現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2009年の発言

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「金賢姫」と「人工衛星」報道の、もっと奥へ           

『派兵チェック』第196号(2009年3月15日発行)掲載

太田昌国


 久しぶりに、金賢姫という名が、ニュースの前面に出た。1987年11月、中東への出稼ぎ労働を終えて帰国する大勢の韓国人を乗せたバグダッド発の大韓航空機が、インド洋上で爆発した直後の、原因追及と容疑者追跡の一連の動きを、私はドキドキしながら注視していた。

そこに、心を寄せ得る解放闘争の匂いはいっさい感じられず、何か重大で、凶暴な仕掛けが潜んでいるように思えたからだ。

容疑者として韓国警察に逮捕された金賢姫は、やがて、自分が北朝鮮の工作員であること、金正日の指令によって大韓機を爆破したこと、彼女に日本語を教えたのは拉致された日本人女性であったことなどを、自白した。


 私は、克明に報道された彼女の自白の内容を読んで、彼女が物語ったことは真実だろうと思った。

私たちが、軍事政権下の韓国の「民主化」には深い関心と共感を寄せながら、北朝鮮の独裁には無関心でいた間に、後者の指導部はここまで破滅的な「作戦」を展開するに至っていたのか、と激しい衝撃を受けた。

もっとも、その4年前、当時のビルマを訪問していた全斗煥を狙ってラングーンのアウンサン廟が爆破された事件のときも、北朝鮮当局の否定にもかかわらず、これは北朝鮮の作戦に違いないと私は考えていたのだから、この体制指導部の本質を、あらためて確認する機会となった、というのが正確だろう。


 そのころから、私は、航空機爆破は北朝鮮の工作員によって行なわれたことを前提にした発言をするようになった。

後年知ったところでは、「あやふやな根拠でそこまで断定していいのか」と批判する人もいれば、人によっては「事実認定において誤っているかもしれない」私の立場を心配してくれた例もあったようだった。

今回の、拉致被害者家族と金賢姫の面会報道に接すると、韓国においても、金大中および盧武鉉政権下では、韓国軍事政権による自演自作だったとする「陰謀説」を主張する書物やテレビ番組が盛んだったようだ。

数年前、韓国の事情をよく知る在日朝鮮人の友人から、この件で北朝鮮実行説を採る私に「慎重にするほうがいいですよ」との注意喚起があった理由が、今回の報道でよくわかった(その人は、1年後、「あの件は心配しなくてもいいです」と言ってくれた。

盧政権下で陰謀説検証の正式調査が行なわれ、「疑惑に根拠はない」という結論が出ていたことを、今回の一連の報道で知った。その結果を見てのことばだったのだろう)。


 拉致被害者家族が金賢姫と対談し得たことはよかったと思いつつ、私には一つの気懸かりが残った。

それは、日本から釜山に押しかけた大報道陣に韓国人の間から驚きの声が挙がったこと、大惨事の実行犯のひとりであった金賢姫が表舞台に出て、その事件についてではなくまず日本人との対話に臨んだことに、韓国人の反感が強いこと、日本の拉致被害者家族が情報を欲して金賢姫との関係をさらに深めれば、航空機爆破事件犠牲者遺族から敵視される可能性も生まれること――などに関わって起こる気懸かりである。

それは、日本社会は自民族の安否にしか関心のないことを暴露してきた「ペルー大使館占拠・人質事件」および「拉致事件」報道などの延長上にある事柄であり、そこには紛れもなく自己中心主義的な日本社会像が浮かび上がってくるからである。


 同時期に、北朝鮮に関わってもう一つの事態が進行している。北朝鮮は4月上旬に人工衛星を打ち上げることを、航空と海事に関わる国際機関宛てに通告した。

日本政府とマスメディアは、それはミサイル発射実験に違いない、と断定している。

軍事上の冒険や挑発を「外交政策」として採用している北朝鮮にはあり得ることだが、しかし、それは他のどんな国家の場合でも多かれ少なかれやっていることであって、世界レベルではとりわけ北朝鮮政府だけが非難されるべき謂われは、ない。

批判の論拠は、北朝鮮の民衆こそが持っているはずであり、それは「民衆に満足な食糧も行き渡らせることもできないのに、人工衛星開発などにうつつをぬかすな」というものだろう。


 核問題でもそうなのだが、事柄の本質は、北朝鮮に対してのみ、他国には要求しない特別な基準を当てはめて、何でも論難するという各国政府とメディア論調のあり方にある。

核の独占的保有国は、自らが核を放棄する具体的な道筋も示さずに、核計画の放棄を北朝鮮に迫る。

日本政府は、自らの国家が犯した植民地化・強制連行・拉致・震災時の虐殺・異郷の地(日本)での死者の遺骨の放置――などの責任をどう取るかの方針も明示することなく、相手方の拉致犯罪のみを言いつのる。

金賢姫が「北朝鮮のプライド(自尊心)を生かしながら」交渉せよ、とアドバイスしたのには、その点で深い意味があると考えるべきだ。


 政府とメディアのこんな偏狭な態度を見聞きしながら眺めた写真集『北朝鮮の日常風景』(石任生=撮影、コモンズ、2007年)に鮮烈な印象を受けた。

撮影者は、KEOD(朝鮮半島エネルギー開発機構)が北朝鮮で軽水炉を建設する際の記録写真家として、7年間同地に派遣された韓国人だ。

仕事の合間を縫って、また監視人の目を盗んで、民衆の日常を撮った。嫌味も悪意もない。

「厳しい生活」をおくる人びとを理解しようとするカメラの視線が感じられる。敗戦直後の日本を見るような、切ない懐かしさもある。

また、「北朝鮮内部からの通信」を伝える季刊誌『リムジンガン』も3号が発行された(アジアプレス・インターナショナル出版部)。北朝鮮内部で取材・撮影された映像や音声を紙面化している貴重な記事で埋まっている。

地下に潜む記者たちが伝える北朝鮮民衆の声から、圧政下に生きる人びとの本音が聞こえてくる。


 日々深まる経済危機の中で、日本では充満する不安と不満を排外主義的な民族主義で解き放とうとする働きかけが、対北朝鮮強硬派を軸にさらに強まろう。

メディアが報じる政府レベルの愚劣な争いばかりに目を奪われることなく、民衆相互の理解をこんなメディアを通して深めるところに、か細い可能性は開かれていくだろう。

 
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