを募り、放置森林などの整備を行い、「直接支払い制度」を活用し、独自の森林整備主体に成長することも可能となるだろう。また、放置森林の受け入れや信託を受けることも考えられるが、そのような存在になったとき、本当の意味で多様な主体による森林整備が実現されるようになるものと思われる。
その結果、将来的にはイギリスにおけるBTCVのような団体としての日本版組織、JTCVというべきものが組織される可能性が生まれてくると考えている。
27) 総合的な流域管理組織の創設を
これまでの日本の森林行政をみると、次のような問題点が浮び上がる。(1)山村の人々は大多数が農業と林業を一体のものとしてとらえ、その組み合わせで暮らしてきたという歴史をもっているにもかかわらず、農業政策は農林水産省、林業政策は林野庁となって、一体的な行政がおこなわれてこなかった。(2)森林と一体のものであるはずの山村の河川をみても、治山ダムがつくられているところから上流が林野庁の管理、砂防ダムがつくられているところから下流が建設省の管理となっており、山村の河川と森林の統一的管理さえできていない。治山ダムと砂防ダムの違いにいたっては、ダムの礎石に張られたプレートをみなければわからないといったもので、つまり省庁の都合で勝手に山村の川を分割してしまっているのである。しかも水質は厚生省、農業用ダムは農林水産省、治山ダムは林野庁、その他のダムは建設省、しかも都道府県のダムや企業の専門ダムまであり、本来なら森林と一体で管理すべき河川は、まさに行政によってズタズタにされてしまっている。
さらに山村では、水田、棚田や用水路が治水、治山にはたす役割も大きいにもかかわらず、それは農林水産省の管理下におかれている。つまり、山村に暮らす人々の感覚と、省庁の感覚はあまりにも隔たっているのである。
山村の人々にとっては、森、川、用水路、水田、畑は一体の労働、生活圏であるが、省庁はそれらの権限を勝手に分割し合い、統一的な政策は全く提示しえない。
また山村では、森、川、田畑をどうするかという課題は、地域づくりと直接結びつき、さらに村の教育や介護などの福祉政策も村づくりと結びついているのに、それらを統一的に考え政策化していくことは、中央の省庁の権限によってズタズタにされているのが現実である。
これでは森とともに暮らす社会づくりなどできようもない。
この矛盾を解決するには、まず第一に、地方分権、地方主権を強化し、とりわけ市町村が自主的に地域づくりのなかで森林のあり方や農業のあり方をも統一的に打ち出し、政策化していく体制をつくりだすより他ない。主人公は地域であり、中央はそれを補作するという関係がつくられなければ、森とともに暮らす社会づくりは実現できないのである。
このような前提の上に、第二に私たちは、中央の省庁も、山村にかかわる部署が同じテーブルにつき、政策の一体性をはかっていくべきだと考える。
「第1・2次提言」では、私たちは、地域住民や流域市民を主体とする力強い森林管理をすすめていくためには、林野庁、国土庁、環境庁の森林関係部署を統合したより総合的な「森林・水源庁」の創設が必要であるとした。しかしながら省庁再編成の中でそのような組織はつくられなかった。特に、森林と関連の深い河川については、建設省と国土庁が合併した国土交通省に引き継がれ、流域管理という視点からは、依然として縦割行政が続くこととなった。
森林はこれからの日本の社会の基盤であり、大事な国民共有の財産である。とするなら森林行政にはもっと力を入れるべきであり、地域・流域からの森林管理を基礎にした、開かれた行政を総合的にすすめる組織が必要である。
しかし、森林と河川等が一体となった流域管理を可能にするには、行政機関の横割的な対応が必要となるが、何よりもそれを可能にするのは市民セクターとしての私たちの役割であることを確認したい。
私たちは、森林市民として活動を始めたのではあるが、このような視点に立ったときには、これからは河川行政などへも積極的に参加し、自ら森林や河川を含んだ流域的管理を推進する原動力となることを目指したい。
28) これからの森林財源について
以上のような、全流域市民が幅広く参加する、開かれた森林管理が実現していくならば、私たちは、森林ボランティア活動にかかわってきた市民の意見として、「森林・水源税」の創設を積極的に訴えていく用意がある。
同じような「税」として、以前に議論されたものに水源税があるが、これが実現しなかった原因としては、(1)国民の森林保全に対する関心が盛り上がりを欠いていた
(2)農業用水が除外されるなど省庁間の取り引きに終始し、国民参加の森づくりの課題が希薄なものになっていった、という二点があげられる。
が、それ以上に、国民の不信感を招いたのは、(3)戦後の森林政策の誤りが提示されず
