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(第3次提言・その3)
3. これからの森林管理について―私たちの提案
1) 「森林・林業・山村・流域基本法」の制定
現在の「林業基本法」は、林業経営をとおして森林管理をも実現することを基本にしており、環境と森林の関係も、農業と林業の関係も、さらに山村という地域づくりと森との関係や流域、都市住民と森林との関わりについても全く不十分であり、今日の森林に関する「憲法」としてふさわしくない。
そのため、森とともに暮らす社会をつくろうと考えるさまざまな分野の人々の知識、知恵、行動を結集し、現在の「林業基本法」に代わる「森林・林業・山村・流域基本法」を制定すべきである。
2) 「フォレスト・ミニマム」の設定
森林政策が公共政策であるという視点に立てば、重要になってくるのは、森林公共サービスを供給する部分、そしてそこにおけるいわゆる森林におけるセーフティネット、最低限の森林における国民福祉を保障する体制と責任をどう考えるかである。
この問題はともするとすぐに公共サービスの費用負担という問題になりがちであるが、重要なのはまず森林におけるセーフティネット=森林におけるシビルミニマム=「フォレスト・ミニマム」をどのように設計するかということである。
森林には、最低限度おこなわれなければいけない手入れがある。たとえば人工林の場合は、必要な間伐がおこなわれなければ、目的とした木材がえられないばかりでなく、多様な生物の生息を不可能にし、ついには森林崩壊、土壌流出、山腹崩壊さえ招きかねない。
したがって、各流域におけるこれからの森林のあり方を考察し、そのうえで必要最低限の森林の整備・管理のあり方を定めることが必要となっているのである。
この「フォレスト・ミニマム」を森林政策における個別の公共サービスごとに、どこまで、誰が供給していくのか、そのとき行政はどこまでそれを担うのか。その公共的保障をどのように確保するのかについて問われているのが、現在の森林・林業の基本政策の見直しそのものなのであろう。
しかし、このとき「フォレスト・ミニマム」の設計について重要なことは、よくありがちな行政計画におけるシビルミニマムをどう設定するかということと同義ではなく、「森林社会」のシビルミニマムとして設定することである。つまり、地域の「フォレスト・ミニマム」そのものの最低基準をどこに設定し、そのサービスを担うのは誰か、またその費用負担は誰がどのようにするのかということを、まず社会全体で設計することである。
とはいっても、欧米に比べて我が国の市民社会の現状はまだまだ未成熟であることから、市民セクターが今すぐ森林公共サービスを提供する担い手に加わることは難しく、現実的には行政計画によるシビルミニマムの設定といったものになるのだろうが、そのときにおいても、設定までの手続きと設定後の変更までを含めた市民参加の手法を明確に確保することが必要であろう。
特に、具体的な「フォレスト・ミニマム」の内容は、今後森林への公的支援が進められるのに伴って、なぜ公的支援を進めるのか、あるいはその時の公的支援の範囲を決定する時の基準となると考えられ、森林政策の基礎となるべきものである。
3) 経済的利用に耐えうる森林の整備と管理
外材の輸入自由化後の木材価格の低迷や住宅工法等の変化により、森林・林業を取り巻く環境は大きく変化した。それにより国産材の供給体制は弱体化が進み、それを受けて、林業地域の衰退、ひいては人工林の放置をはじめ森林の荒廃が問題視されるようになってきたといえよう。そのため、従来は、その解決策を林業振興に求めて幾多の施策と資金が投入されてきたが、未だにその抜け道は見えてこない。
確かに経済行為としての林業は苗木を植栽し、保育し、伐採するというサイクルを持つが、外国の木材生産の多くがオールドグロスなどの天然林によるものであることを考えれば、現在の木材価格で日本の育成林業を成立させるのは非常に難しい。
しかしながら、そうかといって日本における林業を諦めることは、世界的な地球環境問題からしても、日本が自国の森林資源を放置し、諸外国の森林資源を食い荒らすことは許されない。また、将来林業行為で面倒を見切れなくなった森林を全て公的に管理することは非現実的であり、環境保全の戦略上からも合理的ではない。このような時期だからこそ、日本の森林資源の有り様を議論し、手を抜かぬ対応をしていくことを考えるべきである。
