(c)落合由利子
関東のレジャー湖として知られる相模湖(神奈川県)。その元になる相模ダムでは戦時中、朝鮮人、中国人の強制労働が行われていた。 「戦争中、日本各地で行われていたことが、ここでもあった。事実を知ってほしいんです」
と話すのは、相模湖のそばで生まれ育った橋本登志子さんだ。相模ダム建設中にわかっているだけで中国人28人、朝鮮人17人、日本人38人、計83人が死亡した。橋本さんは1976年に「相模湖・ダムの歴史を記録する会」(以下・記録する会)を仲間と立ち上げ、事実を明らかにしていった。犠牲者を追悼する碑を建立し、毎夏、大勢の市民を集めて追悼会を開く。地元の中学生が合唱したり、朝鮮学校生徒の舞踊なども行われる。県や市の代表、地元議員、韓国民団、朝鮮総聯、中国大使…保守もリベラルも一堂に会し、花を手向け、祈りを捧げる。立場を超えて歴史に向き合う姿は、他ではなかなか見られない。橋本さんらはどうやって運動を作ってきたのだろうか。
地元のことを調べるきっかけになったのは、75年に日本政府の交流事業「青年の船」で中国へ行ったこと。出迎えた中国人が口を揃えて「日本人も戦争の被害者ですから」と言ったのが橋本さんには意外だった。翌年別のグループで訪中したところ、片目の潰れたひとりの老人が日本人と見るや、すごい剣幕で怒鳴りかかってきた。 「何を言っているかわからなくても、怒りは伝わります。相模ダムでも中国人が働かされていたと聞いていたので、明らかにしなければと思いました」
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