現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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ソダーバーグが描いたチェ・ゲバラ像をめぐって      

『季刊運動〈経験〉』29号(2009年6月10日発行)掲載

太田昌国


          一、「ただの人殺し」?


「ただの人殺しじゃないの」――チェ・ゲバラの生涯のうち、限定的にふたつの時期を対象にして描いたスティーブン・ソダーバーグ監督の二作品を観て、若い一女性はそう感想を述べた。

チェ・ゲバラを指して、そう言ったのである。私が直接その言葉を聞いたわけではない。

配給会社宣伝部のスタッフが公開前になにかと相談に来て、若い人のなかからこんな感想が出ているのですが、どうしたものでしょう、と尋ねてきたのだ。

未見であった私には、その段階では言うべき言葉がなかった。


 数日後、試写会で二本を続けて観た。
『チェ 28歳の革命』と『チェ 39歳別れの手紙』 である。

なるほど、社会革命に身を投じたひとりの人間が、前編であれば見事な軍事作戦を指揮して勝利し、後編であれば無念にも志半ばにして斃れてゆく過程を描いたその物語は、時代が時代であれば、栄光か、あるいは悲嘆に満ちた「革命戦争」の実録物として、抵抗感を持たずに受け入れる人が少なからずいたでもあろう。

チェ・ゲバラの人生は、とりわけ、そのように受容されてきた。


 だが、時代は変わった。時代的な背景を知るには親切とはいえない創作方法の映画を、主人公たちの闘いの「大義」も知ることなく見続けるなら、そこでは戦闘シーンが相次いでいる。

戦闘は、どちらかというと、ゲリラの側が仕掛けている。

たとえば、前編の後半部では、キューバ革命の勝利を決定づけた、一九五八年一二月末のサンタクララ市攻防戦が詳細に描かれる。

チェ・ゲバラが作戦の指揮をとったのだから、史実を忠実に描く作品としては当然のことだ。

バチスタ独裁政府軍とたたかう革命軍のゲリラ兵士たちは、政府軍の中枢に迫るために、連なっている人家の壁を次々とぶち抜いては、前方へ出て射撃の機会を狙う。


 バチスタ時代がどんな時代であって、人びとは何ゆえにこんなたたかいを挑んでいたのか。

メキシコ市に亡命していたとき、チェ・ゲバラと出会ったフィデル・カストロが行なうキューバの批判的現状分析の場面は、映画にも登場する。

だが、印象は薄い。現代は、そんな知識がしかるべき形で伝達されていかない時代だ。

しかも、武力を伴った社会革命が行き着いた、悲劇的な結果を見てしまった時代に生きる者の多くは、或る社会的主体が所与の時代背景の下で選択した武力闘争の〈必然性〉をも、非暴力の視点から相対化する。

そして、そのこと自体は決して悪いことでも、間違ったことでも、ない。

配給会社は、数百万人の「動員」目標を掲げているのだから、観客層も、チェ・ゲバラのかけらなりとも知らない人びとにまで多様化・多層化・大量化する。

他所で実際に行なわれている戦争をテレビで眺めるという異様な時代になった現代に移し変えてみれば、チェ・ゲバラたちのサンタクララ攻防戦も、アフガニスタンやイラクに侵略した米軍兵士が、人家の戸口を蹴飛ばして押し入り、住民を引きずり出して「テロリスト」を探し出す映像と二重写しにでもなるということだろうか。


 次いで後編で言えば、ボリビア東部の山岳部に設定されたゲリラ・キャンプに集まってきたゲバラたちは、当てにしていたボリビア共産党挙げての支援・協力も得られず、周辺にまばらにしか住んでいない貧しい農民たちからも不信と猜疑の目で眺められるだけで、徹底して孤立している。

しかも、ゲバラの持病である喘息は悪化するばかりだ。

ゲリラの存在に気づいたボリビア政府は、米国の軍事的支援を受けながら、次第にゲリラに対する包囲網を狭めていく。

どこから見ても、勝利の展望が見えない状況だ。こんな条件下で、武器を持って「命懸けの」戦いを挑んでも、それは、自他の命を粗末にしているとしか言えないのではないか――そんな印象をしか受けない、ということだろうか。


 こうして見ると、先の若い女性が『チェ』を観て語ったという感想には、この時代における物事の受けとめ方が如実に表われていて、無視も軽視もできない。


          二、「命懸けの」たたかい


 ソダーバーグは、この映画制作へと彼を駆り立てた理由を次のように語っている。

「僕はただ、彼が2度もすべてを捨てて他人のために命をかけたことに、何かものすごく心動かされるものを感じるんだ」と(註1)。


「歴史における個人の役割」をいかに考えるかということは、私たちにとって永遠の課題と言えようが、ソダーバーグは、チェ・ゲバラ個人の「命懸けの」生き方に、凝縮した関心を持ってしまった。