そもそも現在の日本の林業の中心となっているスギ・ヒノキの人工林では、その施業体系において自然環境的にはかなり人工制御型であることから、林業行為と同時に環境保全を図ろうとする場合には、かなり集約的な施業を必要とする。また、その林分構造が単純で育成期間が長いため、一度伐採すると環境に与える影響が大きく、環境保全的な視点からは、いかに伐採が環境に与える影響を小さくするかということに重点が置かれている。たとえば、皆伐をせずに択伐をするとか、異なる伐期の複層林の造成といった施業である。つまり、ここでは林業における伐採行為は環境保全的にはマイナスなものとして扱われているといえる。
このような環境保全的な視点に立つと、現在の人工林を長伐期による高ストックの森林に育て上げることが必要であろう。その意味では、日本の森林資源は、いまだ成熟したものとは言えないことから、社会基盤整備としての対応が必要である。
また、森林利用の長い歴史や諸外国の事例をみても、森林と人との関わりの中心は資材としての木の利用と燃料としてのエネルギー利用が主である。しかし、我が国の現状は、ほとんど資材としての木の利用に片寄っている。そのため、最近検討が進んでいるバイオマス資源としてのエネルギー利用は、これを推進することで、森林の利用を国民生活に密着したものへと転換することができると考えられることから、今後もこの動きを積極的に推進することが必要であろう。
これは単に森林の経済価値を高めることに終わらず、現在、森林資源の育成による経済価値の創出がスギ・ヒノキを中心とした人工林整備に片寄っているものを是正し、経済的な裏づけを持った多様な森林整備の可能性を広げることに意味がある。
その際、一部で提唱されている「雑木林林業」を実践することが有効であろう。今までのスギ・ヒノキの人工林による林業においては、伐採することは環境保全的にマイナスであり、いかに伐期を長くするかが環境保全の手法であった。これに対して、雑木林の主たる樹種は萌芽更新が可能であること、また、雑木林の生物多様性は定期的な伐採をすることにより維持できることから、ここでは林業における伐採行為を環境保全的にプラスなものとして扱えることになる。これは林業としては大変都合の良いことであり、環境保全と林業行為を両立させる手法である。しかしながら、現在、全国における雑木林は伐採されずに40年以上放置されているものが増えており、広葉樹の萌芽能力が喪失されるまえにこのサイクルを導入しなければならない。
この「雑木林林業」とバイオマス利用を関連づける環境創出型林業の実現が求められる。ただし、エネルギー利用は恒常的な燃料補給を要求することから、地域における森林資源に負担をかけない需給計画のもとに進めることが必要である。
以上のことから、今後の森林管理の方策は、スギ・ヒノキを中心とした人工林をストック型の森林整備として、長伐期により環境保全を図る方策と、広葉樹林を対象に「雑木林林業」としてのフロー型の森林整備として、短伐期による環境保全を図る方策を中心に組み立てていくのが有効ではないかと考えられる。
4) 農山村の森林と都市内里山との一体的視点
森林管理への市民参加を促進する上で重要な点は、身近な森林と地域住民としての市民との関係を強めることであろう。ところが今日では、都市内森林は、公的なものであればあるほど公園化され、行政が市民に提供するものになってしまっている。また都市内公園では、木が育っていても林業に利用されることもなく、単なる公園でしかないために、市民が森林をアメニティーとしてのみとらえる傾向を増長する結果を生んでしまっている。このような点においても、日本の現在の森林利用が木材資源それも構造材生産に片寄っていることが原因と思われるが、これからのバイオマス資源としてのエネルギー利用を推進することはこのような状況を改善するのに役立つと考えられる。
これに対して、ヨーロッパの都市森林公園は、公園の機能を最優先した「林業地」としてつくられていることが多く、私たちはまず市民の目にみえる都市内森林から、アメニティーとしての森林と林業的利用地としての森林の総合化をはかるべきであり、その森林管理への市民参加を促進すべきであると考える。このような森林を「都市内里山」として位置づけ、都市内里山から農山村の里山、奥山へと広がる森林全体と流域市民、地域住民の関係を、再確立していく必要があると考える。
