(c)落合由利子
イスラエルの占領下にあるパレスチナで長年、女性の権利運動に邁進するファドワ・アルラバディさんが来日し、日々抵抗の中に身を置く女性たちの市民権について講演した。この機会に、パレスチナの女性の権利状況を聞きたいと考えた。 パレスチナ人にとって忘れられない「ナクバ(大災厄)」。1948年、イスラエル建国によりパレスチナ人が土地から追い出され、多くが難民になった。ファドワさんはその前年に生まれ、父親が急死した20歳の頃から家族の生活のために教員として働き、後に大学に進む。
パレスチナ女性の権利のための運動に携わるようになったのは70年代から。「若い人たちとボランティアグループを組織して、地方や農村・難民キャンプで社会的弱者の支援をしました。そこで女性たちが直面する問題に気づいたのです」
当時のイスラエル被占領地パレスチナは自治がなく、社会サービスが遅れていた。ニーズを調べ幼稚園や学校を整備し、病院や高齢者施設で働く中で、夫からの一方的な離婚や暴力に悩む女性の声が聞こえてきた。学校に通うことが許されなかったために読み書きができない、働きたいのに子どもを預ける施設がなくて困っている…。高校に通い続けたい女性の家族を説得したこともある。
そして77年に「女性行動委員会」を立ち上げた。活動を始めたのは東エルサレムとラマッラー、そしてガザへ全国へと拡大した。女性たちの希望をもとに、教育、裁縫のスキル向上と幼稚園の運営を始めた。助けられた人が次に助ける人になり、宗教や政党を超えてつながったこの女性行動委員会は、現在も受け継がれている。 抵抗運動によってあちこちの家族に逮捕者や犠牲者が出て、家屋の破壊も日常的に起きていた。女性行動委員会は女性に政治活動や抵抗運動への参加を促し、組織していった。第1次インティファーダ(87年、パレスチナ人による組織的抵抗運動)の10年前のことだったが、「この基盤があったからインティファーダが起きるとデモを組織したり、イスラエルが封鎖した地域に密かに食料を運び込む運動も担えたのです」。
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