(c)落合由利子
東京新聞の連載コラムでもおなじみの宮子あずささん。看護師の傍らで健筆を振るい、市民運動に励み、驚くほどのフットワークで社会に向き合っている。今回の地方統一選挙を睨んで作年発足した「ローカルイニシアティブネットワーク」にも、保坂展人東京・世田谷区長や政治学者の中島岳史さんらとともに、世話人として名を連ねる。
「私が住む東京・武蔵野市周辺は、自公政権が盤石な中でもリベラルな土壌を守り、わりと勝っているんです。岸本聡子杉並区長に松下玲子武蔵野市長。こういうリベラルな自治体で連携し、国政にも風を吹かせたいと参加し、医療やケアの現場から発信させてもらってます」
もう一つ、宮子さんには大事なライフワークがある。 「吉武輝子の娘という仕事」。 もちろん、そう言えるまでには葛藤があった。女に学問はいらないと言われた時代に闘って大学に入り、日本初の女性プロデューサーから作家、評論家へ。ウーマンリブの闘士だった母親の思いを受け、宮子さんも一度は一般の大学に入学したが、そこで思い知らされた。
「当時は優生保護法の改悪阻止に熱中していて、デモに行くと母がシュプレヒコールを指揮しているわけです。周りはうらやましがるけれど、複雑でした。運動を通じて親離れしていく仲間とは逆に、私はデモに行くほど親の世界に近づいていく。しんどかったです。思想的には同志でも、子どもはやはり親離れをしたいものなのではないでしょうか。親子の葛藤は同志的な連帯では乗り越えられないと痛感しました」 たまたま運動の中で助産師と知り合い、親の息のかからない看護の世界へ進路を変えて自活し始めたことで、「母の娘」と胸を張って言えるようになった。
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