それには、里山の多くを占める雑木林の価値の見直しが必要であり、先述した「雑木林林業」の推進により資源的、環境的な利用の統合を早急にはかることを求める。そして、この中には現在全国に拡がりつつある都市住民による雑木林管理という市民活動のフィールドも参加機会も確保されることになると考える。
このような里山という領域は最近、全国総合開発計画など各種のグランドデザインにおいて評価が高まりつつある。中でも都市内里山は、緑資源としての重要な都市装置の役割を持っているといえるが、現在、都市装置としての積極的な位置付けもなく、また林業の低迷を受けて森林としての資源育成的な取り組みとしても積極的な展開がなされず、いわば都市政策と森林政策の狭間で、不動産としての存在に変わりつつあるのが実情である。その一方で、緑資源としての位置付けは、保健休養的な利用だけに留まらず景観要素としてなど文化的資源としての相対的な重みを増しつつある。
また、里山は現在までの都市及び都市近郊における地域整備の中で、唯一まとまった状態で残されている緑資源といってもよいであろうことから、今後の都市地域と農山村地域とを有機的に結合した地域発展のためには、重要な位置を占めているといえよう。
そのため、21世紀における我が国の地域振興においては、この里山地域の総合的・高度利用が最後の未開領域として、また、文化的な意味でも新たな地域空間を創造するための領域として浮かび上がっている。すなわち「グリーンフロンティア」というべき社会領域である。
今後、循環的な環境重視の社会システムが求められることは必至であるが、身近な緑環境である里山における森林・都市・環境・健康・教育・文化といったあらゆるジャンルを総合化した住民参加の地域振興施策が必要とされる。
その時想定される具体的な取り組みとしては、まず、里山の生物多様性を確保する上から、現在放置されている雑木林を周期的に伐採するという環境保全のための公共事業を創設することである。この事業には「雑木林林業」と森づくりへの市民参加の二つの流れが続く。
「雑木林林業」としては、この公共事業により産出されたバイオマスを活用して、広葉樹の径級の太いものは内装材などの資材に利用し、その他は薪、炭、チップに利用する。これには、バイオマス発電や熱供給、あるいは菌床としてのキノコ産業の育成が派生してくると考えられる。
また、伐採された後の雑木林の再生過程において、市民参加の森林づくりのフィールドとしての活用が期待され、都市内里山のアメニティーとしての利用と林業的利用としての森林の総合化が図れるのである。さらに、子供たちが木の実を拾って苗木を育て里山に植栽するというような取り組み(木の実銀行)や雑木林における様々な遊びの要素をもった労働などを通して、高齢者から年少者までの参加による森づくりが可能となるだけでなく、その森づくりの場は余暇を過ごす場、多様な世代の交流の場、環境教育の場として、まさにあらゆるジャンルを総合化した活用が可能になるだろう。
5) 国産材の顔の見える市場形成
人工林の育成の先には必ず木材の消費が想定される。現在、日本の木材需給率は2割を切ったとされるが、外材が日本の市場を占拠した理由には、価格だけでなく、その品質・規格の均一性や安定した供給などのいわばシステムとしての勝利が指摘されている。そして、このシステムに対抗すべく、現在の構造改革は乾燥材や集成材をはじめ、流通改革、大量生産によるコストダウンという外材と同様のシステムへの転換を図ろうとしているが、この対応により対抗できるという保障はない。
現在の住宅産業における木材の流れは、森林を育成し、木材を生産・加工して、住宅を建設するという直線的なものになる。この流れにおける基準は、価格と品質であり、その根拠はエンドユーザーも同じ選択基準であるという前提に基づいている。これは一見すると合理的に見えるが、周知のごとく外材輸入自由化後の木材価格においては、我が国の森林の再生費を前提にしたものではなく、住宅という消費が森林を育成することにつながっていないことが問題であろう。
つまり、ここには普遍的な「顔の見えない市場」と地域的な「顔の見える市場」の問題があるようである。本来、交易は必然的に広域の普遍的な合理性に従おうとするが、半面、現実の取引は地域的な共同体の慣習やルールに服しており、人間の合理的計算能力には限界があることから、信用の維持には顔見知りの関係が必要である。しかし、工業生産が土地や労働すら商品交換経済を通して広域の市場にのせてしまうと、地域的な市場は普遍的な市場に列席されてしまう。このとき、本来ならば、地域共同体の境界としての国が一定の枠を設定するのが普通であるが、我が国の木材輸入の現状にはこれがない。すなわち、地域の市場は常に世界市場に開いているのである。市場の最大の欠陥は、その合理性が顔の見えない世界で発揮され、しばしば「見ぬもの清し」の残酷さを示すところにあるが、これに対抗するには際限のない合理化競争に参加するか、あるいは、地域の人間どうしの距離感と、林業を社会へと意味付けし続けることにより「顔の見える市場」を形成していくしかないだろう。
