WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

南アフリカで活動を続けてきた

津山 直子さん

  • 2010.02.15
  • 聞き手:栗原順子
  • 撮 影:落合由利子

津山 直子さん

〝パンビリ〟女性たちが活躍する国

 今年行われるサッカーワールドカップの開催地で注目される南アフリカ共和国(以下、南ア)。日本から遠く離れたその国で、長年支援活動をしてきた女性がいる。津山直子さんだ。

 津山さんが南アにかかわるようになったのは、1986年、福祉の勉強のため留学したスウェーデンで、反アパルトヘイト(人種隔離政策)運動に出合ったことがきっかけだった。
 アパルトヘイト撤廃のため、国連では当時南アに対し経済制裁を科したが、日本は87年、南アとの貿易高が世界一になり、国際的に非難された。留学から帰国した翌年の88年に、アフリカ民族会議が東京に事務所を開設し、津山さんはそこに勤めた。90年2月、27年間投獄されていた、反アパルトヘイトの指導者ネルソン・マンデラさんが釈放され、彼の10月の来日時には、通訳を務めるなど重責を担った。94年、マンデラさんは民主化後の初代大統領になる。
 民主化後、いろいろな〝色〟の人が一緒に住む、多様性のある「虹の国」をつくろうと、南アの人々は希望に燃えていた。 「現地の人々と一緒に草の根の活動がしたい!」と思った津山さんは、92年に南アでの活動を計画していたNGO、日本国際ボランティアセンター(JVC)に移り、94年から南アで現地代表を務めた。
 南アでは、主に環境保全型(有機)農業やHIV感染者への支援活動に地域の人と一緒に取り組んだ。だが、アパルトヘイトが残した傷跡は大きかった。
 「アパルトヘイトは、単に人種の隔離だけではなく、アフリカ人(黒人)が白人社会に依存しないと生きていけない体制にしたということです。アフリカ人は劣等だとされ、誇りを奪われていました」
 南アは貧富の格差が世界一大きいといわれているが、民主化後はアフリカ人の間でも格差が広がり、失業率も高い。
 「貧困層の人たちの自信につなげる10年先を見据えた支援が必要でした」。雨水をため、牛糞やミミズで土を肥やし、自然循環を生かした、お金のかからない農業を目指す。まずは自分の食べるものを、それから地域の自給や販売へと広げる。
 「いろいろな野菜を栽培し、収穫の喜びを知った女性が『自分は人間になれた』と言ったことが忘れられません」

 南アでは、HIVの感染者が多く、妊婦の3人に1人が感染、エイズ遺児が増えていることも深刻な問題になっている。支援には、HIV/エイズに関する知識の提供だけでなく、感染した人が地域で安心して暮らせる体制づくりが大切だ。活動の中心を担っているのは研修を受けた地域の女性たちだ。
 「女性たちの〝パンビリ(前進する)〟という気持ちと行動力が強いのか、女性の活躍はめざましく、政府やNPOの要職につく女性も多いです。女性の国会議員の割合は44・7%で世界第3位です」。かつて、多くの女性たちが反アパルトヘイト運動に参加し、暗殺や拷問にさらされながらも闘ってきた。56年に2万人の女性がデモをした8月9日は、現在「女性の日」とされ、祝日になっている。

続きは本誌で...

つやま なおこ

1960年、愛知県生まれ。日本国際ボランティアセンター(JVC)の前南アフリカ現地代表。2006年、ニューズウィーク誌の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。07年、「ステファニ・レナト賞」(事務局:名古屋NGOセンター)を受賞。
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