(C)宇井眞紀子
「在日朝鮮人」3世として京都で育ち、アメリカ西海岸で在日コミュニティーの基盤づくりの活動を行う河庚希さん。「子どもの頃通った日本の学校では『わが国の―』と語られると、自分は外れていると感じた。1世の祖母がいる家は完全に朝鮮人の空間。私はどちらにもぴったりはまらず、価値観が押しつけられる日本が嫌いでした」
そんな河さんが留学先の米・サンフランシスコで、「在日」をアイデンティティーとする仲間と出会い、在日の視点で社会活動を始めることになった。グループ名は「エクリプス・ライジング」(ER)という。エクリプスとは「日食」。「日の丸(ライジング・サン)」を覆い隠し、自身も立ち上がる(ライジング・アップ)という意味が込められている。自身が抱いていた在日の生きにくさをはね返し、在日の豊かな歴史を認識して、コミュニティーを発展させようという、その心意気を聞いた。
生きにくさの根底には世代間の溝という一面もある。1世の祖母と2世の両親は文化的にも社会的にも朝鮮人であることに疑いを持たない世代だと、河さんは語る。たとえば、なぜ自分は浴衣を着たことがないのかと親に聞くと、答えは「朝鮮人だから」。どんな時も河さんが納得する理由が得られないことに、不満を抱えていた10代だったと振り返る。 高校1年生の時、日本を脱出したくて交換プログラムで米・オハイオ州の田舎町へ。ところが「アメリカでは多くの人種が一緒に生きていると信じていたのに、あからさまにジャップ(日本人の蔑称)と言われた。でも私、ジャップじゃないし…」。こんな野蛮な国には二度と来るもんかと、日本に戻った。
日本の大学に入り、フィールドワークで第2次世界大戦中の日系人強制収容所跡を訪れたことが契機になった。
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