(c)飯田典子
女性の大きな顔写真。日記のページ。母親と撮ったスナップの母は白く塗られている。虐待の事件があった場所の写真は日常の一コマのようだが、生々しく感じる。 昨年の11月、東京・墨田区で長谷川美祈写真展「Internal Notebook」が開かれた。そこには、(会期前後半合わせて)9人の虐待を受けて育った人たちの写真と、写真集が展示されていた。
ある女性は3歳から暴力・暴言を受けて育ち、後遺症で聴覚を失ったという。小学校2年生の時、1万円札だけを置かれてひとりで生活をして水道ガスを止められた女性もいた。 その写真群は、「虐待が子どもたちに与える影響」という言葉を超えたインパクトがあり、わたしは、心が揺れ動き、写真展から逃げるように帰った。 なぜ、作者はこの写真を世に送りだしたのだろう? 長谷川さんの話を、遅ればせながら聞きに行った。
きっかけは、自分の子育てだったと長谷川さんは言う。切迫流産で寝たきりの妊娠生活から出産。上手に母乳を飲めないわが子を前に追い詰められていった。ちょうど、大阪幼児置き去り死事件(2010年)の起こったころだ。自分も殺していたかもしれない、と思った。 誰でも子どもを産めば母性があると思われることへの違和感が芽生えた。 ちょうど写真の勉強を始めたころだった。「母性」への違和を作品にしたいと写真を撮り始めた。理解してくれない人もいた。
続きは本紙で...