現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2009年の発言

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最後に、「対話」を可能にする思想について

『派兵チェック』200号(終刊号、2009年12月15日発行)掲載

太田昌国



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 つい先日のことだ、事務所へ出ると、一枚のファクスが届いていた。「キューバ・日本外交関係樹立80周年記念企画」として駐日キューバ大使の講演会とキューバ音楽の夕べが開かれるというのだ。

発信者は笹川平和財団。この組織に私はまったく縁がなかった。在日キューバ大使館から名簿の提供があったのだろうか。


この大使館とはいっとき疎遠であった。数年前、ラテンアメリカ・スタディーズと称して、同地の映画を十数本上映し、レクチュアーも行なうというイベントを、私も参加して行なった。

このときは「日活ラテン」と名づけて、ギターを持った渡り鳥=小林旭がブラジルを、宍戸錠がメキシコを舞台に大暴れする作品もプログラムに入れるといういささかふざけた試みも行なったのだが、それはともかく、キューバに関する一本の映画も入れてあって、それが大使館との間で物議を醸したのであった。

『ノーボディ・リッスンド』(『誰も聞かなかった』、ネストル・アルメンドロス+ホルヘ・ウリャ、1988年)はキューバの軍事法廷や刑務所事情などを描いた映画なのだが、監督も内容も「反キューバ」と認定しているのが大使館の立場で、キューバに「理解のある」人物も加わっている上映会でそんな作品がリストアップされていることに不満をもったようだ。

困ったものだ、私たちはキューバのすべてをよいと言っているわけではない、プラス面もマイナス面も見て、客観的な判断をするのは、当然のことだ、と答えた。

大使館からの情報提供と相談事はこの日を限りに途絶えた。情報の遮断は、スターリニズムの始まりだ、大使館という政府機関の中には、出世慾と官僚主義から、こういう判断をする小心者が僅かながらいるのだろう。


 キューバ人スタッフに変化があったのか、数年が経って、再び大使館から連絡がくるようになっていた。

きっとそのルートだろう。迷ったが、その日の予定を変更して行ってみた。東京・赤坂の一等地に、会場である日本財団のビルはあった。会場は150人ほどの人びとで埋まったが、知っている顔はまったくいない。

おかしいな、と思うまもなく、笹川平和財団会長(羽生次郎)の挨拶が始まった。

「次の事実を知ってから、キューバへの関心が生まれました。2001年、キューバがハリケーンに襲われたとき、米国のブッシュ大統領が援助を行なったのですが、カストロ首相は、経済制裁を受けている国から無料援助を受けるわけにはいかないと語って、相当額の支払いをしたというのです。こういう原則的なモラルの高さに注目しました」


 続いて、日本財団会長(笹川陽平)が挨拶した。「私は1989年、WHO(世界保健機構)総会で、発展途上国での医療水準の向上に貢献したとの理由で表彰されたが、そのとき同時受賞したのがフィデル・カストロで、そのとき会って、じっくり話をする機会があった。

私は世界からのleprosy(らい病)根絶に全力を傾注しているが、その後キューバを訪れると、全国すべての病院にらい病の特効薬が常備されている事実を知って、感心した。

カストロの盟友、チェ・ゲバラも、『モーターサイクル・ダイアリーズ』によれば、アマゾンの大河に飛び込んで、医者や看護婦のいる島から隔離されているらい病患者の島へ泳ぎ着くシーンがあって、感動した……」


 ふたりとも、嫌味のない挨拶であった。「経済的に決して豊かとはいえないキューバが、教育や医療の分野であげている実績」に対する感嘆の言葉も、ふたりは共通に口にした。

笹川平和財団は「日本財団およびモーターボート競走業界からの拠出金によって設立された民間公益財団」である。

2008年次報告書を見ると、太平洋島嶼国基金、日中友好基金、汎アジア基金、中東イスラム基金などの運用を行なっている。ベトナムでのプロジェクトが多い。

気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)では、水没の危機に晒される島嶼国住民の訴えが注目されるが、そこでのプロジェクトにも恒常的に取り組んでいるようだ。


 世界観は、当然にも、異なる。世界が抱える諸問題の分析の視点も提起している対策も違っている。

住んでいる世界は大違いで、「運用」資金の差に至っては「天と地」だ。しかし、私が「知りもしないで」前提的に抱いていた日本財団と笹川グループに対する「予断と偏見」は修正を強いられた。

今後はこの人びとの活動に関して触れるときには、よく調べ実績を見たうえで、なお言うべきことがあれば触れるだろう。


 長年続けてきたこの欄では、実に多くの人びとを批判の対象にしてきた。もちろん、権力や財力を手にしている者で、それを濫用・悪用している者に対しては、いつの世でも、徹底的に批判することは必要だ。

当事者でもないのに、あるときは事件の「被害者」に一体化し、あるときは「遺族」になりすまして、憎悪と報復を煽る言葉を吐き続けているマスメディア上の踊り手たちへの批判も、よりいっそう研ぎ澄ませることも当然だろう。


 だが、基本的に心がけてきたことは、次のことだ――異論を持つ者同士がどう対話できるか、同じ意見を持つ者同士がいかにその考えを深めることができるか。


 ブラジルの教育学者、パウロ・フレイレが強調した「相互浸透性」「相互互換性」に基づく対話は、私たちが基本原則にすべき考え方であることをあらためて痛感した。

そのような話法や文体を生み出しうる思想はどういうものかを考えるなかで、「内省」あるいは「自己内対話」とでも言うべき過程を経ることの重要性も思った。それを経ずに一途に他者批判を行なうと、言葉も思想も荒れる、荒ぶことが身に沁みてわかった。
そこへ至る道は、なお遠い。


読者よ、ご機嫌よう。またどこかでお会いしましょう。

 
 
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