WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

人身売買サバイバー当事者

ジャヌカ・バタライさん

  • 2010.11.25
  • 聞き手:柏原登希子
  • 撮 影:飯田典子

ジャヌカ・バタライさん

力強さ、支え合う仲間のちから

 「こんにちは。私はジャヌカです」と、覚えたての日本語と照れくさそうな笑顔で彼女は入ってきた。写真からは大柄の女性を想像していたと伝えると、「あのころは娘が生まれたばかりで忙しくて、怖い顔をしていたかも」と笑う。
 ジャヌカさんは、1996年ネパールで、南アジア初となる人身売買サバイバー当事者団体「シャクティ・サムハ(力強いグループ)」を仲間と立ち上げた。
 ネパールでは毎年、5000~7000人の女性や子どもがインドとの国境を越えて、性産業や農場、サーカスへと人身売買される。そのうち20%は16歳以下の子どもたち。最近では国内での人身売買も深刻で、キャビンレストランやマッサージパーラーが買春の場となり、女性や子どもたちが売られていく。背景には、圧倒的な貧困、女性差別、教育の欠如がある。

 10人きょうだいの貧しい家庭に生まれた。小さいころから家の仕事をたくさんした。一番最初の記憶は4歳の時にヤギの世話をしたこと。当時、村では女の子を学校に行かせなかった。
 6歳の時、子どもが少ない父方の叔母の家に、家畜の世話をする労働力として行かされた。その家の従兄弟には「飼い葉が足りない」と殴られ、レイプされた。叔母には、「家の恥だから絶対に言うな」と脅された。
 心身が衰弱したため、家族の元に戻り、一時は学校に通うが、「生理が始まる前に結婚しないと天国に行けない」と信じる両親に14歳で結婚を決められた。
 「幼児婚は珍しくないのです。必要なお金も自分で稼いだのに、学校に行けなくなりショックでした」とため息をついた。  結婚後、持参金(ダウリ)を払っていない彼女を、夫は刃物で脅し、足を縛ってレイプした。ある日同じ村出身の13歳の少女と、着の身着のままジャングルに逃げ込んだ。既婚女性を示す服や装飾品を脱ぎ捨て、未婚者の服装に着替え、装飾品を売ってバスに乗り込んだ。
 逃げたものの、彼女には他人の家での家事労働しか仕事はなかった。十分な対価を得られないまま、何人もの雇い主に「転売」された。救いを求めた警察官にもインド系移民の家に働きに出され、その合間に性的虐待を受け続けた。「他の仕事をしたい」と探した工場労働では、女性の給料は男性の給料の3分の1以下で、同僚男性からのセクハラや性的虐待が続いた。

 助けを求めたのはある女性団体のシェルター。そこに住み込み、学校に行き、別の女性団体が村に派遣する保健ボランティアの養成研修にも参加した。
 そして、研修で運命的な発見と出会いをする。「それまで女はみんな自分と同じ人生を送っていると思っていたし、兄たちと違うのは仕方ないと思っていた。でも男でも女でも権利は同じであること、自分が経験してきたことが『人身売買』だと初めて知った」のだ。

続きは本誌で...


ジャヌカ バタライ

1975年ネパール東南部ウダイプール郡出身。「シャクティ・サムハ(Shakti Samuha)」代表。2006年制憲議会選挙で比例区候補に選ばれる(惜しくも落選)。今回アジア保健研修所(AHI)の研修で来日。http://www.shaktisamuha.org.np

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