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インタビュー

人の尊厳を見つめる義足の理学療法士

福辺 節子さん

  • 2009.02.25
  • 聞き手:梅山美智子
  • 撮 影:落合由利子

福辺 節子さん

人に触るのが苦手、それも大切なこと

 学生の時、和歌山県高野山をドライブ中、乗っていた車が90㍍崖下に転落した。命はとりとめたものの搬送先での処置が不十分だったため、骨折した部分からガス壊疽菌が膝まで侵入してしまった。看護師の助言で転院し、すぐに左膝から下を切断。人生が変わった。
 「学生のころは広告関係のコピーライターになろうと思ってたんですよ。医療とか福祉、教育には興味がなかった。人のために何かするなんて、と」
 そんな福辺さんは現在、理学療法士、介護支援専門員として、「もう一歩踏み出すための介護セミナー」を主宰し、専門学校で教壇に立っている。

 義足生活は、ショック、否認、混乱、努力、受容の繰り返しだった。
 「もう、ひらひらの服も着られないって思った。ハイヒール、ブーツ、パンプス…、足がキマらなくちゃ、服もキマらない。ファッションから切り離された。それが一番嫌だったな」
 現実から目をそらし、リハビリ訓練をやめようとしたこともある。悔しくて、理学療法士の前でとうとう泣いた。その時初めて、ある程度の受け入れができたと、今になって思う。
 「もうええか」というところに来るまでに、10年かかった。  理学療法士を目指したのは、〝何か勉強して資格でも取ろうかな〟と考えたから。特別な動機はなかったという。
 そんな福辺さんに、障がいとは何かとたずねてみた。
 「自分の人生にとって都合の悪いこと、嫌なこと。みんな一緒や、と思うんですよね」
 人種や経済力、外見、性格、健康状態などの「個性」が「環境」の中で不都合になる時、それは障がいと呼ばれる。つきつめれば「女」という「個性」も、社会という「環境」の中では障がいになるかもしれない。 
 「自分には障がいなんてないと思う人だって、いろんなところで差別する方にもされる方にも回る。どっちがどっちかは分からへん」
 こんな考えが培われたのは、学園闘争の残り火があった高校時代から。女性や差別問題に興味を持ち、毎日話し、考えた。
それがその後の理学療法、介護に対しての考えにつながった。

続きは本誌で...

ふくべ せつこ

1954年、大阪府生まれ。22歳の時、左下肢を切断。92年よりフリーの理学療法士に。理学療法士・介護支援専門員。著書に『人生はリハビリテーションだ』(教育史料出版会)、『福辺流 力のいらない介助術』(中央法規出版)などがある。
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