(c)大槌新聞社
菊池由貴子さんは東日本大震災の翌年から地元の岩手県大槌町で、「大槌新聞」の発行を始めた。その経験を『わたしは「ひとり新聞社」 岩手県大槌町で生き、考え、伝える』(亜紀書房)として昨年秋に出版。 元々新聞を読まなかった菊池さんが、新聞を発行し続けた原動力は何だったのか。
大槌町では、祭り・餅まき・運動会が町民の交流の場で、菊池さんも子どもの頃から祭りが大好きだった。大学の獣医学科に入学するも重篤な病にかかり、中退。その後離婚もして、震災前は生きる意義を見失っていた時期だったという。 「地震に遭ったのは車で移動中でした。津波で自宅まで帰れず、その晩お世話になった高台の家のラジオに聞き入りました。でも津波の情報は得られませんでした」と菊池さんは語った。避難所に届いた新聞をむさぼり読んで、町の様子が少しずつ分かるようになる。「非常時に情報がないつらさを痛感しました」。そうしていくうちにだんだんと町が愛おしくなっていった。
大槌町は人口の約8%が犠牲になるという大きな被害を受けた(うち3分の1が今も行方不明)。町内では「病院から薬を盗んだ人がいる」などデマも流れ、恐ろしかった。そして何より知りたいのは自分の町の正確な情報だと考えるようになる。 ある時、津波で何もなくなった灰色の町の中にカラフルな自販機が置かれていたのを見て、「ああ、電気が通っているんだ。町のみんなに知らせたい」。ATMが置かれ、移動郵便局も業務を開始した。そして、町民に伝えるには町民の自分が書くべきだと考えるに至った。
町の臨時職員を経て、パソコンや編集ソフト、録音機などを揃えて大槌新聞を創刊したのが2012年6月30日のこと。
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