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インタビュー

「森の聞き書き甲子園」の事務局長

吉野 奈保子さん

  • 2009.07.05
  • 聞き手:鈴木京子
  • 撮 影:常見藤代

吉野 奈保子さん

人とつながったと思える原点に

 今年も100人の高校生が、日本のあちこちで「森の名人」と出会う。
 「森の聞き書き甲子園」(以下、甲子園)は、全国から集まった高校生が、木こりやマタギ、炭焼きやキノコ採取など、森とともに生きてきた人たちに一対一で話を聞き、語り口をそのまま文章にまとめる取り組みだ。8月には3泊4日の研修を東京で行い、1月にレポートを提出。高校生は自分でアポイントをとり、原則2回の取材のため、一人で名人に会いに行く。

 吉野奈保子さんは、2002年の第2回からその事務局長を務めてきた。現在では、甲子園の卒業生を中心とした約30人のボランティアが、研修も含め運営を担う。吉野さんが、その体制を仕掛け、育ててきた。
 事務局を担当することになった時、吉野さんは、前年に参加した関東圏の高校生に「誰か手伝ってくれる人、いませんか?」と手紙を書いた。5人が手を挙げ、その後、代々の卒業生が参加してきて、独自の森づくりや農山村での地域づくりなど活動が広がっていった。07年、「共存の森ネットワーク」を設立。吉野さんも移って、第6回からはこのNPOが事務局を担っている。
 「ちょうど第1回生たちが社会人になる時期で、これまでのように頻繁には活動できなくなるけれど、下の代にはつないでいきたいと言う。それならば、あなたたちの活動そのものをNPOにして、卒業生から高校生につないでいく仕組みをつくろうと話し合った。私も含め理事や事務局には〝大人〟が入って手伝うけれど、基本は自分たちでやるんだよということにしちゃった」

 公務員の親を持つ吉野さんは、転校ばかりしていた。幼稚園が仙台と東京、小学校は東京と熊本、そして中学校は熊本と東京だった。「でも東京生まれの東京育ちで祖父母も東京。古里というか、自分の立ち位置みたいなものがはっきりしなかった」。大学で専攻した国際関係学は、そのあいまいな自分の「立ち位置」を、さらに「日本って?」の問いへと誘い込んだ。
 「とりあえず手に職を」と出版社に4年勤めたが、「日本って?」の自問は消えなかった。農山漁村を自分で歩いて、それを考えてみたいと思い始めたころ、民族文化映像研究所に転職した。
 庶民の暮らしや祭り、漁師の1年間の記録や、白川郷の世界遺産登録申請用映像などを撮った。研究所の仕事は、地方の集落に入って人間関係や暮らしを聞くところから始まる。数年のつきあいになることもあり、吉野さんには「もう一人のおじいちゃん・おばあちゃん」が日本中にたくさんできた。
 「日本には、多様な自然に対応したいろいろな暮らし方が地域ごとにあって、衣食住のすべてを森から得てきたという原点を知った。自然に依拠した人の暮らしという点では世界共通だけれど、日本って?の問いに、少しだけ、言葉で答えられるものをみつけることができた」

続きは本誌で...

よしの なおこ

1965年、東京都生まれ。樹木環境ネットワーク協会を経て、共存の森ネットワーク事務局長に。好物は、じゃがいも、とうもろこし、枝豆。今年春から、東京農大内の山村再生支援センター事務局次長を兼務。
【 新聞代 】(送料込み)
 1カ月750円、3カ月2,250円
 6カ月4,500円、1年9,000円
【 振込先 】
 郵便振替:00180-6-196455
 加入者名:婦人民主クラブ
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