水にまつわる民間伝承の研究をしていた雨宮さんは、学生時代にパリに留学し、ブルターニュ地方の民俗にすっかり魅せられて、フランスに居着いた。
「日本語の『あおい海原』『あおい牧場』の『あおい』は、もともとは豊かな自然を指す形容詞。海に囲まれたブルターニュ半島にも、同じ発想の『グラース』という言葉がある。ブルターニュ地方は、フランスの他の地域とは言語も異なるブルトン(ケルト系民族)のつくった独立国だった。教会には豊玉姫のような海の母神の図像があって、それにまつわる昔話もいろいろあるの」
しかし、そのブルターニュの村々が、農業の近代化に伴い一変してしまった。
養豚や養鶏の大規模集約化が進むと農業労働者はいらなくなり、小学校もカフェもなくなった。村祭りの主役だった木製のマリア像の神輿は担ぎ手がいなくなり、閉ざされた教会の中で朽ちていく。
「大好きなブルターニュの文化を守るためには村の活性化しかない」。雨宮さんは、農村と町をつなぐための行動を起こす。
ブルターニュの野菜は一度パリの中央卸売市場に出荷され、そこで売れ残ったものが首府レンヌに戻ってくる。以前から新鮮な野菜がほしいと思っていた雨宮さんは、近郊の有機生産者と町の消費者を直接結びつける「提携産直」グループを立ち上げることにした。