(C)宇井眞紀子
2016年、日本イラク医療支援ネットワーク(JIM‐NET)の集会で話をした際に、ふぇみんの見本紙をいただいてね、これは読んでおいたほうがいいなと思ったんですよ。
-1936年、4人きょうだいの末っ子として東京に生まれた湯川さん。9歳の時に疎開先の山形県米沢市で終戦を迎えた。平和への思いも、米国の音楽にのめり込むきっかけも、実はフィリピンで戦死した18歳年上のお兄さんによるものだ。お兄さんが戦地に赴く前に自宅に防空壕を掘っていた時、口笛でキレイな曲を吹いていた。何の曲?と尋ねる湯川さんに、お兄さんは「お兄ちゃまがつくった歌だよ」。しかし戦後、進駐軍ラジオ放送から、「お兄ちゃまの歌」が流れてきた。それはハリー・ジェームズ・オーケストラの「スリーピー・ラグーン」。
兄の存在は大きいですね。戦中は、敵国の音楽が禁じられていましたから、兄はどんな思いでその曲を口ずさみ、私に「自分で作った」と言ったのか。 今、平和や原発の問題について私がはっきりと発言しますと、よく「左翼」って言われるんです。私、「とんでもない! どちらかと言うと、私は保守よ」って言うんです。本当に自分の国を愛して、同胞を愛して、未来を愛するからこそなんです。こんな小指の先ほどしかない小さな島国で原発を再稼働して、また福島並みの事故が起きたら、周りは海ですから、どこにも逃げられないですよ。私は世界を歩いていてわかりますが、日本から出て行けなんて言われても、市民として隣人としてどこも受け入れてくれない、避難民ですよ。ましてね、米国から高い武器や潜水艦、駆逐艦を買ったって、54基ある原発を狙われたら一発で終わりじゃないですか。そのことに誰が責任を取るのか。誰も取れないですよね。
続きは本紙で...