WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

  • HOME
  • >
  • インタビュー

インタビュー

内戦を経験

カンベンガ・マリールイズさん

  • 2011.01.25
  • 聞き手:赤石千衣子
  • 撮 影:落合由利子

カンベンガ・マリールイズさん

ルワンダの未来を教育で紡ぐ

 100万人とも言われる犠牲者を出した1994年のルワンダ虐殺の悲劇を生き延び、日本で暮らしている女性がいる。カンベンガ・マリールイズさん。彼女は、1993年、JICAの招聘により日本で洋裁の研修を受け、翌94年2月ルワンダに帰国。直後の4月、内戦が激化し、6歳から2歳までの3人の子どもを連れて家を出た。すぐに戻れるだろうと思ったが、5年後まで戻れなかった。

 マリールイズさんの逃避行は悲惨と奇跡に満ちている。やっとの思いで国境まで着いた時、ごった返す人ごみの中で離れ離れの夫と再会できた奇跡。夫はマリールイズさんたちがもう死んでいるだろうと聞いていた。
 その後の難民生活も過酷だった。国境を越えても、難民キャンプにはテントも何もなかった。雨季に入り雨が降っても防ぐものもなくただ立っていた。弱っている人から亡くなっていった。
 「生理になっても何もないから、体から血が流れるだけ。自分のにおいがたまらなかった」
 しかし彼女には再び奇跡が訪れる。日本の友人にファクスを送ろうと並んでいた時に、日本のNGO、AMDA(アムダ)の医師たちと偶然出会い、通訳を頼まれたのだ。赤痢がはやる難民キャンプで、倒れて動けなくなる人、大きな穴にトラックで運び込まれる死体の山…。
 「見てはいけないものをあまりにもたくさん見ました」と、彼女は静かに言う。
 彼女の子どもたちも赤痢になり一時は危なかったが、AMDAの医師の薬で元気になった。
 彼女はその後、連絡した日本の友人たちが奔走して、その年の12月、子どもたちと夫とともに日本へ留学生として来た。

続きは本誌で...


カンベンガ マリールイズ

1965年父の赴任先であるコンゴに生まれる。86年洋裁の教師に。94年ルワンダ内戦を生き延び、来日し、福島県在住。ルワンダに学校を建設、全国で講演中。ルワンダの教育を考える会 TEL/FAX024(533)8289 郵便振替02290-0-97126

【 新聞代 】(送料込み)
 1カ月750円、3カ月2,250円
 6カ月4,500円、1年9,000円
【 振込先 】
 郵便振替:00180-6-196455
 加入者名:婦人民主クラブ
このページのTOPへ