「グングン裁判」は、アジア・太平洋戦争中に日本軍に徴用された韓国人が謝罪と未払い賃金の支払いや遺骨返還などを求めた裁判。「ノー! ハプサ」は靖国神社に合祀されている韓国人遺族らが、合祀取り消しを求めている裁判である。原告のそばに必ず赤池さんの姿がある。
「もともと通訳を目指していたわけではないんです。韓国に留学したのがきっかけで、裁判の支援者から話せるならお願いします、と頼まれて。法律を勉強したわけでもないし、『供託金って何?』。最初はもう、わからないことだらけでした」と穏やかに話す赤池さん。大学を卒業後、編集プロダクションで出版の仕事に携わっていた。
30歳が近づくころ、「生活を変えてみたくなって」ソウルへの留学を決意。それまで多少、韓国語を習っていたのも「日本語と近いから覚えやすいよ」と韓国通の父親にすすめられたからだった。
「『現代語学塾』で韓国語を習ったのですが、そこでは金嬉老事件の裁判支援もしていました。こんな事件があったのか、と初めて知ったんです。大学では差別について学び、在日韓国朝鮮人の方の証言も聞いたけれど、『見た目は同じなのに差別があるんだなあ』と思ったくらいでした。言葉を勉強していても、自分が日韓の問題にかかわることになろうとは思いもしませんでしたね」
ソウルへの出発も間近に迫った1994年。赤池さんは突然、母親からルーツを明かされる。母方の祖父は韓国人で、戦前、来日して日本人の祖母と結婚したのだと。「うちの父も知らないことでした。私? なんだ、そうだったのか、ぐらいで。血の1/4は韓国人なわけですけど、そういうことで深刻になったり、ドラマチックに考えたりするのは好きじゃなくて」。
「国籍なんて政治の世界でのことだから」と、赤池さん。政治によって国と国との境界がつくられる。支配する側、される側ができる。それは国籍に翻弄されていまだ安らかな戦後を迎えられない原告の人たちの存在とも重なるようだ。