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インタビュー

施設で育った人の居場所 日向ぼっこの

渡井 さゆりさん

  • 2009.12.05
  • 聞き手:赤石千衣子
  • 撮 影:落合由利子

渡井 さゆりさん

子どもの声を発信したい

 東京・文京区湯島。小さなビルの3階に「日向ぼっこ」はある。扉を開け中に入るとキッチンがあり、大きなテーブル。水曜を除く毎日16時から21時、児童養護施設などを退所した若者たちが訪れ、手作りの夕食を食べ、家族のように支え合い、集う場だ。渡井さゆりさんはその理事長だ。

 現在、全国で約4万7000人の子どもたちが社会的養護、つまり、児童養護施設や里親に委託されて暮らしている。しかし、彼らの声が社会に届くことは少ない。
 渡井さん自身も両親が不仲で、父親は酒を飲み、母は家出を繰り返していた。小学校の時に母に連れられて母子生活支援施設に入るが、母が園長と大げんかして退所。父の元に戻っても続かず、4年生の時には妹と弟と別れ、ひとりだけ児童養護施設に入れられてしまった。
 「当時は説明もなくて、自分が悪い子だったから入所したと思い込んでいた。今は、子ども権利ノートで入所理由が説明されるらしいですが」
 施設の生活は規則正しく、学校に通えるのはよかった。
 だが一回家に戻された。母は今度こそちゃんと働くと期待させたが、裏切られた。部屋は足の踏み場もなくなり、食べ物はなく、万引きもした。
 そして6年生の時、今度はきょうだい3人が同じ児童養護施設に入った。グループホーム形態の施設で一軒家に子どもたちが暮らしていた。
 「人並みの生活ができたのは良かったけれど、でも安心できる暮らしではなかった」
 弟が大きい子にぶたれても、職員はかばわない。安心からは遠かった。それでも学校に通い、勉強できる環境になったし、徐々に友人もできた。

 そこで高校を卒業するまで生活した。高校時代は文化祭の運営にかかわる一方で、アルバイトをして貯金をしていた。
 「何かあっても誰も助けてくれないから、お金は貯めておこうと100万円くらい貯めた」
 高校卒業後、一人暮らしを始めた渡井さんだが、人はみんな自分を搾取してくるもの、という思いから逃れられなかった。人の要求には200%応える。でも人を信頼して何かを頼むことができない。「幸せになんかなれない」「このまま生きていても仕方ない」と思っていた。
 でも頭をかすめるのは、自分に何かあったら悲しむ妹や弟たちのこと。だからできない。だとしたら、同じような境遇にいる人たちの役に立つ仕事をしよう。渡井さんは大学の夜間部で、福祉を勉強し始めた。

続きは本誌で...

わたい さゆり

1983年大阪府生まれ。小学校2年生の時、母子生活支援施設、4年生の時から高校卒業まで児童養護施設で暮らす。現在、日向ぼっこ理事長。編著に『「日向ぼっこ」と社会的養護 施設で育った子どもたちの居場所』(明石書店)がある。
日向ぼっこhttp://hinatabokko2006.main.jp/index.html
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