(c)落合由利子
「自分の話するの、苦手なんですよね。よくあるトランスジェンダーの話だし」 7月に出版した新著の読みどころは、まめたさんの半生よりも活動の話だという。活動を始めた頃の記憶や感覚が生々しいうちに残しておこうと思った。 「『なんだ、これならやれそう』と思ったり、社会を変える活動を始めてくれる人がいたらいいなと思って」
「人は悲しみなしに、人権活動家になんてならない」から、自分の半生も書いた。でないと、活動の話に移れない。
自分は「男」のはずなのに、出生時に付与された性別が「女」だったために、周りは「女」だと決めつけてくる。「男」になると思っていたのに、ならなかった。「人生終わった」と思ったし、死がよぎったこともある。自宅にインターネットが開通し、「トランスジェンダー」という言葉を知った。心底ホッとしたけれど、以前よりも性別に関するすべてが苦痛になった。
獣医学部に進学し、ジェンダー論の授業でベル・フックスの『フェミニズムはみんなのもの』に出合う。高校生の頃からフェミニズムの文献は読んでいたが、フックスのラディカルで読みやすい文章はストンと落ちてきた。フェミニズムは「女VS男」という単純な図式では語れない。同時期、トランスジェンダー男性の交流会に参加。勇気を振り絞って出向いたが、拍子抜けするほど小さな集まりだった。冊子に原稿を寄せたり、講演デビューをしたり、次々と役割が降ってきた。人材不足は、成長のチャンスだった。
20歳のときには、レズビアンであることを日本で初めて公言して参議院議員選挙に立候補した尾辻かな子さん(現衆議院議員)の選挙運動に関わった。尾辻さんのチャレンジは「政治」にコミットする必要性を痛感させた。学校でLGBTについて教わらないのも、同性カップルが家族として認められないのもすべて、政治的な課題だった。
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