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インタビュー

辺野古で基地反対の音楽祭を開催

伊丹 英子さん

  • 2010.10.05
  • 聞き手:岩崎眞美子
  • 撮 影:落合由利子

伊丹英子さん

分断された場をつなげる音楽の力

 今年5月、二転三転の後に、再び普天間基地の移転先とされてしまった沖縄の辺野古。今も座り込みの反対運動が続くこの浜で、この10月、音楽を通じて「沖縄に基地はいらない!」を訴える「ピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2010」(以下PMF)が開かれる。沖縄では開催4回目となるこのイベントの中心的存在となっているのが、ロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオンのメンバーでもある伊丹英子さんだ。

 長く関西を拠点にしていたが、5年前から一人娘のそらちゃんと共に沖縄で暮らす。人と人とのつながりが色濃く残るコミュニティーが魅力だった。
 「近所の人が、勝手に入ってきてごはん食べていくみたいな、いつでもドアが開いてるような感じがすごくほっとする。あたしもそういう環境で育ってきたし、自分が子どもを育てるなら、そういう環境で自分も一緒に育ちたいと思ったから」
 生家は小さな医院を営んでおり、医院兼自宅はいつも近隣のお年寄りでいっぱい。そんな環境で育った。18歳の時に家を出て、祖父の介護を任され3年間共に暮らしたという。
 「当時から赤い髪に派手な格好で目立ってたけど、友だちと遊んでても夕方6時になるといなくなる。みんな私が、相当悪いヤツらとつるんでると思ってたみたいだけど、単におじいちゃんの世話があるから帰らなあかんかっただけという…(笑)」
 若いころ芸者遊びで鳴らしたという祖父は、当時のお座敷ソングが大好きだった。歌を歌っている時の祖父の嬉しそうな表情は、その後の伊丹さんの活動の根底を支える記憶となった。

 伊丹さんの音楽活動を大きく変えたのは、1995年の阪神淡路大震災だ。大阪の自宅の被害はさほどではなかったが、ニュースで壊滅状態の神戸を見て、何よりもそこで暮らすお年寄りたちのことが気になった。
 「震災直後は生きるのに必死やけれど、ひと月もたつともっと別なものが必要になってくる。被災地の仮設住宅で暮らすお年寄りに、今、必要なのは何だろうと考えた時、やっぱり娯楽や、音楽やと思った。それですぐメンバーに声をかけた」
 ソウル・フラワー・ユニオンのリーダーでボーカルの中川敬さんも、伊丹さんに背中を押されて神戸行きを決意。ちんどんスタイルで、民謡や昔の流行歌を歌い、多くの被災地を回った。
 「震災後、中央の政策によって、長年そこに暮らしていた人たちのコミュニティーはばらばらになってしまった。そして、沖縄でもそれと同じことが起こってる。あたしが辺野古のことで、一番ショックだったのは、基地が来ることよりも、基地によってコミュニティーが破壊されてしまうこと。賛成派、反対派、というように人のつながりが壊されてしまうことやった」

続きは本誌で...


いたみ ひでこ

1962年三重県生まれ。ロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオン、ちんどんユニット、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのメンバー。2005年より宜野湾市に在住。基地移転問題を考える「ピース・ミュージック・フェスタ!」の実行委員会共同代表。
http://peace-music.org/

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