WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

闘う詩人・詩業家

上田 假奈代さん

  • 2009.11.25
  • 聞き手:竹内絢
  • 撮 影:谷口紀子

上田 假奈代さん

言葉にならない、そのならなさを

 大阪・釜ヶ崎のほど近く、商店街の中にcocoroomはある。スナックだった場所を改装した、カウンターと4畳半の畳のあるカフェ。上田さんは食べることを大切にしているので、それを誰とでも分かち合おうとする。取材中も、あるおっちゃんが差し入れてくれた焼きそばと、熟れた柿をいただいた。
 上田さんは、現在の場所にcocoroomを移す以前から、「表現と自律と仕事と社会」をテーマに様々な社会問題に取り組んできた。「釜ヶ崎に入りたい」と思ったのは、すぐそばにあるのに、分断され、見えなくさせられているまちだったから。多くの日雇い労働者が暮らす釜ヶ崎。ここには様々な支援団体があるが、アートNPOはなかった。誰もが表現できる居場所のようなイベント、紙芝居劇グループ「むすび」のバックアップや、学生の受け入れ、ボランティアコーディネートなども必要に応じて担っている。

 上田さんは3歳で詩作を始めた。詩人の母のもとで、うながされるままに日記とも手紙ともつかない「詩」をつくり、書けない時には母がつぶやきを録音してくれた。妹も同じく詩作をし、母やその仲間とともに、年に4度、詩集を発行していた。幼稚園の時にはすでに締め切りがあり、刷り上がったものを折り、封筒に入れ、宛名を書き、切手を貼った。
 「表現したいという思いがある時、人に手渡すための〝作業〟が必要だということを、小さいながらに感じていたのね」
 詩は、妹のほうが上手だった。「私のは〝なんで人は生きるの〟みたいなことばかりで作品としてはおもしろくなかった。私にとって生きることは、ずっと〝問いかけ〟やった」
 高校生の時、神秘的な体験をする。古典の参考書を持って裏山に上がり、木に向かって漢詩の朗読をしていると、自分の声が〝見えた〟のだ。
 「声がシャボン玉みたいにしゅわしゅわしゅわ~って広がっていったの。後に〝世界に見つけられた感じ〟って、名付けたんです」
 この体験は、上田さんが詩の朗読をする原点になっている。そして、「声を出す」ことをパフォーマンスとして立ち上げようと思うに至る。22歳の時、初めて大きな企画を立てた。京都で培ったネットワークで、四条河原町のビルのこけら落としで7日間毎夜、表現の訓練をしていない50人が、それぞれの思いを、生きているということを、自分の言葉にし、声に出して表現するイベントだった。
 「興味持ってるのが、結局ずっとそれなんよね。自分の気持ちを表現すること。他者とかかわること。声にならない声はないものとして制度が作られ、構造化されていく。抑圧された人たちが、気持ちを語っていくこと・届けること。それが大事やと思う

続きは本誌で...

うえだ かなよ

1969年奈良県生まれ。「寝っころが詩朗読」「トイレ連れ込み朗読」など独自のリーディングを展開。2003年に「こえとことばとこころの部屋(cocoroom)」http://www.cocoroom.org/を立ち上げ、09年6 月、「カマン!メディアセンター」を設立。共著に『こころのたねとして』(ココルーム文庫)
上田假奈代 あなたのうえにも同じ空がhttp://www.kanayo-net.com/
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