この関心の持ち方は、映画の方向性を、良くも悪くも、規定した。「良くも」と、私は思うのだが――、事実をありのままに描くことによって、チェ・ゲバラに不断にまとわりついて離れない「卓越したゲリラ戦士像」が、後編で壊された。

私は、チェ・ゲバラを貶めるためにこう言うのではない。彼の思想と行動から学び取るべきことを事実に即して掴むためには、幻影ではない、真実のゲバラ像に近づく必要があると私は考えてきた。そのような立場から、言うのである。


 私は、青年時代に大きな影響を受けたチェ・ゲバラの思想と行動の再検討に、彼の死後三〇年目を迎えた一九九七年ころから着手した。数十名のキューバ兵と共にアフリカはコンゴにおける解放闘争に「軍事顧問団」として関与しようとして、為すところなく撤退した経験(一九六五年四月〜一一月)(註2)についての新資料から、何を読み取るべきなのか。

また、その後転戦したボリビアでの経験(一九六六年一一月〜六七年一〇月)をいかに再考するのか。

主としてこの二つの問題について考え抜くなら、従来にはないゲバラ像が生まれてくるだろうという手ごたえを感じた。

数年間の試行錯誤を経て、その間に考えたことをまとめて『ゲバラを脱神話化する』(現代企画室、二〇〇〇年)を刊行した。


 私自身の、それまでのゲバラ解釈にも以下で触れる側面があったに違いないが、そこで見えてきたのは、「命懸けの行為」「無私の献身性」「権力の座にしがみつかない潔さ」「英雄的ゲリラ」「国際主義の模範」などの言葉によって、ゲバラを飾り立ててゆく方法であった。

チェ・ゲバラの死から三〇年――その間に、既存の社会主義国の多くは、資本主義国の「包囲」ばかりに理由を帰することのできない自らの失敗のゆえに崩壊した。

確信をもった社会主義者として生きたチェ・ゲバラの言動もまた、再審にかけられる時代がきたのだ。同じことは、「英雄的ゲリラ」や「国際主義」などの言葉で表現される軍事路線に関しても、言うことができる。

映画の前編で描かれたキューバ革命の豊富な経験に基づいて、チェ・ゲバラは周到な『ゲリラ戦争』論を書き著した(註3)。

そのゲバラが、他ならぬ一ゲリラ戦士としてボリビアに死んだのだから、当時は武装革命路線を堅持していたキューバ指導部は、「卓越したゲリラ兵士」「英雄的ゲリラ」の範例としてチェ・ゲバラを打ち出すことに全力を挙げたのである。


 このイメージが世界的に流布されていくのに障害はなかった。ゲバラが死んだ四〇年有余以前は特にそうだったが、それから一〇年が経ち、二〇年が経ち、三〇年が経っても、事情が変わることはなかった。

ここでは、意味をあまり感じないので、私が考えるその理由は詳述しない。要するに、生き残っている者が、ゲバラ的な人間を何らかの「シンボル」として必要としている時代が続いてきたのだろう。


 私は、コンゴとボリビアにおけるゲバラの実践の経緯をつぶさに検討して以来、彼をひたすら顕彰する場所を離れて、なぜ彼が失敗したかの理由を究めようとしてきた。

「栄光」に包まれてきたゲバラを、その窮屈な場所から解放し、彼もまた傷つき、悩み、失敗し、苦しみ、絶望した人間であったことを明かすことで、より豊かな教訓が得られるのだとする立場から、である。

私はその作業を、『ゲバラを脱神話化する』刊行以降の文章を増補し改題した『チェ・ゲバラ プレイバック』(現代企画室、二〇〇九年)まで続けてきて、ある程度の輪郭を描くことができた、と考えている。詳しくはそれを参照していただきたいが、約めて言えば、それは「民族問題の軽視ないしは無視」から生じた「国際主義路線の破綻」という問題に繋がっていく。


     三、「ゲリラ兵士としてのみ生きた」に非ず


 ソダーバーグは、ゲバラのボリビア時代に焦点を当てて描こうとしたが、そのためにはキューバで起きたことを文脈から外すことはできないと考えたことから、二部作の構想が生まれたと語っている。

事実に徹底してこだわった創作方法が、特に後編において、表面的に信じられてきたのとは違うチェ・ゲバラの実像を描ききった、という効果をもったことはすでに触れた。

映画という大衆メディアでそれを行なったことは、ソダーバーグ・チームの功績であっただろう。


 同時に、二部作はゲバラがゲリラ活動に従事していたふたつの時期をしか描かなかったことによって、必然的な狭さを免れることはできなかった。

もちろん、前編には、一九六四年一二月、チェ・ゲバラがキューバ政府代表として行なった国連演説の断片がカットバック方式で幾度も挿入されてはいる。それは、二部作が「空白の」ままに捨ておいた期間を入れ込むための窮余の一策だったか。

