WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

大恩寺住職

ティック・タム・チーさん

  • 2023.9.15
  • 聞き手…中村富美子
  • 撮影…落合由利子

>ティック・タム・チーさん

(c)落合由利子

ベトナム人の「駆け込み寺」になって

コロナ禍で解雇され、家もお金もないベトナム人技能実習生や留学生たちの「駆け込み寺」となった大恩寺(埼玉県本庄市)。この間2000人もの面倒をみてきた住職のティック・タム・チーさんは、光熱費や食費もかさみ、身も心も限界に近かったという。少し落ち着いたと聞き、訪ねた山あいの寺には門もなく、ノンラー(すげ笠)姿の若者が畑を耕し、柔らかなベトナム語が響いてくる。時の流れも急にゆるやかになる。

 

 とはいえ住職は今日も忙しい。縫製工場の技能実習生が、死産した子の供養のため、面倒見のいい社長や仲間とやって来るかと思えば、近隣の会社員が、少しでも役に立ちたいと日用品や食料を差し入れに来る。  「本当に助かります。買ったら膨大な費用になっちゃうよ。お昼一緒に食べてく?」  その間にも、横目でスマホをちらり。次から次と、いろんな相談が舞い込んでくる。  そこにやって来たのは「おじいちゃん」。ここで静養中の、寺院「日新窟」(東京都港区)の吉水大智住職だ。「日本を大好きにしてくれた先生」との出会いとは―。

「ベトナム戦争が終わって間もない1977年。タム・チーさんは少数民族が住む中部高原の村で、9人きょうだいの末っ子に生まれた。父は地雷が残る地域に働きに行ったきり。母一人で細々と畑を耕した。「少ないお米にサツマイモを混ぜ、塩、胡椒、唐辛子を振りかけては食べていた」

  

優しい母に連れられ、毎晩お寺参りをし、7歳のときだった。「花祭りの踊りを見て、出家したいと言ったの。今思えば、なぜそれほど強く願ったのか。仏縁としか言いようがない」  寺で修行しながら大学を終えた頃。ベトナム戦争中から何度も現地を訪れ、仏教で人々の役に立とうとしてきた吉水住職に出会う。それが縁で日本へ留学し、日新窟で文化交流の活動を担いながら博士課程を終え、いよいよ帰国、というやさき。  東日本大震災が起きた。

          続きは本紙で...


ティック・タム・チー

1977年、ベトナム生まれ。7歳で出家。2001年、日本に留学。大正大学大学院梵文学、国際仏教学大学院大学博士後期満期修了。一般社団法人在日ベトナム仏教信者会代表理事。大恩寺住職。足立区に建設予定の寺への支援問合せは、adidaphat6999@gmail.com

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