現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2009年の発言

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予知されていた(?)豚インフルエンザ発生の記録         

『派兵チェック』第198号(2009年5月15日発行)掲載

太田昌国


  目を血走らせた厚生担当相がテレビに出てきては、豚インフルエンザ感染に関わる報告を、なにやら深刻げな表情で行なうのにも慣れてきた。

感染症に対して無知な点においては、私も厚生担当相と似たようなものだと思うが、最初にこのニュースに接したときの「予感」には触れておきたい。 

メキシコ、米国、カナダ――今回の豚インフルエンザがまず発生し、それが拡大していった地域(国名)を見聞きしたとき、私の頭には「TLC」(スペイン語略称、英語略称ではNAFTA)、すなわち、「北米自由貿易協定」の名が思い浮かんだ。

この段階では、直感としての勘であって、論理的な道筋をたどっての推理では、ない。そのことはお断りしておく。


 1994年1月1日、3ヵ国間の貿易関税を段階的に撤廃し(15年間の経過措置が講じられて、撤廃に至らなかったいつくかの加工品と農産物も08年1月には撤廃された)、さらに投資促進ルール、知的所有権保護なども含めた広範囲な分野に効果を及ぼす自由貿易協定は発足した。

あたかも、ソ連邦崩壊から2年後のことであり、資本主義勝利の凱旋歌に乗って唱えられ始めていた「グローバリゼーション」(唯一絶対の真理としての市場原理の世界制覇、と読み替えよう)の趨勢を、北米規模で象徴する出来事であった。

大規模集約型農業で生産される米国農産物が国境を自由に超えてメキシコ市場になだれ込み、外資の流入で農地も奪われる近未来を予測したメキシコの農民たちは、「TLCは先住民に対する死刑宣告に等しい」と叫んで、これに反対・抗議する武装蜂起を行なった。

この協定が発効する、まさに同年1月1日のことであった。サパティスタ蜂起である。世界的に見て、この蜂起に深い示唆を受けて、グローバリゼーションに対する対抗運動はその後活発に展開されてきたと言える。


 世界随一の産業先進国と、大国とはいえ途上国でしかないメキシコとが、同一の自由貿易協定の枠内に納まるということ――当時の私は、20年前に現認した米国・メキシコ国境2ヵ所の様子を思い出し、巨大な格差が広がる両国がこの方向へ向かうことが、将来的にいかなる結果をもたらすかを怖れた。

この人類史上(と言っても、大げさとは思えなかった)未曾有の「事件」が、やがて、どこへ行き着くことになるものか。

当事国である3ヵ国の政策決定者たちにも、そのことは自覚されていなかったのではないか。当時の議論を思い起こすと、そう思える。あるいは、「洪水は、我が亡き後に来たれ」ということでもあったのか。


 否応なく15年の歳月は過ぎ去った。3ヵ国にどんな事態が起こっているのか。私たちのところまで届いている情報は少ない。

米国はNAFTAを拡大し、文字通り北米から南米までを包摂した(しかし、キューバは除外して!)FTTA(米州自由貿易地域)を創設するという構想を2005年末まで手放すことはなかったのだから、自由貿易圏なるものから十分な利益を享受してきたのであろう。

この年、FTTA構想は頓挫した。中南米各国の政府レベルでも、民衆レベルでも、米国主導で貿易と投資の自由化が実施されていくことへの反撥と抗議を呼び起こしたからである。


 これらの情報が頭を去らない私が、4月25日に始まった今回の豚インフルエンザ報道で注目したのは、朝日新聞4月28日付け朝刊の「時々刻々」と題する記事だった。

この記事は、メキシコ紙の報道から引用する形で、メキシコ・ベラクルス州はラ・グロリア村にある養豚場周辺で発熱や激しい咳を訴える住民が今年3月から相次いでいたことを報じた。

メキシコとの合弁企業の形で養豚場を経営するのは、米国の養豚会社であることも明らかにされていた。


 早速、メキシコ各紙を検索すると、たとえば5月2日付けホルナダ紙は「ラ・グロリアの住民は14年間ものあいだ、グランハス・カロル社がもたらす汚染に対する恐怖を抱きながら生活してきた」と題する記事を掲載している。「14年間」という数字に注目したい。

グランハス・カロル社の親会社であり、世界最大の豚肉生産・加工多国籍企業であるスミス・フィールド・フーズ社は、まさしくTLC発効の時点から、メキシコで「養豚・精肉工場」(「養豚場」という表現では、牧歌的に過ぎよう)の操業を開始したのだ。

記事は、今年2月に幼児2人が呼吸器関連の病気で死亡していたこと、住民の不安をよそに州政府も企業もそれが豚インフルエンザのせいではないと即座に否定したこと、すでに15工場を有する同社の衛生管理の欠陥に抗議する住民運動は2006年来活発化しており、それへの弾圧で幾人もの環境活動家が裁判に付されていることなどを明らかにした。


 この報道を受けてであろう、脱グローバリゼーションのための活動を続けているAttac(市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)フランスと農民連盟は「インフルエンザA型は濃工業インフルエンザだ」と題する共同声明を発表した.。

(この声明の日本語訳は、その後の情報を整理してわかりやすくまとめてある中山均氏のサイトにアクセスするのがいいと思う。
http://green.ap.teacup.com/nakayama/358.html)。

 もちろん、真相が究明されるのは、今後のことだ。表層的な大騒ぎに右往左往するのではなく、事実に迫ることこそが、ジャーナリストにも、私たちにも大事だ。

ガルシア=マルケスは、町の全ての人々が事前に知っている予告殺人事件を巧みな構成でフィクションとして描き、それを『予告された殺人の記録』と名づけた(新潮社)。

グランハス・カロル社の工場周辺に住む人びとの不安と恐怖が14年前に始まっていたからには、これは、「予知されていた」殺人事件に発展する可能性をもつことなのだ。 

 
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