
(c)前田光代
いま、国内に約870校ある、日本語学校。山本弘子さんが校長を務める「KAI日本語スクール」は、約40年前に東京都新宿区新大久保に開校した老舗校だ。欧米、アジア、中東など40数カ国から来日した240人ほどの外国人が現在学んでいる。 「最初はテキストも学校が作るような、自由で多様な形態だったのですが、最近は国の政策の影響で変わってきています。日本語学校って、外国人受け入れの最前線なんですよ」 と山本さん。日本語学校から見える、社会の変化とは…。
大学を卒業した1980年、父親の働くゼネコンに入社した。 「男女平等と学校では教えられたのに、給料は男性より1、2割低かったですね。驚いたことに男性の〝雇用主〟は社長なのに、女性のそれはなぜか人事部長。しかも社員ではなく準職員の肩書で、仕事も男性の補佐でした」 2年で会社を辞め、退職金で当時はまだ珍しかった日本語教育の講師養成講座に通い始める。言葉には興味があった。子どもの頃、病気がちな山本さんを慰めてくれたのが、本だったからだ。
現在のような資格試験もなく、半年間の講座を修了した山本さんは日本語教師になった。2つ目の勤務校の学生が増え、新しくできた分校を任された。分校が閉鎖されることになった87年には、仲間と4人で買い取り、KAI日本語スクールを設立した。 「変わった人が多かったですよ。雪駄履いて通うフランス人が生徒だったり、先生もバックパッカーで世界を放浪していた人だったり。面白かったですねぇ」
中国人に就学(留学)ビザが発行された頃、偽装入学の取り締まりが厳しくなる。88年、入学金を払ったのにビザを発給されなかった中国人留学生らが上海の日本国総領事館に詰めかけ、外交問題に発展した。
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