イギリス系の父、ドイツ系の母を持ち、スウェーデンで生まれたヘレナさんはイギリス、ドイツ、そしてアメリカでも学んだ。「別の国の言葉を学び、内側からその国の文化を知るのが好きでした」。学生の時は休みを利用しては南米や中近東諸国を訪れた。「どこに行っても、素早く簡単にその国の言葉を覚えることができました」というヘレナさんは、9カ国語を自在に操る言語学者となった。
語学の才能を見込まれ、撮影チームからラダックへの同行を要請される。29歳だった。西洋文明を知らない人たちの住むラダックの、お金が必要ない相互扶助の暮らし、泥で日干しレンガの家を建て、ヤクの毛で布を織り…と、必要なものはすべて周りからまかなう仕組みと技術、そして人々が幸せそうであることにヘレナさんは魅了される。
しかし平和でつつましい暮らしは西洋の消費文明が洪水のように入り込むことで崩壊していく。世界中の多くの国と同様に、貧困や差別、公害や犯罪、劣等感に悩む人や世代間ギャップ、そして民族紛争までが勃発したのだ。「数百年かけて世界中で起きた近代化がラダックでは急速に進みました。そのために、原因と結果の関係に気付きやすかったのです」
6週間で終わるはずの旅は34年にも及び、ラダックの人々とヘレナさんの交流は今も続いている。同時にそれは「これまでは活動とは無縁だった」ヘレナさんをアクティビストへと変身させる旅でもあった。