現状のコスト競争に取り組む選択は理解できるが、この延長上に森林の再生が保障されることが見えないのも事実であるから、今後は、木材の流れにおいても消費が森林の再生につながるという「閉じ」たシステム=「顔の見える市場」を構築しなければならないだろう。このとき、重要な存在となるのが、消費者である。消費者の選択の動機が低価格と高品質のみであるという前提を変えなければならない。そして、環境問題を始めとして、いわゆる市民社会における価値観も変わりつつあり、森林・林業サイドも市民との連携のもとに、森林の再生を保障するという「意味」の閉じたシステムを現実化すべきである。
このきざしは、近年各地に誕生しているような、その規模は小さいものの消費者と連携した地場材を使用した住宅供給システムにみられる。この動きが従来の山側からの産直住宅の取り組みと異なる点は、エンドユーザーとしての消費者までを含めたネットワークを形成し、それが森林の再生と山村の維持、木材産業と大工・工務店の存続、さらには住み手にとって健康で安心できる住宅の提供というそれぞれにとっての利益を保障する「互酬性」によって閉じたシステムを形成していることである。これに対して、以前の山側からの産直住宅は、山側にいかに多くの利益を落とすことができるかという視点から、製材・加工、はては住宅建築までを山側で行い、その過程における付加価値を得ようというものであり、エンドユーザーにとっては、ハウジングメーカーの一つに過ぎない存在であったといえよう。
さらに、ここで確認しておかなければならないのは、現在進められている外材への対抗策としての乾燥材や集成材への取り組みは、本来の国産材の一番よい点である「無垢」材としての利点を殺すことになることである。この「無垢」材としての活用を開発普及してこなかったことこそが、現在の住宅産業における国産材不振の大きな原因であろう。この「無垢」材としての活用こそが外材に対して国産材を優位に選別しうる手法であり、生産コスト的にも過剰な設備投資を必要としない方法であると考えられるが、現在の取り組みはその道を放棄しているとしかいいようがない。この点を活かした国産無垢材を使った住宅建築の取り組みこそが国産材の本来の需要拡大ではないのだろうか。
そもそも、このような木材消費における消費者の選択において、国産材を優位に選択させる動機付けが、流域管理システムにいう緑と水のサイクルではなかったのか。しかしながら、現在の公益的機能を根拠にした森林整備への助成は、公益性の判断を行政が独占し、それにより育林者に公的助成がなされているが、この公益性に基づく助成のシステムに消費者が直接に関係していない状況では、育林者への公的助成は外材と競争しうるシステム整備への支援にしか過ぎず、消費者の国産材への選択にはほとんど影響していない。ここが、林業システムにいくら公的助成をつぎ込んでもなかなか成果が見えてこない理由ではないのだろうか。この公益性を担保にした森林整備への支援を消費者の関与するシステムに変えることができれば、消費者において、国産材への選択と森林整備への公的負担が結びつくことになり、林業サイドの生き残り戦略として、単なる価格・供給体制整備における際限のない競争に突入しなくてもすむ道が開けるのではないだろうか。
それを可能にする手法として、木造住宅における国産材の使用を消費者に明示するラベリング制度を創設することにより、商品としての住宅そのものが森林保全にどれだけ貢献しているかということを明示し、この視点における消費者の選択を容易にすることが有効であると考えられる。これは使用される木材ではなく、商品としての住宅をラベリングすることに意味があるが、使用される木材においては、森林の再生を保障し、適正な管理を行うことを保障するために、後述する森林施業計画を活用した日本版の森林認証制度により認証された森林からの生産物に限ることとし、消費者=市民参加による林業支援、森林整備を促進するシステムとすべきである。
