「沖縄好きのヤマトンチュー(本土の人)に『そんなに沖縄が好きなら基地を持って帰って』と言うと、沈黙、無視が返ってくるんですね」
その態度に、本土の人にとって基地は「沖縄の問題」なのだと改めて気づかされたと言う。
「私たちは生まれた時から基地と隣り合わせの暮らしを強いられ、基地反対運動を担わされています。小さい子どもを県民大会に連れていくと『この子も次の闘士だね』などと言われる。冗談じゃない! 沖縄の人間は反基地運動をするために生まれてくるわけではないのです。次世代の沖縄人は基地のない沖縄でもっと別のことに才能を発揮してほしい」
安保に賛成し存続させているのは本土の人。だから基地も引き取って当然。安保があるのだから、なくすまで平等に負担すべき。沖縄の地理的優位性などウソなのだし、本土には関空、神戸空港、佐賀空港など、住民がそばにいない空港がいくらでもある。まずは、本土に基地を引き取って、本土の人が自分たちで基地をなくせばよい。それが憲法9条を実現していく途ではないか。
ウシさんの主張は明快だ。
ウシさんが小学校に入学したのは、沖縄の「日本復帰」の年。地図帳に「沖縄県」のページはなく、別刷りの沖縄県地図をのりで貼りつけた。「本土に追いつけ、追い越せ」の空気の中で「本土の子に負けるな」と叱咤激励された。
「偏差値の高い東京の大学に合格した時『これで私も普通の日本人になれた』と涙が出ました」。以来、その思いは何なのか、なぜ自分はそう思わされてきたのかと深く問い続けることになる。
大学院で「沖縄問題」を専攻した。しかし、沖縄の混乱した歴史とその中で傷ついた家族関係や自分の傷が重なり、苦しくなり、やめた。
沖縄に帰ったのは2000年。子どもができたのがきっかけだった。「いずれは帰ると決めていました。私は沖縄の風の中でしか生きられない」
沖縄に帰り、浦添市にある米国総領事館前に毎週集まる「金曜集会」に行った。この集会を呼びかけていたのが、「カマドゥー小たちの集い」だった。
「いわゆる運動家ではない、普天間基地周辺の主婦や働く女性たちの集まりです。辺野古移設の動きが出た時に、『私たちに遠慮することなく一緒に県内移設NO!の声を挙げましょう』と、辺野古で手作りのビラを持って1軒1軒訪ね歩いたのが始まり。『カマドゥー』とは、沖縄の女性の伝統的な名前の一つで『いとしい人』という意味です」