義足生活は、ショック、否認、混乱、努力、受容の繰り返しだった。
「もう、ひらひらの服も着られないって思った。ハイヒール、ブーツ、パンプス…、足がキマらなくちゃ、服もキマらない。ファッションから切り離された。それが一番嫌だったな」
現実から目をそらし、リハビリ訓練をやめようとしたこともある。悔しくて、理学療法士の前でとうとう泣いた。その時初めて、ある程度の受け入れができたと、今になって思う。
「もうええか」というところに来るまでに、10年かかった。
理学療法士を目指したのは、〝何か勉強して資格でも取ろうかな〟と考えたから。特別な動機はなかったという。
そんな福辺さんに、障がいとは何かとたずねてみた。
「自分の人生にとって都合の悪いこと、嫌なこと。みんな一緒や、と思うんですよね」
人種や経済力、外見、性格、健康状態などの「個性」が「環境」の中で不都合になる時、それは障がいと呼ばれる。つきつめれば「女」という「個性」も、社会という「環境」の中では障がいになるかもしれない。
「自分には障がいなんてないと思う人だって、いろんなところで差別する方にもされる方にも回る。どっちがどっちかは分からへん」
こんな考えが培われたのは、学園闘争の残り火があった高校時代から。女性や差別問題に興味を持ち、毎日話し、考えた。
それがその後の理学療法、介護に対しての考えにつながった。