高校生のころ、ボーボワールの『第二の性』を読み、「自立のために、どうやって食べていこうか」と悶々としていたという太田さん。
「徳島の大学に行ったのは、家を出たかったから。とりあえず資格を取ろうと栄養学科に入りました」
管理栄養士の資格は取ったが、栄養学にはさほど興味が持てず、学科内の紙上討論の経験から文章の仕事に就きたいと思う。
「友人のまねをして、東京の出版社に手当たり次第に自己アピール文を送りました。運よく看護学生の教科書などを作っている会社に就職が決まり、上京しました」
出版社の仕事は面白かったが、娘が生まれ、校正のセクションで時間内に仕事を終えようと頑張り、眼精疲労から頭痛が治らなくなった。転職を考えていた時に、婦人民主クラブの仕事を紹介され、生活部(ふぇみんのお店)の担当になった。
「当初は、編集の仕事から、モノを売って稼ぐ仕事への転職には抵抗がありました。事務局内でも編集に比べて一段低いポジションに置かれているような気もして…」
この仕事の意義や面白さに気付いたのは、10年ほどたってからだという。
「私は若白髪で、2人目の子どもの妊娠中にはすでに真っ白。すごく嫌でした」。市販の毛染めは胎児に影響があるかもしれないからと、白髪の妊婦で出産。「その後、ふぇみんのお店でヘナを扱うことになり、自分でも試してみようと思いました。派手なオレンジに染まってエッ!と思ったけど、白いよりずっといい。鏡を見るのが楽しくなりました」
苦手だった揚げ物も、「エコネットみなまた」のなたね油を使ったら上手に揚がり、「子どもがせがむ唐揚げを弁当に入れてやれるようになった」と笑う。
さらに、原発・核問題で揺れる、祝島のサヨリや下北半島のすき昆布を売ることが、島おこしや自然と共生する暮らしへとつながっていることも実感した。
「品物には、人の生活や気持ちまで変える力がある。そして、ふぇみんのお店で扱う品物を通して様々な地域の人とつながり、社会を変えていく一端も担うことができる」
生産者とできるだけコミュニケーションを密にし、消費者からの反応にも励まされて、自分の仕事に誇りを持って取り組むようになった太田さん。そんな太田さんを襲ったのが、思いもかけない病魔だった。