WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

  • HOME
  • >
  • インタビュー

インタビュー

いじめ・襲撃事件を追って24年

北村 年子さん

  • 2010.04.25
  • 聞き手:じょうづかさえこ
  • 撮 影:落合由利子

北村 年子さん

対立を超え平和な世界を見たい

 「どうして年子さんは、ホームレス襲撃や、いじめの問題にそんなに一生懸命になれるのですか?」。全国各地で講演を続ける年子さんは、子どもたちの問いにこう語る。  「それは、私自身、被害者であると同時に暴力の加害者だと思って生きてきたからです」  年子さんが物心ついた時、事業に失敗し借金を抱えた父親は家族を残して蒸発していた。親戚に預けられた年子さんが、その後、必死で自活の道を切り開いた母親に引き取られたのは小学校に上がる直前。「ホームレス」となり病院に収容されていた父親も引き取り、初めての家族3人の生活が始まった。
 「お風呂もない貧乏なアパート暮らしでしたが、父も工場で働き始め、親子3人川の字になって寝る濃密な時間でした」
 しかし、その幸せな時間は長く続かなかった。過労から病気になった父親は働けなくなり、ある日、12歳の年子さんに言う。
 「年子、もう死にたい。お父さんもう頑張れへん…」
 泣いて止めた年子さんだが、何度も弱音を吐く父に、『なんでもっと頑張れへんのや。弱い、甘えてる』と〝いじめの心〟が出てきたという。ある日、「そんなに死にたかったら、死ねばいい」という言葉を投げつけた。
 その数週間後、父親は自ら命を絶つ。
 「取り返しのつかない一言を言ってしまったこと、私が父を追いつめたのだと、ずっと自分を責めて悔いてきました」

 父のことは誰にも言えず、「泣かない子」だった年子さんは、太宰や芥川、自死した作家の本を貪るように読んでいた。
 「読むことで癒やされ、書くことで気持ちを吐き出すことが救いでした。将来は『泣いている人の涙を拭うハンカチのような本をつくりたい』なんて日記に書いていました。ちょっと照れくさいけどね」
 京都から上京後、3年間の出版社勤務を経て、フリーになる。2年がかりで200人以上の少女たちにインタビューした最初の著書『少女宣言』(長征社)を1987年に出す。
 「『女』で『子ども』という二重の手かせ足かせをはめられた少女たち。当時は、松田聖子などアイドル全盛期で、テレクラが出てきた時期。世の少女像は、ブリッコと、男たちの性的対象に二分されていました」
 少女たちの話を聞き、女性の自立や自分を大事にすることをどうやって伝えればよいかと、「毎日がワークショップのような」日々だったと言う。
 「例えば、避妊の知識は、みんな持っている。でも、『コンドームをつけて』と言えない。表面上はキャピキャピ明るい少女たちの心の中の、不安、怖れ、葛藤…。そこを受け止めて、伝わる言葉で語ってくれる大人が必要だったんですね」

続きは本誌で...

きたむら としこ

1962年、滋賀県生まれ、京都育ち。社会の底辺に追いやられる人々を取材し、その闇に「光」を当てるルポライター。著書に『「ホームレス」襲撃事件と子どもたち いじめの連鎖を断つために』(太郎次郎社エディタス)など著書多数。非婚で18歳の息子の母。
【 新聞代 】(送料込み)
 1カ月750円、3カ月2,250円
 6カ月4,500円、1年9,000円
【 振込先 】
 郵便振替:00180-6-196455
 加入者名:婦人民主クラブ
このページのTOPへ