また、早急に取り組むべき課題としては、現在、各地に生まれている地場材を使った国産材住宅の動きを全国的なネットワークで結び、住宅商品の中で、「日本の森林の再生を保障する国産材住宅」という共通ブランドを確立することである。そして、この中で、在来軸組工法における標準架構や部材の標準化などの改善策により、この工法の再生と普及に取り組むべきであろう。さらに、このネットワーク化においては、暮らしと森林を結ぶ存在として、積極的に市民が参加していかねばならないと考えられ、私たちはその活動を推進する用意がある。
6) 積み上げ型の森林計画制度への改革
私たちが求めている森林管理においては、地方主権の立場をとっているため、必然的に森林計画制度においても積み上げ型の計画制度を想定している。現状は上意下達方式の計画策定となっていると言えるが、少なくとも今よりは積み上げ型の性格の計画制度にする必要があると考える。
現在の上意下達型の計画制度は、木材需給率などの明確な目標が示されている時には制度として必要であるかもしれないが、現状のように木材需給率が有名無実になっている場合には機能しないと考えられる。また、この手法は制御型であるため、林業活動が盛んな場合には有効に働くが、林業活動が低迷している時にはあまり機能しない。
今後は持続可能な森林経営などを目指していくものと考えられるが、それは環境保全型といえる対応であり管理型のシステムが有効であると思われるので、その場合には上意下達型ではなく積み上げ方式の計画策定が必要になると考えている。
しかし、現在の計画制度において実質上、積み上げ型の取り組みができる可能性もあるので、運用における工夫により対応可能となる場合が考えられる。その場合にも、単に運用に任せるのではなく、市民参加の手法としてはその手続を法的に保障することが必要であろう。
また、内容的な性格としては、従来の森林計画においても、環境・資源・経済という視点は盛り込まれているが、かつての予定調和の思想から、基本的に資源計画を中心としたものとなっている。これは、林業から離れられないことから当然であったとしても、林業領域の縮小に伴い、相対的に環境保全が大きな意味を持つようになっている現状からすると、法的に林業からの呪縛を解いてやることが必要である。
その後、環境計画・資源計画・経済計画という三つの視点からの自律性のある計画を策定し調整することにより森林計画を樹立するようにすべきである。中でも、環境計画を基本的・優先的・超長期的なものとして、資源計画を環境と経済を調整する長期的なものに、経済計画は予測しきれないものとして、中短期的なものに位置付けることが必要である。
環境計画は自然条件等から積み上げられるものであり、資源計画の基本となり、これに影響される。現実的には、GISの導入により、環境因子も加えた森林機能評価により、ゾーニング手法を使って策定するのがわかりやすい。資源計画については、環境計画を踏まえて、森林の種類なども考慮にいれ、いかに森林資源をストックするかを含め、生産可能な森林資源の総量を提示した整備計画を策定する。そのため資源計画は環境計画に規定されるが経済計画に影響される。経済計画については、主に伐採後からの木材消費過程をふまえ、コスト削減・資源の安定供給などの視点から策定するため、経済計画は環境計画・資源計画に規定され、社会状況に影響されるものになる。
これらのゾーニングは、森林の持つ三つの基本的な社会的な意味である、環境・資源・経済についての優先順位のつけ方、あるいは重み付けの差をモノサシとしたものであり、決して森林の持つ具体的な機能に注目し、特定の機能による色分けをするものではない。なぜならば、本来、森林の特徴は、どのような森林であっても様々な機能を同時に発揮することに意味があるからである。そういう意味では、どれか一つの機能を重視することは、森林の価値を決して高めることにはならないと考えるのである。
ところで、現在では自然保護意識の高まりを受けて、国有林を中心に、「生態系保護地域」、さまざまな保全林、林業を目的とした利用林などにゾーニングする動きがすすんでいるが、この動きを誘導してきたものは、北米型のゾーニング理論であった。しかし、保護林と林業的利用林を線引きするこのゾーニング理論は、(1)北米先住民の生活を破壊した後につくられた移住民の理論であり、(2)今日の地域の人々の暮らしと結ばれていない森が存在する北米型条件から生まれた理論であり、(3)林業が日本のように村人によって営まれているのではなく、広大な林野を有する企業の活動としておこなわれている地域の理論であるという性格をもっているのであって、歴史的に村人の暮らしや労働と結びつきながら展開してきた日本の森林には適用しきれないところがある。
