「日韓会談文書・全面公開を求める会」は、国(外務省)に文書の全面公開を求め、日本の植民地支配の事実を認めさせ、被害者への謝罪と補償を実現させるため、05年12月に結成された。
その発端は、「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟」。戦争中、朝鮮半島から優秀な少女ら約300人が「学校に行かせてやる」などの甘言で三菱重工名古屋航空機製作所に連れてこられた。貧しい食生活と過酷な労働。学校へ行けなかったばかりか、労働賃金も、あとで送ると約束された荷物さえも受け取ることはできなかった。しかし裁判では「日韓請求権および経済協力協定によって、完全かつ最終的に解決」と言い渡され、最高裁への上告も全面棄却された。
この裁判のビデオを制作していた小竹さんは、原告たちの号泣と怒りの声を聞きながら「個人の未払い賃金すら、請求できないなんて」。社会保険労務士の資格を持っている小竹さんにとって、理不尽なことだらけだった。「日韓会談文書の公開運動をすべきだ」という弁護士に同意し、日韓両市民に会の結成を呼びかけ、事務局の仕事を引き受けることになった。
「名古屋三菱で働かされていたハルモニたちは、私より年上ですが4歳ほどしか違わないんですね。もし自分だったらと、考えずにはいられなかった」
裁判の1次訴訟は、60日以内に公開する義務を国(外務省)が守らなかったため勝訴に。不開示の理由を問う2次訴訟は敗訴、最高裁に上告受理申立書を提出。現在、3次訴訟が行われている。