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インタビュー

別姓を考える会の

樋口 典子さん

  • 2010.04.05
  • 聞き手:赤石千衣子
  • 撮 影:飯田典子

樋口 典子さん

東北で「いろんな生き方あっていい」

 3月3日。チンドン屋さんのグッズを持って国会に現れた樋口典子さん。ピンクのジャケットがぱっと目に入る。
 東北の地で「別姓を考える会」に参加し、現在中心メンバーの樋口さんは、夫婦同姓しか認めない社会を変えようと活動、同時に家意識にまつわる悩みを聞いてきた。一つの形にこだわらず、通称使用でも事実婚でも親子別姓でもいろいろな生き方を尊重し合いたいと思ってきた。
 夫婦別姓選択制の導入や婚外子差別の廃止など、民法改正への期待が高まる今だから、樋口さんに話を聞こうと思った。

 樋口さんは、26年前「できちゃった結婚」をした。相手はサンバグループの仲間だった。当時栄養士として就職して2年もたたないのだからあせった。自分の姓は変えたくないし、夫の家に吸収されたくはない。「でも、事実婚は立派な弁護士さんがやるもので、一介の栄養士がやるものではない」と思っていた。相手は一人息子。樋口さんには兄がいる。樋口さんが結婚改姓するのが当然、と思われる状況だ。
 「心の中はどしゃぶりだった」という。
 数年後、樋口さんは、ある講演会に参加した。弁護士・榊原富士子さんによる夫婦別姓の講演だった。別姓が認められるよう、法改正したい! そんな思いの参加者が集まって1991年、「別姓を考える会」が仙台につくられ、樋口さんは戸籍名ではなく、自分の結婚前の姓を使うことにした。周りにどう思われるだろう、〝フェミニスト〟にどう思われるだろうなど最初はびくびくしながら。でもだんだん大胆に。
 当時は「別姓で通称使用しています」とカミングアウトするにも勇気が必要だった。新聞に載ったら「あなた、〝赤〟になっちゃったのね」と学生時代の友人に言われたこともある。
 法制審議会によって96年民法改正案要綱が答申された。続いて政府が法改正案を出すと思われていた。しかし政府案が提出されなかったのだ。それから辛苦の時が来た。
 「会を始めた時息子が5歳。10歳になるころには実現しているはずだったのに、もう25歳」
 でも、樋口さんは仲間たちと世の中を少しずつ変え、また世の中も変わってきた。宮城県では県レベルで、仙台市では政令指定都市として、それぞれ全国で2番目に職員の旧姓使用を認めた。樋口さんは次々と男女平等に関する活動も始める。ノルウェーに男女平等を学ぶツアーも催した。次々に仙台の中でもタッグを組む人が増えてくる。
 「地下水脈はつながっているから」
 そして、2007年には、政治を変えよう!と市議選にもチャレンジ。惜しくも僅差で落選し次回を待っている。

続きは本誌で...

ひぐち のりこ

1959年宮城県生まれ。「別姓を考える会」会員。仙台市の保育所栄養士として25年勤務。自治労宮城県本部副委員長。家族はパートナー、子ども3人。
http://www.kaigamori.com/nohiguchi/
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