もちろん日本にも、村人による自然の利用がそれほどおこなわれてこなかった森も存在するし、今日では原生的な姿を残している貴重な森であり、安易に人がかかわると森の姿がこわれてしまいかねない森林があることも確かである。しかし、青森、秋田県境にひろがる世界遺産となった白神の森でさえ、歴史的にはマタギの利用してきた森であり、近くの村人が山菜採りや茸狩り、イワナ釣りの場所として利用してきた森である。白神の森を世界遺産にするなら、生態系の問題として指定するのではなく、人がかかわりながらも原生的な森が守られてきた、そのような人と森の関係が維持されてきた貴重さにおいて、世界遺産にすべきだったのである。
したがって、北米型ゾーニング理論を模倣するのではなく、日本の森と人の歴史を土台にしたゾーニングを考えないかぎり、それは、人と森とのかかわりを破壊し、かえって森を守る人々が森から離れる事態を招きかねない。たとえば白神の森が世界遺産に指定されてから、村人の白神の森からの追放と、逆に「世界遺産」の観光化、心ない観光客の森への侵入がふえている現実は、日本の森と人の歴史を踏まえないゾーニングの帰結である。
日本の森をゾーニングするときの考え方は、これからの人と森のかかわり方の多様性を軸にして考えられるべきであろう。たとえば都市内や都市近郊の旧里山は地域の人々がふれあい、自分たちで守っていく森、農山村の里山は地域の人々と流域の都市の人々の協力で育てていく森、比較的集落に近く、道路が通っている森は所有者と森づくりの技術者、ある程度の技術力をもつ森林ボランティアの協力で維持する森、その奥の森はプロフェッショナルな森づくりの技術者を軸にして守る森、また保護を中心に置く森は、伐採を一切おこなわず、地域の人々の伝統的な森林利用以外を認めない森とするなど、これからの森と人とのかかわりと、森を守る人々のあり方の違いこそが、日本的なゾーニングの基準にはふさわしい。
とともにこのような区分は、中央で決定するものではなく、その地域、流域の人々の参加をえて、地域が主体になって策定していく課題である。
したがって、以上に述べたように、各流域の森林の「フォレスト・ミニマム」をまず策定し、その内部に保安林機能を内包させたうえで、2層のゾーニング制度を提案する。
まず一つは次のような環境計画・資源計画・経済計画という三つの視点から、森林の制御における人工的な関与の度合いに基づいた自律性のある計画としてのゾーニングが考えられる。
保護公的管理(環境) 保護公的管理(環境)=「自然環境の保護を優先した環境林」(具体的には、人の手をほとんど入れない保護林)
資源備蓄(環境+資源 ) 資源備蓄(環境+資源)=「自然環境の維持を優先させた資源備蓄的な高ストック林」(具体的には、長伐期施業に基づき主に択伐による自然度の高い高蓄積の森林)
規制的利用(環境+ 規制的利用(環境+資源+経済)=「自然環境の維持に配慮した経済的計画による高ストック林」(具体的には、長伐期施業に基づき皆伐を可とする自然度の高い高蓄積の森林)
計画的利用(資 経済) 計画的利用(資源+経済)=「資源計画的な経済利用林」(具体的には、一定の伐期により計画的に維持される森林)
開放的利用(経済) 開放的利用(経済)=「開放的な経済利用林」(具体的には、一定の伐期により計画的に維持される森林)
もう一つは、先述したように、これらのゾーニングと重複して、森と人とのかかわりの視点、すなわち森林整備の担い手の種類に基づいたゾーニングである。
この2層のゾーニングから、それらの組み合わせにより様々な種類の森林の位置付けがなされるようになるが、これらのゾーニングは必ずしも一団のものとして明確に地域区分されている必要はないのであって、モザイク状に配置されていてもかまわないのである。あるいは逆に、地域によっては単一の位置付けによる大面積の森林があってもいいのであって、あくまでも、それは各流域の森林の「フォレスト・ミニマム」により地域の主体性に基づいて具体的に決定されるべきことであり、決して上意下達式に割り当てられるものではないであろう。
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