(4)その結果、これまでの森林政策は変わらないにもかかわらず、税負担が増す、つまり(5)戦後の森林政策のなかには、いきすぎた拡大造林、自然破壊といわれても仕方のない林道工事、治山事業など、多くのものがふくまれており、水源税が何に使われるのかわからない、という不信を増大させたこと (6)これからの森づくりの方向が明確でなかったこと(7)F国民参加の森づくりが示されないままに、税の問題だけが提案された、などの問題点があった。
そのことが、森林保全のためには税負担も必要と考える市民までをも、水源税反対に追いやってしまった。
国民は、森林保全のために必要な負担を拒否したのではなく、これまでの森林政策の誤りを認めることも、新しい森林管理の方向性が提示されることもないままに、行政が税負担だけを要求することに、反対したのである。水源税が、結局は土木事業に使われるのではないか、という声が広がったことは、このことを如実に示している。
そのため、「森林・水源税」は、ダム・堰堤などの人工構造物の建設には用いないこととし、直接所得補償制度による給付金の財源として、森林の育成、手入れ、管理のために必要なことのみに用いることを、明確にしなければならない。
29) 新たな木材需給率の設定について
現在までの森林・林業政策は長期の木材資源の需給見通し、すなわち木材需給率などを目標として取り組まれてきた。しかしながら、現在の木材需給率は20%を割り込み一向に回復の兆しは見えない。一方で日本の森林資源については戦後拡大造林として造成してきた人工林が4割を占めるにいたって、統計上では森林の成長量をもって国内の木材需要をまかなえる状況までになっている。
また、地球環境問題においては、温暖化防止対策として森林の二酸化炭素吸収量の評価については議論があるものの、森林そのものの二酸化炭素吸収能力や木造建築などによる二酸化炭素の固定、バイオマスエネルギーとしての利用による化石燃料消費の削減など、森林の地球温暖化防止に対する能力については異論がない。さらには、木材は鉱物などの他の資材の生産過程に比べて化石燃料の消費量も一段と少ない。
しかし、現在日本の木材需要の大半を担っている外材については、確かに生産過程におけるコストについては国産材に対して優位にあり、従ってその過程に消費する化石燃料も少ないが、国外から運搬する過程における化石燃料を考えると国産材に比べてその消費量は多く、結果として木材の生産過程における化石燃料の消費量は多いものとなっている。
そのため、今後は地球温暖化防止対策の観点から、エネルギー消費をいかに抑えるかという前提があるものの、建築資材や化石燃料について木材の使用による代替を進めること、それも国産材による需給率を高めていくことが重要である。
また、これからの国の森林・林業政策の目的が、森林経営を持続可能なものとすること、あるいは森林の持つ公益的な機能を高度に発揮することに重心が移ったとしても、それを可能にする手法は依然として林業というものをとおして行うという視点に変わりはない。それであれば、その林業という手法をとおして行う森林整備については、やはり日本における木材生産量あるいは需給量をどのように想定するかに基づかなければ、その数量を導き出せないことになる。すなわち、たとえ木材需給量を政策目標からはずしたとしても林業という手法を使う以上、森林整備計画は木材需給量に回帰してしまうのである。
さらに、日本に輸入される外材については、依然として持続的森林経営に違反したいわゆる違法伐採によるものがかなりの量を占めると推測されることから、今後は、木材ロンダリングについての対応も含め、持続可能な森林経営から産出される木材の輸入に限るようにするべきである。
これに対応して、国内における森林・林業政策においてもその森林経営が持続可能なものとなるように改めて環境対策を含めた森林・林業における「環境大綱」を早急に取りまとめることが必要である。
以上のことから、今後の森林・林業政策の基本的な目標値として、地球温暖化防止対策としての建築資材や化石燃料における木材の代替による需要量、木材需要における国産材需給率、持続可能な森林経営からの木材調達率などを掲げることが必要である。ただし、その具体的な数値の設定については、国内の森林の木材生産能力の精査など多くの課題が山積されているため数年間をかけて国民にオープンな形で議論され決定されるべきである。
また、市民活動の観点からは、森林認証や違法伐採の監視など国際的なNGOなどとの連携のもと、国内における持続可能な森林経営の推進や国産材の需要拡大に取り組む運動を喚起していく必要がある。
(第3次提言・その6へ)
(第3次提言・Topへ・戻る)
|