現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1998年の発言

◆北朝鮮「核疑惑騒動」の陰で蠢く者たち

◆目と心が腐るような右派言論から、一瞬遠く離れて

◆第三世界は死んだ、第三世界主義万歳!

◆時評「この国は危ない」と歌う中島みゆきを聞きながら

◆自称現実主義者たちの現実追随

◆伊藤俊也の作品としての『プライド 運命の瞬間』批判

◆98年度上半期読書アンケート

◆書評:市村弘正著『敗北の二十世紀』

◆「自由主義史観」を批判する〈場所〉

◆民族・植民地問題への覚醒

◆国策に奉仕する「〈知〉の技法」

◆「後方支援」は「武力の行使」にほかならない

◆ペルー日本大使公邸占拠事件とは日本にとって何であったか

◆個別と総体――いまの時代の特徴について

◆植民地支配責任を不問に付す「アイヌ文化振興法」の詐術

◆政治・軍事と社会的雰囲気の双方のレベルで、準備される戦争

◆朴慶植さんの事故死と、時代の拘束を解き放った60年代の遺産

◆書評:ガルシア=マルケス著『誘拐』(角川春樹事務所刊)

◆保守派総合雑誌の楽しみ方

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目と心が腐るような右派言論から、一瞬遠く離れて
「派兵チェック」1998年11月号(第74号掲載)
太田昌国 


 忙しさもあり、本誌前号には出番がなかったこともあって、実に久しぶりに「チョー右派言論」を、いつもほど意欲的には見聞しないひと月をおくった。日常的な新聞・テレビ報道には触れているから、「うす甘い」右派言論に包囲されていることに変わりはなく、まったき自由を謳歌できたわけではない。でも、ふだんよりはるかに心穏やかな、豊かな日々をおくることができた(ような気がする、少なくとも、そう思いたい)。

 美術批評を専門とする友人がかつて語ってくれたことがある。「選択せずにどんな作品でも観ていると、目が腐って、ほんとうにいい作品を鑑賞できなくなるから、展覧会は選ぶんです」。

これは、「目が腐るような」作品にも数多く触れた日々を経てこその言葉なのだろうとは思うが、音楽や絵画や小説に関してならば、素人なりに、確かにこの思いは理解できるような気がする。果たして、社会・思想時評の領域において、同じような言い方で、この異常なまでの〈現状〉をやり過ごすことはできるだろうかと思いつつも、このかん何度も思い出しては胸をよぎる言葉だった。「皆さんほんとに『右派』言論を読むのが好きなようで……」(本誌72号編集後記)という「冷やかし」は、このひと月に限って言えば、私の思いでもあった。(少しは目が澄んできたかな?)
 
 そこで、たまには、「チョー右派言論」の対極にあって、その種の言論の本質を浮かび上がらせる表現に触れることから、今回の時評を始めようと思う。

 先日、ある大学で講演会を行なった。課題は、「ペルー日本大使公邸占拠・人質事件をふりかえる」だった。いまの若い人びとが、どんなメディア状況の中で育ってきているかは、よくわかっている。

できることなら、工夫をしたい。ビデオとCDの器具を用意してもらった。大型スクリーンに投影したのは、NHKテレビ「クローズアップ現代」の或る日の録画である。

1997年4月23日(日本時間)、ペルーのフジモリ大統領は占拠・人質事 件を武力突入によって「解決」したが、それから2ヵ月半を経たころ、日本政府の招待で来日した。NHKのこの番組はフジモリをスタジオに呼んで、あのけたたましい話し方をするキャスターと対談させたが、その録画を上映したのである。

音声はオフにした。CDは、中島みゆきの新アルバム「わたしの子供になりなさい」(ポニーキャニオンPCCA‐01191)に収められている最終曲「4.2.3」をかけた。

 シンガー・ソングライター中島みゆきは、武力行使の日付に象徴させて、あの事件を歌っている。

彼女はあの日、眠れぬ夜を過ごしてたまたまテレビをつけた。画面に「中継」という文字が出てまもなく、爆風と、見慣れた建物から吹き出る朱色の炎と噴煙が目をうつ。突入した兵士たちが身を潜め、這い進み、撃ち放つ。やがて「日本人の人質が手を振っています元気そうです笑顔です」とのリポートが始まる。

途中、胸元を赤く染めた(政府軍)の「黒い蟻のような」兵士が担架に乗せられて運び出されるが、リポートは「日本人の無事」を嬉々として伝えるばかりで、兵士の死には何も触れない。


彼女は歌う。「 見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心のある人たちが何故/救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう/この国は危ない/何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも/日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう/慌てた時に人は正体を顕わすね/あの国の中で事件は終わり/私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあ
げはじめた/4.2.3.……4.2.3……/日本人の人質は全員が無事/4.2.3…… 」

 中島みゆきの声が響く背後のスクリーンには、にこやかなフジモリとキャスターの笑みが広がる。炎と噴煙の回想場面が出た後にも、彼(女)たちの笑みは消えない。音声はオフにしてあっても、ふたりがどんな心境で事態を回顧しているかは、十分に伝わる。フジモリの言い分も聞きたかったと感想を述べた学生もひとりいた。

だが、フジモリやNHKキャスター的な言論は「制度的に」保障されて大量にあふれ出たが、中島みゆき的な言論は少数のミニメディア以外では「制度的に」排除されたというのが、ことがらの本質だった。学生の多くは、そのからくりに気づき、いままでとは別な視点で事態を捉えるための、差し当たっての契機を掴んだようだった。

 中島みゆきは、上に引用した歌詞の直前には次のように歌っている。「 あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない/あの国の戦いの正しさを ここにいる私は測り知れない 」。その後で上のように歌うのだから、中島の自己の位置の定め方が的確だと思う。

 さて、ふと我に返ると、ひと月ぶりに手にした『正論』12月号には、長谷川三千子なる大学教師が某マンガ家の『戦争論』に触れて、この本の帯に書かれている「戦争に行きますか。それとも日本人やめますか」は、本当は正確には「戦争にいきますか。それとも人間やめますか」が真意ではないか、と語っている。

ああ、またしても! 私たちは、これらの愚劣極まりない右派言論とのたたかいを回避するわけにはいかぬ。〈敵〉の腐臭が我が身に及ぶことのないように警戒しながら。

                     (98年11月10日執筆)

 
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