(c)室田元美
発生から今年で100年になる関東大震災。関東一円で多くの朝鮮人、中国人、また日本の社会主義者や一部の人々が虐殺された。最も朝鮮人虐殺犠牲者が多いとされる神奈川県横浜市では、多くの証言や公的資料が残されながらも、明らかにされていない事実が山積している。解き明かすために奔走しているのが、山本すみ子さんだ。
「多くの朝鮮人が働いていた横浜市神奈川区あたりは大虐殺地帯だった。軍と警察、自警団によって3000人以上が虐殺されていると推定されるのに、横浜市での公式の人数はゼロなんです。市は当時もいまも調査しようとしないんですね」
「多くの朝鮮人が働いていた横浜市神奈川区あたりは大虐殺地帯だった。軍と警察、自警団によって3000人以上が虐殺されていると推定されるのに、横浜市での公式の人数はゼロなんです。市は当時もいまも調査しようとしないんですね」
最初に山本さんが関東大震災の話を聞いたのは、母親から。中学生の頃だった。 「横浜・鶴見の農家で育った母は、震災のあと家が崩れると危ないから、外に蚊帳を吊って寝たらしいんです。そのとき枕元に灰が置かれ、朝鮮人が攻めて来たら目に灰を投げろと言われたと。でも私はなんで灰を投げるのかわかりませんでした」
頭の片隅にはずっと残っていた。そして山本さんは小学校の教師になり、1973年に関東大震災50年を迎えた。横浜で何があったのか調べようと野毛山の図書館へ行くと、そこで虐殺を記述した子どもたちの作文をいくつも発見した。
続きは本紙で...