樋口さんは、26年前「できちゃった結婚」をした。相手はサンバグループの仲間だった。当時栄養士として就職して2年もたたないのだからあせった。自分の姓は変えたくないし、夫の家に吸収されたくはない。「でも、事実婚は立派な弁護士さんがやるもので、一介の栄養士がやるものではない」と思っていた。相手は一人息子。樋口さんには兄がいる。樋口さんが結婚改姓するのが当然、と思われる状況だ。
「心の中はどしゃぶりだった」という。
数年後、樋口さんは、ある講演会に参加した。弁護士・榊原富士子さんによる夫婦別姓の講演だった。別姓が認められるよう、法改正したい! そんな思いの参加者が集まって1991年、「別姓を考える会」が仙台につくられ、樋口さんは戸籍名ではなく、自分の結婚前の姓を使うことにした。周りにどう思われるだろう、〝フェミニスト〟にどう思われるだろうなど最初はびくびくしながら。でもだんだん大胆に。
当時は「別姓で通称使用しています」とカミングアウトするにも勇気が必要だった。新聞に載ったら「あなた、〝赤〟になっちゃったのね」と学生時代の友人に言われたこともある。
法制審議会によって96年民法改正案要綱が答申された。続いて政府が法改正案を出すと思われていた。しかし政府案が提出されなかったのだ。それから辛苦の時が来た。
「会を始めた時息子が5歳。10歳になるころには実現しているはずだったのに、もう25歳」
でも、樋口さんは仲間たちと世の中を少しずつ変え、また世の中も変わってきた。宮城県では県レベルで、仙台市では政令指定都市として、それぞれ全国で2番目に職員の旧姓使用を認めた。樋口さんは次々と男女平等に関する活動も始める。ノルウェーに男女平等を学ぶツアーも催した。次々に仙台の中でもタッグを組む人が増えてくる。
「地下水脈はつながっているから」
そして、2007年には、政治を変えよう!と市議選にもチャレンジ。惜しくも僅差で落選し次回を待っている。