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インタビュー

日韓会談文書の全面公開を求める

小竹弘子さん

  • 2011.01.15
  • 聞き手:室田元美
  • 撮 影:落合由利子

小竹弘子さん

「知る権利」を戦後補償に生かそう

「アジア・太平洋戦争では、日本は加害国でもあり、朝鮮半島を植民地化していたことは、戦争を体験した私と同世代の人でも、あまり知らないんですよ。学校で教えなかったし、自分で勉強するしかなかった」
 と話すのは、「日韓会談文書・全面公開を求める会」事務局長の、小竹弘子さん。
 戦争中、植民地支配に苦しめられた朝鮮の人々が、いまも日本政府に謝罪と補償を求め様々な裁判を起こしている。しかし彼らの願いを阻んだのが、1951年に始まり65年に締結された「日韓国交正常化交渉(日韓会談)」だ。
 2005年8月、韓国政府は日韓会談関連文書を全面公開。これに対し、日本政府が公開した25%は墨塗り。「韓国あるいは北朝鮮との交渉上不利益になる」「韓国との信頼関係がなくなる」などが、その理由である。
 「『日韓請求権および経済協力協定により、完全かつ最終的に解決された』ものは何だったのか。なぜそのような形で解決されたのか。市民には知る権利がある。竹島問題なども含まれていますが、すべて堂々と公開して両国の歴史家が話し合えばいい。その上、外交文書は、30年たてば公開するのが、いまの国際社会の常識なんですね」

 「日韓会談文書・全面公開を求める会」は、国(外務省)に文書の全面公開を求め、日本の植民地支配の事実を認めさせ、被害者への謝罪と補償を実現させるため、05年12月に結成された。
 その発端は、「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟」。戦争中、朝鮮半島から優秀な少女ら約300人が「学校に行かせてやる」などの甘言で三菱重工名古屋航空機製作所に連れてこられた。貧しい食生活と過酷な労働。学校へ行けなかったばかりか、労働賃金も、あとで送ると約束された荷物さえも受け取ることはできなかった。しかし裁判では「日韓請求権および経済協力協定によって、完全かつ最終的に解決」と言い渡され、最高裁への上告も全面棄却された。
 この裁判のビデオを制作していた小竹さんは、原告たちの号泣と怒りの声を聞きながら「個人の未払い賃金すら、請求できないなんて」。社会保険労務士の資格を持っている小竹さんにとって、理不尽なことだらけだった。「日韓会談文書の公開運動をすべきだ」という弁護士に同意し、日韓両市民に会の結成を呼びかけ、事務局の仕事を引き受けることになった。
 「名古屋三菱で働かされていたハルモニたちは、私より年上ですが4歳ほどしか違わないんですね。もし自分だったらと、考えずにはいられなかった」
 裁判の1次訴訟は、60日以内に公開する義務を国(外務省)が守らなかったため勝訴に。不開示の理由を問う2次訴訟は敗訴、最高裁に上告受理申立書を提出。現在、3次訴訟が行われている。

続きは本誌で...


こたけ ひろこ

1936年京都府生まれ。その後、大阪、愛知へ。高校卒業後、名古屋鉄道管理局に就職、結婚退職後、建設会社のユニオンに再就職。ビデオ制作で社会問題に取り組み、2005年より日韓会談の文書公開を求める会の事務局長に。

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