しかし、うまく処理されていない、と私には思われる。前編が終わる一九五九年一月から、後編が始まる一九六六年一一月までの八年間に何があったのか、キューバ革命はその間にどんな展開を遂げたのか、チェ・ゲバラはその中でいかなる役割を果たしたのか――それを問うていくなら、「ゲリラ兵士としてのみ」生きたわけではなかったチェ・ゲバラの全体像が浮かび上がる。

その全体像創出の試みも、私は『チェ・ゲバラ プレイバック』で行なった。現実に存在した社会主義体制が無惨にも崩壊した現代の状況の中で、ゲバラの言動を再生装置にかけることで聴こえてくるものは何かという問題意識から、である。


 そこでは、私が「二〇世紀型」と呼ぶ、古い社会主義の残滓をまとったものが見られる。

彼の前衛組織論には、明らかに、その傾向がある。

具体的な文言としては語られていないとしても、結果的には男性中心主義に行き着かざるを得ない彼の考え方と共に、それは、現在の私たちの問題意識に照らして、徹底的に相対化すべきだろう。

だが、ソ連社会に対する大いなる批判者であったゲバラには、「二〇世紀型」社会主義が乗り越えなければならない問題点が、いくつも見えていたことも確認できる。


 社会主義社会が生み出すであろう「新しい人間」の初原的イメージを提起したのは、キューバ出国の直前に書かれた「社会主義と人間」(一九六五年)であった。六年を経たキューバ革命のいかなる現実を背景にこれが書かれたのかという問題は、周辺材料を探りながら、まだ追究の余地がある。それは、ゲバラが抱いていたイメージの豊かさと(もしかしたら)欠落点をも明かすものになるかもしれない。


 国立銀行総裁であり、工業担当相でもあったゲバラは、社会主義経済の建設方法論に関しても、深い関心を抱いていた。

彼が書き残していた経済学関係の論文と資料は、先年ようやく刊行された(註4)。

自らも認める惨めな敗北感を抱えてコンゴから撤退し、タンザニアのダルエスサラームやチェコのプラハに滞在していた一九六五年末から六六年半ばまでのあいだに、彼は集中的に社会主義経済論の研究を続けていた。

次の行動計画との関係で時間は切迫しており、ソ連のつまらぬ経済学関係論文に評註を付すという、資料上の制約もあったことについて、私は『「反カストロ」文書を読む』(『チェ・ゲバラ プレイバック』所収)で論じた。

公刊されたゲバラ文書だけでは、彼の展望していたことが明らかにならないなと考えていたところ、最近になって、イギリスの経済学研究者ヘレン・ヤッフェが、長年のキューバ滞在期間中に行なった文献資料の探索と、ゲバラの周辺にいた幾人もの人物との膨大なインタビューをもとに、チェ・ゲバラの経済学とのかかわりを明らかにする画期的な書物を刊行した(註5)。

「ゲリラ兵士」に一面化しているゲバラ像から、彼を救出しようとするヘレン・ヤッフェの意思は私と同じだが、その調査の徹底さにおいて、はるかに深い分析がここでは展開されている、熟読したうえで、これを生かす方法を私なりに考えたい。


 世界の各地で同時多発的に行なわれている「チェ・ゲバラ再考」の試みを、私は心強く感じる。それは、困難な岐路に立たされている社会変革の理論と実践を今後展開していくうえで大きく寄与し、ソダーバーグの映画を観て「ただの人殺しじゃないの」とゲバラを表現した人をも、別な観点に誘うことに繋がるだろうからである。


(註1)「スティーヴン・ソダーバーグ監督インタビュー」(映画『チェ 28歳の革命』劇場販売用パンフレット、東宝出版、二〇〇九年)

(註2)パコ・イグナシオ・タイボUほか『ゲバラ コンゴ戦記1965』(現代企画室、一九九九年、神崎牧子+太田昌国訳)

(註3) 日本語訳には『ゲリラ戦争』(三一書房、一九六七年、五十間忠行訳)があったが、最近は『ゲリラ戦争』(中公文庫、二〇〇八年、甲斐美都里訳)という新訳が出ている。英訳版に基づいて翻訳するという、正当な理由を欠いた驚くべき選択をしている中公文庫四冊のゲバラ・シリーズに関しては、いずれ批判的な分析を行ないたいと考えている。

(註4)Ernesto Che Guevara, Apuntes criticos a la Economia Politica, Ocean Press, Melbourne, 2006.

(註5)Helen Yaffe, Che Guevara : The Economics of Revolution, Palgrave Macmillan, 2009.

 
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